夢バトル

最近、オーストラリアで就活を終えて新しい就職先が決まった。
今までのオーストラリア生活では奇跡的に順風満帆に仕事を見つけられてきて、今回初めてのやや苦戦だった。
そこでjob hopperなわたしの面接遍歴を辿っていこうと思う。

1. 初バイトのトンカツ屋

上京してきて初めてのバイト先となったトンカツ屋。
高時給と美味しい賄いにつられて応募した。
面接は料理長みたいなおじさまがしてくれたらような気がする。
面接は全然記憶にないけど、このお店でひとつ自分の価値観を作るきっかけになったことがあった。
駅前ビルの立地、美味しいトンカツ、キャベツ食べ放題、都会の夜景が見えて雰囲気も良かったのに、なかなかお客さんが来ない日が続いた。
一時期はディナーで3組とかで、売り上げより人件費のほうがかかってますやん、、って時もあった。

受付でお客さんをひたすら待ちながら虚無の時間を過ごしていた時、ふと、
「私は将来トンカツ屋になりたいわけじゃないのに、なんでここにいるんだろう?」と思った。

それがきっかけで、大学卒業したらどんな仕事したいか?と考えるようになった。
ほどなくしてトンカツ屋は閉店となった。

2. 空港のホテル

トンカツ屋の閉店にあたり、仕事探しをすることになった。
「トンカツ屋じゃないなら何屋になりたいんだろう?」と考え、空港で働きたいとぼんやり思いついた。
空港の仕事を探して、某空港の某ホテルでアルバイト募集しているのを見つけた。

面接は支配人がしてくださり、親に相談して履歴書をつくり、入学式のスーツとトレンチコートで行った。
ただのウェイ大学生だった私だが見事採用してもらい、ホテルフロントスタッフとして働かせてもらうことになった。

今思えばここの支配人や先輩たちには、接客の基礎を教えてもらえて、先の仕事にも確実に繋がったと思う。
先輩がお客様に「よろしゅうございますか?」ってお話ししてて、よよよよろしゅう?!ってなったの覚えてる。

外国人のお客さんも多く、英語話せない自分に苛立ちを感じ、英語の勉強したいと思うようになった。

後々就活をするときに、航空業界で勝ち進むための武器の一つになったので、この職場とご縁があったことはまじで神に感謝しかない。

ヘルプ頼まれて出勤できたのに、空港までの電車賃がなくて行けなかったり、
往復1.5時間かけて通ってて長時間働けなかったり、
クセ強いおじさまに囲まれて恐怖を感じながらも、
働き続けてくれてありがとうあの時の自分🥹🫶🏻

3. 映画館

とはいえ、ウェイ大学のウェイ友たちは、
ウェイ居酒屋で楽しくゴリゴリお金を稼いでおり、
「わたしも大学生ならではの仕事した〜い」と思い、
かつ自分の中で洋画大ブームが巻き起こっていたので、
家から近くの大型映画館で掛け持ちすることした。

面接官はクセツヨのマネージャーで、基本ある程度以上の学歴ある大学生しか採らないという謎の学歴主義者だった。
わたしのようなウェイ大生は基本的に学歴で不採用になるらしいのだが、面接中に最近映画館で見た映画とすきな映画を聞かれ、
「マイインターン」と「LEON」を挙げると学歴主義者のお気に召したのか、採用してもらえることになった。
仕事はポップコーン作ったりお掃除するだけなのに、謎に高学歴に囲まれて働くことになった。

仕事自体は楽しく、映画の割引もあって、ば先のお友達もできて良い環境だった。

しかし学歴主義者がある日突然、「シフト希望をオーラス(オープン〜ラスト)で出さない大学生は社会を舐めてます。仕事はあなたの生活を充実させるための手段ではありません。大学生だからといって仕事を舐めないでください。」と全バイトに通達をよこした。

私はオーラスシフト希望を一度も出したことなく、社会をペロッペロに舐めまくった大学生だったので、方向性の違いから辞めることにした。

映画館業界は意外とシビアで、売上のほとんどは飲食で成り立っていると知った。
ここで働いてからは映画館行くと必ずドリンク一杯頼むようにしてる。リスペクトの意味を込めて。

4. シドニーでの初バイト

なんやかんやシドニーに留学することとなり、初の海外バイト探しを経験した。

無知でピュアだった私は、未経験かつ英語もハロー、ハワユーくらいしか喋らないのに、現地のカフェでバリスタをする気満々でいた。飲食店なら雇ってもらえるだろう!と謎の自信を持ち、1週間ほどレジュメを配り歩いた。

オーストラリアの特に飲食の仕事探しは千と千尋styleで、「ここで働かせてくださいっ❗️ここで働きたいんですっ‼️」と突撃訪問するのが一般的だ。
千尋なみに世間知らずだった私は、贅沢にも、インスタとかで広告に出てくるイケ✨カフェ✨で自分がバリスタできると思い込んでいた。(痛)

現実は甘くなく、レジュメを配りに行き、
「は、、はろー、、ソーリー、、
アイムルッキングフォーザジョブ」の時点で
従業員の🤷🏻‍♀️❓を喰らうことしかなく、
レジュメ配るだけでHPを消費し、
アッ、こりゃ無理だ‼️と早々に諦めた。
そして学校の友人のツテでジャパレスを紹介してもらうこととなった。

面接は覚えてないけど、たしかビザと英語力、何日働けるかを聞かれて無事採用となった。

日本人経営の日本人スタッフオンリーの店で、注文はパネルオーダー。
料理運んでバッシングするだけの仕事で、そこそこお給料もらえてありがたかった。
学校以外のコミュニティもできて、旅行いく仲間にも出会うことができた。

ただ、英語話せない日本人という立場の弱さがあったのか、オーナーがやりたい放題系でセクハラ&パワハラの蔓延る危うい環境であった。
でもここにしか働ける場所ないから、、と我慢しているような人も多かった。
英語話せないと、安全に暮らせる居場所がないなと痛感した。

そこそこに働いて、学校の試験に集中しなきゃマズイというタイミング&言い訳で退職した。

5. シドニーでの第二のバイト先

なんやかんやあってシドニーに出戻りし、またバイト探しすることとなった。
貯金握りしめて来たので、とにかく直ぐにたくさん働けるところで仕事を探し、友達から「イケメンが働いているらしい」というクチコミで第二のジャパレスにレジュメを配りに行った。

面接官は女店長と男のアシマネだった。
笑っちゃうくらい印象に残っているのが、第一声が、
「あなたの夢はなんですか?」
だった。
かくかくしかじかで夢バトルを語り、採用してもらえることとなった。
この時はクセェ〜としか思わなかったけど、この後この夢バトル店長と揉め、退職することとなった。

まだ折り返し。長すぎるからおゃり。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?