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【雑記】知識マウントに就いて

 シネフィルおじさんが炎上した。
 Twitterで「映画を1000本すら観てない人は、映画好きを名乗る資格はない」と投稿したらしい。知識マウントってやつだ。

 うん、確かにネットがない時代は情報の入手経路に制限があったり、入手困難なDVDやCDが沢山あったりして知識マウントが一定程度は成り立ったんでしょう。
 けども現代では映画も音楽もサブスクにいくらでも転がってる。
 つーか娯楽だけでなく歴史も、科学も、あらゆる情報をネットでアクセスできる。
 情報の優位性が希薄になってるんすね。
 で、皆んなそれを取捨選択して暮らしてるから、知ってること、知らないことのバラつきは当然出てくる。
 観ようと思えば観れるけど、観ないだけ。知ろうと思えば知れるけど、知らないだけ。
 だから知識豊富なだけじゃ価値はなくなってる時代だよなぁ、と思う。

 しかし博学が無駄になわけではない。知識を処理して、応用する知恵に役立つ。
 だがそれさえ遠くない未来に人工知能が大半のことを代わりに処理してくれるようになる。だから知恵すら危ぶまれる時代がやってくるような気がする。
 じゃぁ人間が人工知能に優るものは何かっていうと、感じることだと思う。
 人は暮らしの中で笑って、泣いて、怒ってしてる。これなら今のところ人工知能には不可能。

 もしシネフィルおじさんがそれでも映画で人の価値を測りたいのなら、
 それは数ではなく、一本の映画で何を感じ取ってるかだと思う。

 感受性がなにより価値のあることだよなぁ、と日々思っている。


 シネフィルおじさんは「人の価値はどれだけ映画を観ているかで決まる」と相当拗らせた偏見を抱いてるので、間に受けても仕方ないのだけど、ど、日頃から思うことだったので書きたくなっちゃった。御免。

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