さらば無常のゲーセンたちよ

前回から数日経ってしまったが、マイペースにいこうと思う。

僕はゲームが大好きだ。小学生頃からなのだが、ゲーセンという空間で遊ぶことが好きなのだ。
それは高校生になり勢いを増して行った。

きっかけは、高1の頃だ。
友人に借りたCDをきっかけに、僕はある音楽ゲームにハマった。初めは体感系ゲームは昔バイクゲームなどで遊んで以来で、緊張はした、が、西大和のSATYで初めて筐体を見つけた時に勇気を出して『やってみよう』とコインを入れた。どうせギャラリーはいないのだ。

勿論、初めてのプレイは全く出来なかった。出来なかったが、もっと遊んでみたいと楽しみはここから膨れ上がっていくのである。

その少し後だっただろうか。三条通りの大きなJoshinが姿を変えた。
今も尚燦然と輝いているであろうあの"Amusement CUE"に。
地元のSATYで土日の夕方楽しむだけだった僕は、すぐにCUEをメインホームに変えた。(といってもSATYでも続けたが)
薄暗くも煌びやかなフロア、他の音楽ゲームも並び僕はすぐにその空気に惚れ込んだ。他の音楽ゲームも始めたり、色んなゲームに触れるようになったのだ。
友人とも最も遊びに行った場所でもある。昔のCUEは一時期4Fにスクリーンとテーブルと椅子があり、当時隣にあったマックでテイクアウトしてきて、そこで食べて格ゲーの大会DVDが映し出されたスクリーンを楽しんだりもした。テスト期間中はちょうど遊んで帰るのに良い時間だったのだ。

他にも奈良の街にはゲームセンターはないだろうかと散歩がてら探すようになった。
懐かしのVIVREの地下のプリクラコーナーにも筐体はあった。
新大宮のROUND1へ足を伸ばしたこともある。

なんとなく気に入っていたのは、餅飯殿商店街にあったやや治安の悪そうな店だ。店名がどこにあったのかもわからない。
そこには奥にビデオゲーム数台があり、割と手前に音ゲーが一台だけあった。段ボールで、キャラクターの絵と『連コ禁止!』と描かれた手作りの看板が画面前の絶妙な位置に置かれていた。連コとは、連続でコイン投入・・・つまり、後ろに待っている人がいようがいまいが構わず連続プレイをする迷惑行為である。その看板があることが僕の中で高ポイントだった。少しガラの悪い雰囲気のなか、そこは温かかった。
そして、煙草のにおいが薄く充満していた。僕は、昔の父の影響なのか喘息持ちにも関わらず煙草の匂いが好きだ。この頃もそうで、やはりその匂いに気持ちが高揚するものがあった。
そんなゲーセンも、確か界隈で一番最初にシャッターが下りてしまった記憶がある。

次に、そこそこ人気があったであろう老舗がひがしむき商店街にあった。行基さんの前に立つと見えてくる場所であった。
名前はなんといったか忘れてしまったが、ナンバーワン、とか、ベストワン、といった『一番!』なニュアンスの名前だった事だけは覚えている。
そこは狭いながらも2階がプリクラコーナーになっており、1階は所狭しと何種かのゲームが置かれていた。ゲームのトーナメントイベントなども盛んだった。
ここも音ゲーが何種かあり、友人と連れ立って遊んだ思い出が深い。が、こちらも盛り上がりを見せていた割には地味にいつの間にか閉店していた。世は無常なのだ。

こうして奈良駅周辺の行きつけゲーセンを2件失った僕であるが、最後に特筆したいゲーセンがある。
正確にはレンタルビデオ・書籍が1階、2階にカラオケだったかビリヤードだったかと、そしてゲーセンというやや大きめな店である。
大和郡山駅駅前の、また名前は忘れてしまったが・・・非常に居心地のいい場所だった。
自分がなぜそのゲーセンを知ったのか記憶になく、不思議なのだが、いつの間にか行くようになった。
定期で通学していた際は途中下車してプレイしに行ったものだ。時間帯的に人が閑散としていて、僕が学校へ向かうのと入れ替えに、下校途中の近くの高校生が入っていた。いつも人のよさそうなおじさん・・・恐らく店長さんがカウンターからそんなフロアを見守っていた。その空気が堪らなかった。
仲の良かった友人と駅で待ち合わせて行ったことや、帰りに寄って帰った事も一度や二度ではない。
おじさんはそんな僕を見ていてくれたのだろう。ある日、別の友人とプレイしにいくと、おじさんが筐体の中をメンテナンスしていた・・・と思いきや、僕も友人も失念していたがその日は新バージョンの稼働日だったのだ。なので、おじさんは基盤をいじっていたのだろう。
ふと、こちらを見たおじさんが、一つ前のナンバーの看板(筐体上部のプレート)を掲げて、『これ、持って帰る?』と声を掛けて下さった。
正直、前のナンバーはそこまで新曲やコンセプトには愛着がなく、バックナンバーの曲でばかり遊んでいたので、前のナンバーをより好きな人にそれを持っていてほしかった。
隣の友人に、もらう?と訊くと、同じく首を横に振り、『宵壱が訊かれたんだし』と小さく遠慮していた。
申し訳なかったが、僕はやんわりとおじさんに断った。
あの時素直に貰えばよかったのかもしれない。あの後どうなったのかもわからないし、おじさんの好意を無駄にしたかもしれない。
そんな温かくももどかしい想いをしたまま、数年後店は徐々に寂れる様子を見せ、今は派手なパチンコ店になっている。

例えその日の所持金が数百円しかなかろうと、百円は必ず音ゲーのワンコインにしていた日々。
楽しかったな、と思う。楽しく、そして鍛えるようにプレイした日々は誇らしさすらある。1プレイ3曲(または4曲)、トータルおよそ10分あるかないかの時間が、最高に楽しませてくれた。
こうして書いていると、CUEに"帰りたく"なった。腕前は落ちていると思うが、またあの時間を同じように過ごせるはずだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?