よみがえる


10年くらい前のことである。

僕は訪問マッサージという仕事をしていた。訪問マッサージとは、寝たきりになった人の家に訪問して、マッサージをする仕事だ。

あまり知られていないが、人間の関節は動かさずにいると固まってしまう。他人が曲げようとしても、関節が全く曲がらなくなってしまう人もいるくらいだ(剛直という)。

この状態では、介護もままならない。そんな状況を予防、あるいは改善するために、医師やケアマネジャーからの命を受け、マッサージ師がおもむくのである。


この訪問マッサージだが大変な仕事である。マッサージ自体はそこまで大変ではないのだが、寝たきりにセットになってついてくるものがある。それは「認知症」だ。

一言に認知症といってもレベルは千差万別。「ちゃんとコミュニケーションはとれるけれども、なんか物忘れが多い」くらいの人から「今自分がマッサージをされているのかまったくわかっていない」レベルの人まで様々だ。


そんな中で印象的なエピソードはたくさんあるが、今回その中から個人を特定できない程度にAさんの話を書いてみたい。なお、10年以上前のことで、ご本人は既に亡くなっている。

<以下、有料記事にさせていただきます。Aさんとのふれあいで僕が感じたことが述べられています>

Aさんは自分が認知症だと思っていないタイプの認知症だった。多弁で、主張が強く、好き嫌いがはっきりしている。さらに日中に幻覚を見る。幻覚を見るのはいいのだが、幻覚を幻覚と気付ないところが認知症たるゆえんである。

僕はAさんのところに3日おきにマッサージに行っていた。しかし「あれ?あなた2日連続で来たのね。仕事が欲しいのかもしれないけれども、私そんなにマッサージいらないわ」などといわれてしまう(もっとも、この場合「幻覚」なのか「時間感覚に変調をきたしている」のか、ちょっと判別がつかないところではあるが)。

ある日Aさんのところに行ったら、こんなことを言い出した。
「今の医学って本当にすごいのね。私びっくりしちゃったわよ」
「どうしたんですか?」

Aさんはかなり興奮した様子である。
「何年か前に死んだ兄が、青い顔をして昨日の晩に訪ねてきてね。挨拶していったのよ。もう……突然来るんだもの。私びっくりしちゃって」

こういうときに、妄想は否定しないのがルールである。同時に妄想を促すのもよくないこととされている。しかし僕は仕事以前に、どうしても妄想の続きが聞きたくなってしまった。


「亡くなったお兄さんがいらっしゃったんですか……? でも死んだ人が生き返るなんて……。そんなことあるんですかね? それ、幽霊ではないんですかね?」

「なーにバカなこといっているのよ。幽霊なんかいるわけないでしょう。あれは迷信なんだから」

「はあ……」

妄想VS迷信という言葉が頭に浮かんだ。どっちが強いんだろう……。Aさんはそんなことはおかまいなく続ける。

「お兄さん白衣着ているのに(マッサージ師が着るケーシー服)物を知らないのね。医学でよみがえったのよ。今はこんなに医学が発展しているのね。でもあれ、お金かかるんでしょう?」

お金……。もしも医学でそういうふうにできるのなら、きっとかなりのお金がかかることだろう。いくらくらいなのかな。頭で考える一方で、言葉はぼんやりと濁す。

「死んだ人がよみがえるとなると……。それは大変なことですからね。僕にはわからないけれども、お金がかかるのかなあ」

「誰が払ったのかしら……。まあいいわ。でも、本当に昨日の夜はびっくりしちゃったわよう。私も死んだら生き返らせてもらえるのかしら……」

「……ふふ。どうでしょうねえ。何ともいえないところですが……」

話を聞いていて、僕はほとんど感動した。平静を保つのに必死だったくらいだ。なにしろAさんの話は論理だっているし、常識に基づいている。おかしいのはただ1点だけ。「死者が訪ねてきた」ことを幻覚と気付いていないことである。

Aさんの誤解を補強しているのは「医学の発展」であることも読み取れる。きっと日頃から「医学は自分には理解できないほど発展している」「医療従事者は自分には理解できない話ばかりする」「今の医学なら何が起こっても不思議ではない」という認識があるのだろう。

いや、そんなことより死者がよみがえって挨拶に来る幻覚は、ロマンチックではないか。いや、もちろんご家族はロマンチックどころではないし、僕もマッサージ担当としていろいろと苦労をしている。それでもこの瞬間は、ほんの少しだけ「いいな」と思った。

こんなこともあった。
「昨日はこの部屋でパーティしたのよう。だから疲れちゃって」
「パーティしたんですか」
「そう。ここ、立派なシャンデリアがあるでしょう。だからみんなここでパーティやろうっていうのよ」

確かにAさんが寝ている部屋にはシャンデリアがある。応接間だったところに介護用ベッドを設置しているのだ。ただし、ベッドの外は足の踏み場もない程に散らかっている。一言で言えば、ぐっちゃぐちゃ。もちろんパーティは無理だ。

「楽しかったですか?」
「そりゃ楽しいわよ。音楽をかけて、みんなで踊っていて……。私は起き上がれないからここから見ているだけだけど。それでも人と話すと疲れるのね。なんで人が来るだけでこんなに疲れるんだか……」

楽しかったのか。Aさんにはテレビを見るくらいしか娯楽がない。でも、妄想と幻覚の世界で疲れるまで遊んでいた。本人からしたらほとんど最高なんじゃないのか。

訪問のマッサージの時間は1回20分。話が好きな人だと、20分間ずっと雑談をすることになる。認知症の高齢者とこんなに長い間雑談をするのは、訪問マッサージ師くらいだと思う。家族も、介護関係者も、医師もみんな忙しくて、こんなに話せない。

自分が将来、目の前の出来事がわからなくなってしまったら、どんな風に世界を組み替えるだろう。Aさんみたいに楽しい幻覚を見られるだろうか。

サポートしていただけたら妻においしい果物を買ってきます。