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統計の思い出

※2022年執筆/2024年公開

まえがき

私に統計を教えた人々に見られたくない記事。
ただ、今自分がデータの仕事している事について教えてくれた人たちは大爆笑だと思っている。
書いて放置しっぱなしだったのを改めて読み、人生ってこういうところから変わっていくものだなと感じたので公開してみた。

統計と私

私が統計の仕事をするようになって早何年経つのだろうか。
数値に基づき、人間の行動を分析している。

私の仕事ぶりを人によっては「皮肉だ」という人もいる。
統計やデータ分析は大学時代、私の専門分野じゃないし、本来私に教えた人がやるべき仕事を今私がしている状態で。
私の統計の力は私が得たものじゃない。
他人に叩き込まれて得た「まがいもの」なのだ。

そのことに対して未だにコンプレックスを持つし、統計の授業で間違えた答えのことをずっと根に持ったまま10年も過ぎている。

そんな思いどうでもいいじゃん、って感じなんだけども、どうしても私が統計を理解できたかもしれないってなったのは、自力ではなくて教え込まれたって側面が大きすぎて、未だに新しい手法とか、計算式を知る度に過ってしまう。

ああ、これは他人の教えでわかっているに過ぎない、と。
自分の頭だけじゃわからなかった世界だ、って思ってしまう。
統計と数学は、システムの世界以上に、自分で切り開くことができない世界だったから。

統計と大学生の私

統計の授業は全然興味が持てなかった。
数字で何が知れるんだと。こんなんで仕事になるの?
足して割ればいい、そんな気持ちだったと思う。
※最低過ぎて何も言えないし、学んだときは機械学習の面白さも分かってなかった。

一方で、「人間心理」「人間の行動」というものには深く興味があった。
臨床心理というより「本能的に人間が何を選択するのか」とか、「コンテンツが好まれる・好まれない」とか、人の行動を最適化したり予測するってことに対して強い興味があった。
ただ、そこに統計と結びつけることができず、つまらないつまらないと言って必修授業を受けていた。

統計を真面目に勉強し始めたのは3年生の時だった。
2年生の後期の統計の単位を落としており、「再履嫌だな。」ってなりながら、3年前期の統計の単位も危うく落としそうなる、そんな不安定な人間だった。
※当時、人間として不安定であり、エンジニアリング以外は虚無だった。特に実家で立て続く身内の不幸により生活がすさんで寝不足+当時見つけられなかった持病もあり、大学に通えていることも奇跡レベルだったことものちに判明する。メンタル的にも来ていて、もう人生1回しかないからおもろいことしようと思って、メイド喫茶でたまに働き始めたのもまさにこの頃。

統計の授業はレポート採点が厳しく、先生どころかなんならTA(授業をサポートする統計の先生配属の学生・院生)も厳しく泣きながら受講していた。
先生もTAも威圧。TAのうち3/4が威圧感があり、つらさしかなかった。

※授業に関してTwitterで母校のワードで検索したら嗚咽が漏れ出ていたので、何年も苦しめられている学生がいるのであろう。

そんなきつい統計の前期の単位を捨てそうになっていた時。
しぶしぶ単位もらうためにレポートの書き直しを担当教授の研究室にもっていった時である。

TAに笑いながら怒られる。

他人だよ?放置すればいいのにめちゃくちゃ怒られる。
自分事のように熱く笑いながら怒られたのは自分が小学生なんか?と思ったくらいだった。
泣きながらレポート書いて無事単位を貰ったが、「わあ、去年落とした2年後期の統計もこのTAじゃん…」と全ての絶望を味わってしまった。

後期の統計が始まる。

前期はなんとか乗り切った(?)が、後期は再履修ということもあり、仲間が少なかった。
再履仲間は大体大学を辞めたので、1人で戦う羽目に。
昨年のレポートを参考にしてもどうせB帯ばかりだ、A-以上が単位取得対象となるとどうにもならなくなってくる。(レポートはABC判定)

『終わった…また再履か…』

バイト先に統計のTAが降臨。

私は郊外のファミレスで1年生から働いていた。
そのファミレスで働いていることは自分の研究室で認識されていたが、他の研究室や先輩後輩はそこまで知られていなかった。多分。

退勤時間が近づいてきた頃、統計の先輩が来店してご飯を食べてゆっくりしていた。
ピーク帯を過ぎていた時間だったから、オーダー、配膳、バッシング兼レジポジだったので、『先輩ですか?』って話しかけながらバッシングし、思わず『レポートの直し終わっていないんです。ドリンクバー奢るのでレポート見ていただけないでしょうか。』

この女、ドリンクバーでTAの時間を買う女である。

普段同じ大学の人でも友達か研究室の先輩しか話しかけない私、特段仲良くもない、怖いという認識だけが強い、先輩に対してよく上のセリフが言えたのである。
先輩もびっくりはしていたが了承してくれ、バイト終わりにそのまま客席に向かいレポートの指導を受けたのである。
※怖いTAだと思い込んでいたが、怖いだろうが上の提案をしてまででなんとか統計の単位を得たかったのである。

そこから先輩から怒涛の統計の指導がはじまったのである。

このドリンクバーの下りから先輩とは普通に喋れる仲になった。
元々統計の研究室にいる先輩と何人か仲良かったのもあり、他愛もない雑談もするようになった。普通の先輩後輩になったのである。

何度か研究室に行って泣きながらレポートのご指導を受け、統計の知識が頭に叩きこまれた。
怖いなって思っていたけど、それは言い方だけであって人に教えることに対してはとても誠実な人だったし、なによりわかりやすかった。
先輩が私の性格を把握してからは、ガンガン理解が進むようになった。
ここで先輩は「この女、頭の回転が思ったより早いし本来は頭悪くないのではないか。表向きの行動と中身が全然違うぞ。」と思ったらしい。実際、頭悪いと思うけどね、大丈夫?先輩。
先輩にとっては私について入学した頃から把握していたらしいけど、私は話してくれない人のことを覚えるのが苦手なので全く私は認知していなかった。

統計のレポートが自分の力でもできるようになり、小テストの点数もクリア。

ここまで1か月である。
この女、120円くらいのドリンクバーを奢って1か月で統計イヤイヤを改善したのである。
元々私の扱い方がうまい人に扱われるとめきめき才能が伸びるタイプであるのは分かっていたが、あっという間に統計 チョットダケ ワカッテキタカモ になった。

お気づきだろうか。

先輩は貴重な研究の時間の合間を縫って私を教えていたのである。
ドリンクバーで買収したとはいえ、120円以上の働きである。
教えたら教えただけきちんと習得していく、というのは見ていても気持ちよかったらしい。
やる気ある人に対しては絶対に教えるのが先輩のポリシーらしいが、いい人過ぎるだろ、と思ったのであった。

統計と就職した私

SEとして就職した私はすっかり統計のことは忘れていた。
あれは社会人4年目のこと、私が機械学習関係の世界に飛び込むことになった。
そこで思い返される統計解析の日々。

あっという間にのめり込んでいった。
正直何かを分析して予測することが「きもちいい」とさえ思った。
自分で「ああ、人の心捨てている気がする」と思うくらいに、夢中になった。

先輩が教えてくれなかったら、きっと、こんなに数字が好きになったりとか、人間がどう行動するかなんて興味持つことできなかった。

そんなことを思いながら、がむしゃらに自分のキャリアをスタートさせていった。
紆余曲折があり、SEからデータアナリストにキャリアチェンジをして、今に至るけれども、よくわかんないで終わらせていた統計を頭から叩き込まれたおかげで今ご飯食べられていることは間違いない。

先輩よりはきっとできないし、先輩より完成されていないけど、
私らしく働けているから許してください。って思いながら、統計の仕事をするときは初心を忘れないように、これからも数字の海で泳ぎたいと思う。

あとがき

先輩のキャリアはどうなったの?

読んでいてこの「先輩」がどうなったか、という部分。
2022年、データの仕事とかけ離れていた仕事を引っぺがして、こっちに世界に来させる支援を1年、実質手伝いは3か月くらいフォローしていた。

先輩は統計を捨てた。
統計どころか修論時はどうかしていたメンタルだ、とも後輩から聞いた。
22歳の私は新卒で、先輩に何言っても届かなくて、かといって空っぽの私がなにもフォローできなくって、力になることはできなかった。
自暴自棄になっていった先輩をただただ遠くの物陰から覗いているだけだった。

私には何をすることもできなかったけど、ひょんなことで連絡をしたときに全てを知って、自ら名乗り出て、先輩が本来いるべき世界に連れ戻した。

「いろんな人と話をして人生どうあるべきかの意見のサンプリングをした上で私の手を取るか取らないかは決めてください。」

先輩は私の手を取った。10年前でありえない事だった。
私は大きな衝撃を受けたけど、協力した。
今、ようやく先輩も本来やるべきことに戻れて心から安心して、気持ちよく2022年を終われそうだな、と同時に私の役目は終わったんだな、と思った。
だからもう、私が先輩を助けることはないと思う。
ちゃんと数字の仕事をしていてほしいな、と思う。

先輩は統計を教えてくれた。
人間工学の面白さを教えてくれた。
私に人への面倒の見方も教えてくれた。
いっぱいいろんなことを教えてくれたと思う。
そんな先輩が、人生再スタートして、世の中のためになっていて欲しいなと思う。

追記。(2024/6)
これは2022年末に勢いに任せて書いて、寝かしていた記事。
2年後の今について。

先輩は無事データ分析の世界に返り咲いて、人を教育する仕事もしているらしい。やっぱそっちの方が先輩らしいな、って思った。

私は相変わらず、数字の世界で人の行動や考えを分析していっている。女の勘とか言ってるけど正直言葉と相手の行動と、いろんな要因から導き出す精度は年々高くなっていると思う。
そして、ありがたいことにちょっとだけ人に教える仕事を私も始めている。
不思議とデータアナリストっていう職業に愛着を持ちながら、新しいことは常に知っておいて、いつまでも若い頭のままでいようと、今日も生きている。

もれなくサポートいただきますとmiyaがおいしい紅茶をいただきます。