借料無料の我が人生。

今から綴ることは、私の人生である。

私は生まれて数秒で死んで

誰かが私の身体を借りてその誰かが

「私」として生きている。


2000年12月3日。

私はとある家の長女として生まれた。

と同時に、両親の期待を裏切った。

母の出産を担当した医療スタッフのミスで

生まれて間もない私の柔らかな頭に傷が入った。

その傷から何らかの菌が入り

私はB群溶連菌による髄膜炎を発症した。

現場の方の懸命な処置治療により

私は一命を取り留めたが髄膜炎の後遺症により

脳性麻痺と発達障がいを患ってしまった。

私の兄、家族にとって第一子となる子が

遺伝子変異による障がいをもっているので

第二子である私も障がいを患ったことは

両親にとってショックな出来事であろう。

しかも私は健常者として生まれてくるはずだった

存在であったから尚更だ。

私が兄の代わりとなり両親を

支えていかねばならないのに。

生まれた瞬間から私は償うべき罪を犯した。


時は流れ私は小学生となった。

新しい友達や楽しい学校生活が私を待っている。

そう胸を弾ませられたのはほんの一瞬だった。

小学一年半ばから脚の手術の為の入院

併設された特別支援学校への転入が決定した。

家族と長期間会うことの出来ないことや

術後の痛みやリハビリはツラいものだった。

二年生になり私は地元の小学校へ戻った。

やっと楽しい学校生活が送れる。

そう期待をしていたが現実は痛みやリハビリより

ツラいものだった。

歩行器で教室内を歩いていると脚を掛けられ

歩き方をバカにされ、仲間はずれにされた。

その仲間はずれは高学年になっても続き

そのストレスにより爪を噛むようになると

爪を噛む行為が仲間はずれの対象となった。

毎日「死ね」や「消えろ」のシャワーを浴び

帰ってきたらネットの中で生きる日々。

私は生きている意味はあるのだろうか。

消えたかったが勇気が出なかった。


中学高校は県内の特別支援学校に行った。

障がいに対する差別偏見は勿論無く

至って平穏に暮らせていた。

ふたつだけ残念な点をあげるとするならば

部活動が無かったこととバイト禁止だったこと。

理由は、学園ドラマで見る「青春」ぽいことを

してみたかったからだ。

ちなみに演劇部か合唱部に憧れを抱いていた。


社会人になり少しした頃に、運命の人に出逢う。

当時応援していたアーティストのファンで

私よりも年上の男性である。

第一印象は少しだけ悪かったが接していくうちに

私と気が合うことを知り、好意をもった。

そんな日常を送っていたある日、夢を見た。

アーティストの運営スタッフに私が

結婚報告をする夢なのだが、なんとその相手が

想いを寄せていた彼であったのだ。

彼にそのことを話すと案の定驚いた。

そして、私が好意をもっていることを

遠回しに伝えると、彼はそれを察し告白をした。

こんな漫画のような展開があるのだろうか。

私達は動揺を隠しきれなかった。

それから喧嘩をしつつも仲を深めていった。

彼に対して信頼は物凄くしているが、ひとつだけ

謝りたいことがある。

それは、健常者よりも負担がかかることだ。

福祉制度の勉強やデートでの配慮などを

していただかなくてはならないし

障害者雇用の私は給料があまり無く

彼に頑張っていただかなければ

生活が苦しくなる。本当に申し訳ない。

しかし彼はその覚悟をもって私といてくれる。

感謝してもしきれないくらいの存在だ。


私が生まれる時間を

一ヶ月でも一週間でも一日でも

一時間でも一分でも一秒でもずらしていれば

家庭を支えられ、いじめにも遭わず

「青春」を謳歌し、愛する人に負荷をかけない

平凡で当たり前で

素晴らしい人生になっただろう。

今でも「本当の私」が送るはずだった日々を

考えると後悔ややるせなさで涙が出てくる。

しかし、障がいを患っていなければ

出逢えなかったことや人はたくさんあるのも

事実には変わりない。

私が出来ないことを羨む人生よりも

私にしか出来ないことを誇れる人生にしよう。


借りものゝ命がひとつ

厚かましく使ひ込むで返せ


私が好きな曲の歌詞にもある通り

どうせ借りた身体(いのち)ならば

好きなことや無茶なことをたくさん経験して

悔いの無い人生にした方が良い。

人生は奇跡の連続なのだから

きっと良いことが待っているんだ。


今日も私はどっかの誰かの身体を貸してもらって

「私」として生きていく。

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