劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト内容についての考察と感想
劇場版を鑑賞してから四六時中脳内がスタァライト状態になり、何らかの形でアウトプットしておかないと気が狂いそうだったので思うがままに書いてみました。
冒頭シーン 別れの為の舞台
上映開始日が5/21から6/4に延期になった事によって、YouTubeでも5/21に公開された劇場版冒頭のシーン。
冒頭から意味ありげにトマトが破裂するシーンから始まります。次のカットで破裂したトマトの位置に華恋が仰向けに横たわっており、神楽ひかりと別れる事によって、愛城華恋が舞台少女としての核を失った事(=トマトの破裂)がわかりやすく描かれています。
ひかりの口上の中に血肉というフレーズが入っていますが、後ほど度々登場するトマトを喰らって血肉とする事、と捉える事もできますね。
野生の本能というフレーズも、副題である 𝑤𝑖(𝑙)𝑑-𝑠𝑐𝑟𝑒𝑒𝑛 𝗯𝗮𝗿𝗼𝗾𝘂𝗲 のワイルドの部分に掛かっています。"ワイド"スクリーンバロックについては、一言で表すなら、壮大なスケールで描かれる情報密度が濃い激しい動きという認識で問題ないかと思います。
ちなみに、西洋美術史になぞらえて、ルネサンス(再生・復活)をTVシリーズ、マニエリスム(様式美・模倣)をロンド・ロンド・ロンド、バロック(動的・悪趣味)を劇場版とすると、意味も内容もピッタリと当て嵌まるようですね。
貫いてみせなさいよ あんたのキラめきで
初期の宣伝ポスターでは副題の位置にある、ひかりが華恋に対して投げかけるセリフ。この言葉もダブルミーニングになっていると思います。
① 自分(ひかり)を求めるだけの舞台で終わるのではなく、次の舞台へ向かう為の舞台少女としての覚悟を貫くという意味
② 別れの為の舞台で役を演じきり、文字通り物理的に自分(ひかり)を貫いてみせろという意味
冒頭シーンの何もわかっていない華恋の心境ではひかりの事を貫けるはずもなく、 華恋はひかりから一方的に別れを告げられ、別れの為の舞台は幕を閉じます。
ワイルドスクリ───ンバロック 開幕
皆殺しのレヴュー
大場なな×舞台少女6人のレヴュー。レヴュー曲「𝑤𝑖(𝑙)𝑑-𝑠𝑐𝑟𝑒𝑒𝑛 𝗯𝗮𝗿𝗼𝗾𝘂𝗲」のイントロに合わせて苛立ちを表すかのように足踏みでリズムを取るなな。並走する電車のドアから射出される日本刀。冷静に考えてわけがわからないシーンなんですが、全てがカッコ良いんですよね。
レヴュー開始直後、香子は「オーディションが始まったんや」と言いますが、ななからあっさりと「これは、オーディションにあらず」と否定されます。一見すると、香子は誰よりもトップスタァになりたがっているように見えましたが、トップスタァになれなかったオーディションに固執し続けていただけで、次の舞台へ進もうとはしていなかったんですね。新国立第一歌劇団の見学に前日になって急に行かないと言い出したのも、双葉が自分から離れていってしまう事への八つ当たりの意味もあったのでしょう。
オーディションでないのならば、今立っている場所は舞台でしかありえないという事を、真矢だけは即座に理解します。
あっさりとななに上掛けを落とされた香子・双葉・まひる・純那・クロディーヌの5人でしたが、真矢だけは唯一上掛けを落とされませんでした。その事に対して後のシーンでクロディーヌが「なんで、あいつだけ───」と発言しています。その理由は、真矢だけが皆殺しのレヴューがオーディションではなく舞台の上だという事を理解し、演じようとしていたからですね。
ななは真矢以外の5人を切り伏せた後、再び演じ始めます。
純那の返答は舞台少女としては0点ですね。演技に対してマジレスで返してくる純那に対し、ななは更に苛立ちを募らせるように同じ言葉を繰り返します。すると次の瞬間、純那の首から大量の血が噴き出し、血まみれになった香子もその場に倒れます。しかし、実際は舞台装置から放射された血のように見えるだけの液体でした。舞台の上でまるで演じようとしない純那たちに対し、舞台少女としての死が演出されたわけですね。純那主観のシーンをよく見ると、画面右上から血(のように見える液体)の雨が降ってきているのがわかります。
ななは皆殺しのレヴューで狂言回しとしての役を演じ、卒業を目前に浮かれ気分だった99期生の面々に人生の次の舞台へ向かう覚悟ができているのかを問うたわけですね。神楽ひかりと運命の舞台に立つという人生の目標を達成し、再び神楽ひかりと別れ、舞台少女として何を目指せばいいのかすらわからなくなってしまった華恋だけを除いて。
列車は必ず次の駅へ─── では舞台は? 私たちは?
99期生 卒業公演大決起集会
卒業公演に向けての決起集会のシーン。皆殺しのレヴューでななに敗れた香子・双葉・まひる・純那・クロディーヌはそれぞれ独りで思い思いに過ごしている様子。真矢だけは他の99期生のみんなと一緒にいますね。
ここでBGMとして流れているインストアレンジの約束タワーがとても良いですね。九九組の曲の中でも好きなんです。約束タワー。
舞台創造科の眞井霧子と雨宮詩音の二人は、第101回聖翔祭「スタァライト」の脚本を99期生全員に配りますが、99期生の一人が内容に目を通すと、脚本が未完成である事に気づき、どよめきます。不安そうな表情を浮かべる雨宮さん。すると、眞井さんは拡声器を構えてこう言います。
いやアンタの方が怖い。共感性羞恥で見ているこっちもツラい。
眞井さんは99期生全員に対して「卒業公演なんて初めてだし、怖くて当たり前。だから、99期生のみんなで最高の舞台を作りたい」と呼びかけます。
呼びかけに応えるように、99期生の面々と真矢は脚本の中の女神役を演じ始めます。
今こそ塔を降りるとき、冒頭シーンの別れの為の舞台でもひかりが言っていたセリフです。塔とは、運命の舞台に立つ約束を交わした東京タワーでもあり、戯曲スタァライトに登場する星摘みの塔でもあり、TVシリーズ最終話の星摘みのレヴューで華恋とひかりが二人で共に頂に至った塔の事でもあります。そして、塔を降りて旅を続けるフローラ(=主演)を演じる為に、99期生全員が新たな舞台を目指す。だから、進路を決めただけで満足し、トップスタァではない自分を受け入れた死せる舞台少女のままではいけない。再び舞台に上がり、心の中に燻るわだかまりと向き合い、決着をつけなければならない。
私たちはもう 舞台の上
ワイルドスクリ───ンバロック ①
怨みのレヴュー
石動双葉×花柳香子のレヴュー。香子は双葉に対して怒りを爆発させます。なぜ一緒にスタァになると約束したのに、一人で進路を決めてしまったのか。あの約束は全部嘘だったのか。それに対して双葉は「香子と並び立つにはもっと経験を積まないといけないから」「相談したら怒ると思って」「自分には星見のようながむしゃらさや天堂のようなひたむきさが足りないから」と、なんとも言い訳がましい歯切れの悪い返答。
キャバクラのようなセクシー本堂の舞台で、浮気した旦那を激詰めしているかのような構図が面白すぎますね。
要するに、双葉は香子に相談して反対されるのが怖かったんですね。それなのに、双葉は卒業後の進路としてクロディーヌに新国立第一歌劇団を受験する事を薦められ、実際にその通りに進路希望を提出した事を、何も相談されなかった香子は怒らないはずがありません。よくも私の大事な大事な双葉はんをそそのかしてくれましたなぁ… クロはん。許しまへんえ、絶対に。といった具合に。
決着をつけるべく、二人は清水の舞台でデコトラをバックにお互いの思いの丈をぶつけ合い、双葉はここで初めて「香子ばっかりあたしを独り占めして、ずるい!」と本音をさらけ出します。ずっと香子の世話焼き係をしてきた双葉が、改めて香子とは違う道を往く事を決意する瞬間ですね。
とにかく、デコトラの電飾が「わがままハイウェイ」の歌詞に合わせてピカピカ光るのがめちゃくちゃ気持ちいい。清水の舞台から墜落したトラックの荷室には桜の花びらが満載になっているのも、本当ならおかしくて笑ってしまうのに、粋な演出に見えてしまうのがレヴュースタァライトの力ですね。
デコトラの荷室に落ちた双葉が香子にマウントを取るような形に(この時に双葉の表情が紅潮しきっているのと、香子の無防備に押し倒されたポーズは絶対に狙ってやってるだろ)なっているのは、二人の関係の主導権アピールにも見えます。双葉が香子にバイクの鍵を託す(この時に香子の薬指にポジションゼロの形をしたバイクのキーホルダーが引っ掛かっているのも絶対に狙ってやってるだろ)のは、今まで同じバイクで同じ道を走ってきた二人が別々の道を往く為の餞別ですね。最後に双葉が割れたサイドミラーの破片で香子の上掛けを切るところ(これもいかがわしい行為に見える)まで、デコトラに関する演出のこだわりと気合の入りようがとんでもないレヴューでした。
香子は、双葉が進みたい道があるのなら真正面からぶつかってきて欲しかったのに、「お前の為」だとか、「他のみんなに追いつくため」だとか、言い訳ばかりしている双葉に対して怒っていたんですよね。だから、双葉がワガママを通す事に対して「わかってますんや、そんな事」と先に答えを返した訳です。わかってはいても抑えられない感情を、野生の本能のままに本気でぶつけ合う為の舞台こそがワイルドスクリーンバロックという事ですね。
ワイルドスクリ───ンバロック ②
競演のレヴュー
神楽ひかり×露崎まひるのレヴュー。TVシリーズで華恋を奪い合った二人の組み合わせは、どう考えても危険な予感がしますよね。ひかりは心ここにあらずのまま、まひるに☆を飛ばされてしまいます。しかし、レヴューは終わりません。舞台の上に立っているにも関わず、一向に役を演じようとしないひかりに、まひるは怒りを露わにします。
まひるがメイスで地面を割るのも、Mr.ホワイトの首を撥ねるのも、ジト目で睨むのも、セリフも、何もかも怖すぎるだろ。まずここで☆を飛ばされてもレヴューが終わらない事に驚きますよね。これがオーディションではなく、ワイルドスクリーンバロックという何が起こるかわからない舞台の上なのだという事を強烈に意識させられるシーンです。
まひるはひかりになぜ華恋から逃げたのかを追及し続けます。華恋から逃げたひかりが、どんな顔をして再び華恋に会いに行くのか?本音をさらけだしてみろと言わんばかりに。そして、追いつめられたひかりは、泣きじゃくりながら本心を語り始めます。
冒頭シーンでの別れの為の舞台のひかりは、目的の為に強い意志を持って華恋の元を去ったように見えましたが、ただ華恋に甘えてしまう事が怖かったんですね。いや幼少期とやってる事同じやんけ、そういうとこやぞ神楽ひかり。ようやく本心をさらけ出したひかりに対し、まひるは「怖かったんだ。私と同じだね」と優しく声を掛けます。ずっと演じていたと。
いやなんですかこの歌詞は。涙がちょちょぎれるわ。ひかりの上掛けから飛ばした☆を、まるで金メダルのようにひかりの首に掛けるまひるが慈愛に満ちていて美しすぎる。ホラー映画やお化け屋敷などで使われている緊張緩和の演出方法を使ってレヴューに落とし込んでいるんだな、と感心しました。
まひるは「演じていた」と言いましたが、過去に少なからず抱いていたであろうひかりに対する憎悪があったからこそ、舞台女優さながらの迫真の演技ができたのだと思います。TVシリーズ5話の時点までは華恋からキラめきを貰う事でしか舞台少女として生きることができなかったまひるが、今度はひかりが華恋に会いに行く為の覚悟を取り戻せるように、ライバルとして舞台の上で間接的に応援するという成長っぷりに心を打たれます。
ひかりがエレベーターに乗り込むシーンで、階数表示が「99、100、101」と上がっていくのが99期生の歩みと重なっているところや、最後にゴールテープを持っているMr.ホワイトの首が雑にガムテープで補修されていたりと、細かい小ネタが満載な点もグッドでした。
ワイルドスクリ───ンバロック ③
狩りのレヴュー
星見純那×大場ななのレヴュー。レヴュー直前まで誰と何に決着をつければいいのかすらわからないまま舞台に上がる純那でしたが、そんな純那にななは辛辣な言葉を投げかけます。
口上で純那の生き方を全否定して、私の解釈違いの生き方をするくらいなら介錯してやるから自刃しろって、凄まじいエゴイストですよね。ななが純那に深く失望している事実の伏線として、序盤の華恋と純那が舞台エルドラドの稽古をしているシーンで、純那は稽古の最中にも関わらず、華恋の迫真の演技(ひかりがいなくなってしまった自分の境遇に重ねて完全に役に入り込んでいる様に見える)に呑まれ、素に戻ってしまっています。
ななは華恋に同情するような憐憫の眼差しを向けながら呟きますが、これはなな自身が純那に抱いていた思いでもあり、舞台少女として生きていく事を一旦諦め、輝きを失っている純那に対する失望の感情を乗せた言葉でもあったんですね。その後の皆殺しのレヴューでも、純那に対しては一言も発さず、相手にすらならないとばかりに容易く☆を奪う姿からも、いかにななが純那に対して深く失望しているかが窺い知れます。
純那はいつもの様にウィリアム・シェイクスピアやニーチェ等、偉人の言葉の矢でななを狩ろうとしますが、他人から借りた言葉で自己正当化しようとしているようにしか映らないななには全く響かず、届きません。純那はななに追い詰められ、再び自刃を迫られます。純那は泣き出してしまいますが、自分を鼓舞するように偉人の言葉を呟き続けます。しかし、途中で他人の言葉ではダメだと気がつき、自分自身の言葉で立ち上がります。
自分自身の言葉で再び輝きを取り戻し、気を吐く純那。99期生の9人の中では最も真面目な努力人であり、普通の人代表とも言える純那の口上にはどうしても深く感情移入してしまいますよね。純那は何度ななに切り伏せられても立ちあがり続け、遂にななに勝利します。
TVシリーズからレヴューで一度も勝つシーンが無かった純那が、作中でも最強キャラと言えるななを相手に勝利を掴む。強い言葉と感情でゴリ押した方が勝つ概念バトルとはいえど、これぞカタルシスを感じるという言葉がピッタリと当てはまる王道展開ですね。
誰よりも優れた体格も才能も持ち合わせていながら、自分は持っていない主役になれないとわかっていながらも努力をやめない姿こそが美しい純那であってほしいというエゴを純那に押しつけ、自分の理想通りになってくれないのなら死んでくれと願うななは、TVシリーズ9話で純那がななに掛けた言葉のとおり、子供みたいなんですよね。強い言葉を吐いて主役になる事を諦めず、何度でも立ち上がって刃向かってくる純那に対して、思わず「私の純那ちゃんは、そんな奴じゃない!」と言ってしまうところにもななの子供っぽさが滲み出ています。
ななは敗北して純那とそれぞれの道へ進む途中で泣いてしまいますが、先ほど純那が泣いてしまったシーンとは逆に、純那が「……泣いちゃった」と反応しつつも、再び決意した表情に変わり、後ろを振り返らずに自分の進むべき道の先へと再び歩み始めます。ななが何度再演を繰り返してでも守りたかった純那や99期生との思い出の写真とカメラが泉の中に沈んでいるのは、思い出に縋り続けるのをやめ、次の舞台へと進む為には必要ではなくなったからですね。それぞれが進む道へのタイルの形がポジションゼロになっているのも、二人が共依存のような関係から脱して別々の道を往くという事を表しています。
ワイルドスクリ───ンバロック ④
魂のレヴュー
西條クロディーヌ×天堂真矢のレヴュー。他のレヴューとは違い、劇中劇から始まるという構成になっています。正直に言って、この劇中劇で終わってしまうのではクライマックスの盛り上がりに欠けるのではないか?等と心配していましたが、そんなものは全くの杞憂に終わりましたね。
劇中劇のクライマックスで真矢は観客席に移動し、クロディーヌに対してライバルの役を演じてくれてありがとうと煽ります。真矢は実際に自分こそが揺るぎないトップスタァであるという自負があったのでしょう。皆殺しのレヴューでも、唯一人だけななに上掛けを落とされずに舞台の上に居続けた事からも、実力では明らかに抜きんでているという自信があって当然だと思います。真矢は、自身の心が空っぽの神の器であるからどんな役にでもなれるのだと言い放ち、圧倒的な力でクロディーヌの☆を弾いてみせます。が、しかし、クロディーヌはまだ口の中にも☆を隠し持っていた為、レヴューは終わりません。
今作で一番好きなセリフかもしれません。真矢がこのレヴューで初めて心の底から怒気を帯びた人間らしい感情を爆発させるシーンだからです。また、真矢の魂が空っぽの神の器などではない事の証明にもなっているシーンでとなっていますね。
誰よりも近くで真矢を見てきたクロディーヌだからこそ、真矢の心には人間らしい感情や欲望があるという本質が見えていた。だからこそ、真矢を出し抜き、本当の姿をさらけ出す事に成功した、という事ですね。わかります。お互いに口上を言い合い、いつものレヴュー服でクライマックスに突入していく場面で、ここからが本番だと言わんばかりに「ワイルドスクリ───ンバロック④ 魂のレヴュー」というタイトルが現れるのがシビれますね。
クロディーヌと真矢のお互いを全否定し合っている口上。もうここまでくると本当にヤンキーのケンカですね。要約すると「天上人にでもなったつもりで神を気取ってるあんたを叩き落としてやる」「敗者の分際で図に乗るなよ三下が」という事なんですが、ここまで心の底から相手の事を重い愛で思い合いながら本音でぶつかり合うアニメも中々お目に掛かれません。口上を言い合った後に舞台装置がせり出した後に一瞬の間があるのも、最上の舞台少女同士の最終決戦に相応しい雰囲気がありますね。怒涛の勢いで押し寄せる小出副監督が自ら1500カット以上も描いたという圧巻のバトルシーンと、先ほどとは打って変わってただただお互いの好きなところを言い合っているだけのセリフの応酬は、まるで心を上下左右に360℃揺さぶられ続けるジェットコースターのよう。そして、今までは常に真矢を追う側であったクロディーヌが真矢の本性を暴いた上で出し抜き、勝利します。決着の瞬間、額に入ったクロディーヌの姿を見て真矢は「西條クロディーヌ… 貴女は美しい」と呟きます。真矢はクロディーヌの事を気に掛けながらも、自分こそがNO.1だという自信は揺らぐ事が無く、自分の姿しか見えていなかったのを、クロディーヌは真矢に美しいと認めさせる事で、ようやく対等な好敵手関係になったのだと思います。このカットのクロディーヌの姿が本当に作中で一番と言えるほど美しいんですよね。レヴュー曲「美しき人 或いは其れは」のクライマックスと合わさってあまりにも素晴らしい出来なので、何度見ても決着のシーンで感涙してしまいます。最後に二人で手を繋いでポジションゼロにいますが、華恋とひかりとは違って身体の位置が逆さになっているのは「二人は共に落ちていく」存在だからなのでしょう。大袈裟かもしれませんが、芸術で感動するというのはこういう事なのかと思わせてくれるクライマックスにふさわしいレヴューでした。
華恋とひかりの過去
普段はボケッとしているけれど、ひかりとの約束の為なら完全無欠のスーパースタァになってしまうほどの力を持っていた華恋。TVシリーズの中では華恋の精神的な脆さだとか、揺らぎのような物が描かれるシーンがほとんど無かったので、主人公でありながら少し感情移入しづらいキャラクターになっていました。しかし、華恋がひかりと離れ離れになってしまう苦悩や、幼少期からのエピソードを丁寧に描写された事によって、愛城華恋にも繊細な部分や不安な気持ちもある、普通の女の子なんだという奥行きが生まれました。華恋が一緒にドーナツ屋さんに来ていた中学の同級生男子の「愛城にも悩みとかあるんじゃねーの。普通にさ」というセリフが、思春期ゆえの不安定さをより深く演出していますよね。
見ない、聞かない、調べない。運命を信じてひかりの事を調べず、12年もの間ひかりにに手紙を出し続ける華恋。ひかりが約束を忘れてしまっていたらどうしよう?と怖くなるのが当たり前ですよね。叔母さんからも「怖いの?」と指摘されていたように。だから、華恋は少しだけひかりの事を調べてしまいます。ここも普通の女の子であるという事が描かれているポイントですよね。気になって調べてしまう方が普通の感覚だと思います。
意外だったのが、幼少期に華恋とひかりが出逢う前は華恋の方が引っ込み思案であったという事でした。ひかりは成長した今とは逆で、幼少期の方がとても快活な性格をしているように見えます。聖翔音楽学院に来た時のひかりはレヴューの事で悩んでいた事もあり、少し暗い性格というイメージを持ちやすい気はしますが、12年も経てば落ち着いた性格になっていても不思議ではありませんね。ひかりも華恋との約束を果たすために必死で自己研鑽に励んできたからこそ、ストイックな性格になったと捉える事もできます(部屋は大変汚いですが)。一方、華恋はひかりとの約束を果たす為、劇団アネモネでの稽古や舞台に加えてバレエやモダンダンスにも取り組む事で舞台少女として成長し、自信をつける事で朗らかな性格に成長していったのだと思います。
幼いひかりは、舞台というちょっと特別な世界を知っている事を自慢したくて、華恋をスタァライトの観劇に誘いました。ひかりは自分がトップスタァになれるとは思っておらず、諦めようとしていましたが、舞台を見た華恋に「あの舞台に二人で立とう」と言われ、再び舞台少女として生きる事を決意します。この約束が華恋にとっても舞台少女として生きていく理由となり、最終的なゴール地点となってしまった為、12年もの歳月を掛けたある種の大きな呪縛となってしまった訳ですね。
↓ 過去偏で気づいたことや好きなシーンを並べ立てるだけのコーナー ↓
幼少期の華恋とひかりが並んで歩くシーンで微妙に脚の太さが違うところなんかの描写が細かいなぁと、感心します。劇場版キービジュアルでも少し違うのがわかりやすいです。断じて、スケベな目線では見ていません。
ひかりの「ほんとすごいんだから!歌も踊りもお芝居も!」で指を一つづつ立てていくのと、「きまりーーー!!」がクソ可愛い。
華恋がテレビに向かって髪飾りを映しているシーンでお母さんから呼ばれて「な~に~?」と反応しつつも、目線はテレビから逸らさない華恋がクソ可愛い。
華恋のお母さん役である大原さやかさんの演技が上手すぎて、抑揚の付け方や息遣いに注目してしまいます。
回想中に東京タワーの麓から頂上に変わるに連れて解像度が落ちて絵の具が滲んだようになるシーンがありますが、楽曲「約束タワー」の歌詞である「笑顔で 涙で 滲んだ約束タワー」からきている描写ではないでしょうか。
ワイルドスクリ───ンバロック 終幕
さいごのセリフ
神楽ひかり×愛城華恋のレヴュー、ではないんですよね。劇場版が完パケされる2,3日前まではレヴュー名が付いていたそうなんですが、最後の最後で古川知宏監督がさいごのセリフに変更したそうです。観客に華恋が最後に何を言うのかを考えてほしかったからだとか。
華恋は、私だけの舞台とは何かを見つける事ができないまま、ひかりと対峙します。華恋はひかりこそが自分にとっての舞台だと語り始めますが、ひかりからの返答は華恋の想いに対するものではありませんでした。
ひかりは今立っている場所がもう舞台の上だという事を華恋に告げ、華恋は「舞台の上って、こんなに怖いところだったの… ?」と観客の方を見て呟きます。華恋にとっては神楽ひかりだけが舞台であった為、今まで本当の意味で観客に向き合った事が無かったからこそ、初めて舞台に立つ事を怖いと自覚したわけですね。そして、華恋は舞台少女としてのアイデンティティを完全に喪失し、死を迎えます。ひかりは、華恋がもう一度舞台に戻ってきてくれる事を願ってダイナミック直葬で送り出します。
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┃ ┃ ┃ ┃ ← 愛城華恋再生産用棺桶
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華恋はもう一度舞台に上がる為、幼少期の華恋からトマトを受け取ります。ひかりと約束の舞台に立つという運命を失くした華恋が何を燃やして生まれ変わるのか。それは過去の思い出以外にありません。幼少期~小学生~中学生までの思い出も、幼少期にひかりから貰った手紙さえも燃料に変え、ジェットエンジンに点火して再びひかりの元へと舞い戻ります。
劇場版の予告編動画から登場していたひかりのセリフ。再び舞台に戻ってきた華恋を迎える為の言葉だったんですね。
華恋とひかりの新しい口上。「愛城華恋は 舞台に一人」「舞台の上に スタァは一人」という部分が、今までのひかりと二人でスタァになるという運命の輪から完全に外れたという事を表していますね。
華恋はひかりの姿に見惚れてしまいますが、ひかりに対して悔しいという感情を抱きつつ、さいごの言葉を紡ごうとします(ここで華恋の武器であるPossibility of Puberty<思春期の可能性>は折れてしまいます)。そして、ひかりは冒頭の別れの為の舞台でも華恋に投げかけた言葉を再び口にします。
華恋はひかりに立ち向かいますが、ひかりのBlossom Bright<止めを刺す為の短剣>に胸を貫かれて敗北します。☆を飛ばされるのではなく、胸(心臓)を貫かれるのがポイントですね。初見では意味が理解できなかったのですが、ひかり自身の手でひかりと運命の舞台に立つ為に生きてきた華恋に止めを刺すという描写になっています。華恋は胸を貫かれながらも「さいごの言葉」を紡ぎます。
その瞬間、華恋の胸から大量のポジションゼロの鉄塊が溢れ出し、運命の舞台に立つ為のチケットとして交換したお互いの髪飾りが外れ、運命の舞台の象徴であった約束タワーは真っ二つに割れ、上半分はポジションゼロに突き刺さります(文章にするとスゴくバカっぽい)。冒頭の別れの為の舞台でも東京タワーからポジションゼロの鉄塊が溢れ出していましたが、華恋はひかりと別れなければならない理由がわからなかったので、東京タワーはグシャグシャに潰れてしまっていたでけでした。華恋からひかりにさいごの言葉を言う事によって、華恋とひかりは初めて好敵手として認め合う対等な関係になる事ができたんですね。
最後に、全ての舞台少女が自ら上掛けを外して空へと投げ、華恋はスタァライトではなくレヴュースタァライトを演じ切ったと言いますが、この演出はメタフィクション的に聖翔音楽学院99期生の物語の終わりを示していると共に、舞台少女として演じていた時間が終わり、舞台女優へと成長していく事を示しているのでしょう。「空っぽになっちゃった」と言う華恋の左胸(心臓)の部分がポジションゼロの形に裂けているのは、舞台で生きる者としてのリセットを表していて、だからこそ華恋の進路はエンドロールでは示されず、次の舞台を探し求める者としてオーディションを受けているシーンで〆られたのだと思います。華恋とひかりの髪飾りを付ける位置がそれぞれのカバンに移動しているのは、運命の舞台に立つという一種の呪いに囚われ続けていた二人が互いに依存しすぎない付かず離れずの距離感になった事の証明ですね。
ようこそ わたし ポジションゼロへ
ワイルドスクリ───ンバロック とは
ロンド・ロンド・ロンドでのキリンとななの会話および劇場版でのキリンとひかりの会話のセリフで語られている内容でキリンが答えている内容を読み解いてみます。
大場ななが再演を繰り返した果てに見た舞台少女全員の死。そんな未来を回避する為でもあり、野生の本能のままに醜い感情すらも全てさらけ出し、わだかまっているものに決着をつけて、新しい舞台へと進む。これこそがワイルドスクリーンバロックの意味するものではないでしょうか。
ちなみに、ワイルドスクリ───ンバロックの罫線が長いのは、監督がメモに書き殴っていた罫線が長かった為、そのまま採用したようです。意味ありげなのに深い意味がないところが逆に良いですね。オタクは違和感を探して勝手に考察を始めるのが大好きなので。
🍅トマトの意味🍅
劇中にはトマトが潰れるシーンと食べるシーンと受け取るシーンの3パターンがあります。
① 冒頭シーンの別れの為の舞台でひかりと別れた際にトマトが潰れる(華恋)
② 舞台で演じ続ける事を望むキリン(観客)からこぼれ落ちたトマトを喰らう(香子・双葉・まひる・純那・クロディーヌ・真矢・なな)
③ 舞台の燃料として燃え落ちていくキリン(観客)からこぼれ落ちたトマトを喰らう(ひかり)
④ 舞台少女としての生き方を見失うと共に死亡し、トマトが潰れる(華恋)
⑤ 舞台少女としての魂を失うも、ひかりと運命の舞台に立つ事だけがゴール地点であった全ての過去を焼き尽くし、ひかりのライバルとして舞台に立つ為の魂を再生産する過程で幼少期の自分からトマトを受け取る(華恋)
⑥ レヴュースタァライトを演じきった後、ひかりからトマトを受け取る(華恋)
🍅 塔に上がる事だけが舞台少女としての生き方であった為に、塔を降りると潰れてしまう華恋の魂
🍅 餓え、乾き、貪欲に次の舞台を求め続ける舞台少女に魅せられ、燃料として残る観客の魂
🍅 次の舞台を目指す為、華恋がひかりから受け取る生まれ変わった新たな魂
トマト = 舞台少女と観客の魂を現すメタファーでもあり、「未完成の舞台少女」であった9人が、燃料となるトマトを喰らう事によって「完成された舞台女優」に至る、という事ではないでしょうか。トマトの花言葉が「完成美」「感謝」である事に掛けている部分もありそうですね。
最後に
自分なりの解釈が多分に含まれるのと、パロディやオマージュになっている部分にはあえて触れていません。元ネタの部分に触れすぎると、作品単体としての見え方が変わってしまう気がするのと、ただの知識マウントになりがちなので。
総括すると 野生の本能 × 好敵手との闘い × 卒業と進路 で構成された映画なんですが、やっている事は完全に少年向けバトルアニメそのものなんですよね。それでいて少女☆歌劇として圧倒的な映像美と楽曲で全方位からボコボコに殴られる。
ここまで長々と書いてきましたが、顔が良い女の子同士がクソデカ感情をこれでもかというくらいに本気でぶつけあい戦う姿の美しさにただ見惚れていればいいだけの映画に、そもそも考察なんて必要なのか?と思わなくもないですね。初めてこの映画を観終わった後、心の中で「これこそ、私が見たかった舞台!わかります!!」と叫ぶだけのキリンになりました。
この記事を書き終わった時点で劇場版を5回鑑賞しているのですが、まだまだセリフの細かい部分に間違いがありそうなので、今度はメモを取りながら6回目を見て徐々に修正していきたいと思います。
↓ 読んでおくと劇場版の解像度がより鮮明になるのでオススメです ↓
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