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シリーズ他人の大学:大人になってから考える友達のやり方 Q and Aコーナー(前編)

https://note.com/320_42/n/n0b0b6bcff2ab


Q. 友人の気遣いからくるアドバイスや心配が、正直面倒で困っています

A. 「気遣い」の意味を考えていない人が多いのではないか

 確かに、そういう場面はしばしばあります。「気遣い」って、実はそう簡単にできることではないのに「気を遣っている感じ」を出しさえすれば気遣いをしていることになると思い込んでいる人が多すぎるように思うのです。

例えばちょっと肌寒い時に半袖を着ていたりすると

「えっ、寒くない? 大丈夫? めっちゃ寒そうだけど平気?」

とか言われても、言われた側は

「大丈夫。寒いの平気なんだよね」

と返すしかありません。寒かったところで、上着を差し出されても困りますし、そもそも相手がそういうつもりで言ってないことも理解できるからです。言う側も、何か具体的に行動を起こすつもりは元々ないんだけど、これを言っておけば気を使ったことになって言い得だから言っているんじゃないのかなあという気がします。大学生くらいまでだったらある程度限られたコミュニティーの中で、かりそめの調和を維持する意味合いでいいと思うのですが、大人になってもこうだと、程度にもよりますが、人間関係としてはちょっとしんどいんじゃないか。

 言ってる側としても学校生活で学んだやってる感の気遣いセオリーをそのまま応用して発言しているだけなので罪はありません。言葉にするのは残酷な感じもしますが、大人になっても人間関係の捉え方が平面的なままで「友達に気を使っている人」でい続ければ、なにかこの場にいる権利を保証してもらえるんじゃないかという期待をしてしまっているような印象です。罪ではないんですけど、だからこその負担があるというか。

 大人の人付き合いが子供の人付き合いと根本的に違うのは、基本的にはほとんどの人が自分の生活費を自分で稼ぐしかないという点です。保護者に生活を支えてもらえている段階ではやってる感の気遣いって特に違和感がなかった気がします。しかし、大人になってお互いに生活を維持しながら、時間・お金・体力・精神力を捻出して人付き合いをしているのに、そこで「やってる感の気遣い」をされると、どうでしょうか。

 とはいえ、大人になっても「やってる感の気遣い」で成立している場面もそこかしこにありますから難しいところです。凄腕の銀行員の人なんかは、一見柔和っぽく「やってる感の気遣い」風の言い回しで本気の気遣いだけをやっているので技術力の高さに驚いてしまいます。

 本気の気遣いとはなんでしょうか。

 それは、シーンによっても異なりますから一言では語れませんが、強いていうならば

相手の目線に立ってなるべくお互いに負担なくリラックスできるような配慮をする

ということになると思います。

反射的に気遣いをしようとすると、つい口をついて出る言葉が「大丈夫?」になりますが、これを言ったところで大抵の場合は相手の「大丈夫ですよ」をカツアゲをする結果につながってしまいます。

 私もある時期まで、親切心から余計なタイミングで「大丈夫?」と聞いてしまっていたのですが、なんだかこれをいう度に場のテンションが盛り下がってばかりで自分が楽しくないし、相手も楽しくはないだろうと気がついたので、それからはなるべく言わないようにしました。絶対NGってこともないし、使うこともあるんですけど、困った時の万能フレーズとして脳死状態で発するのはやめたという感じです。

 なぜ「大丈夫?」って言われた人の内心に負担が発生するのかというと、ただでさえあんまり余裕がない(ように見える)状況なのに、急に他者視点に脳を切り替えて「心配そうな人」の精神的フォローをしてあげないといけなくなるからです。フォローは別にしなくてもいいので個人の自由の範囲ではありますが、心配の言葉をかける人というのは、それに対する返礼(気遣いのやってる感を出したことへの謝礼)を求めているので、スルーしたらがっかりさせてしまうでしょう。私が何も考えず「大丈夫?」を口走っていた時も、そのような返礼を期待しているある意味傲慢な気持ちがありました。やっている時は自分がいい人のように感じてしまっているので内心の傲慢さに対してかなり鈍感になっていたのです。気付いた時には、今までどれくらい他人の善意からくるフォローにただ乗りしてしまったんだろうと静かなショックを受けました。

 とはいえ、心配になってしまう気持ち自体は別に悪いものではないし、表現の方法を変えればフェアな(相手に一方的な負担を押し付けない)形で提示することもできるはずです。それでは「大丈夫?」の代わりに何を言ったらいいのでしょうか。
2パターン考えられます。

⑴例える

例えばですが、すごい大荷物を運んでいる人に対して

「古代ローマの奴隷みたいになってるけど、平気?」

という伝え方をすれば、今の状況が他人からどんな風に見えているのかバッチリ伝わって、他者視点に脳を切り替える負担が発生しませんし、お返しを求めている感じもそこまでない(単に状況に対する反応なんだなということが伝わる)ので、ある程度フェアで徒労や消耗がない状態を維持できるんじゃないかなと思うのです。

⑵具体的提案をする

「右側の荷物、半分持つよ」

など、具体的であればあるほど相手の対応の負担が減って親切です。手助けが不要な場合も、提案が具体的であればあるほど断りやすいし、代案も出しやすいです。そもそも具体的に労力を差し出すつもりがないのであれば、何も言わないので最も親切なので、「心配」の土台には具体性があるべきなのです。

[要するに]

 「気を使ってる感」で気を使ってることになるのは実は学生までで、働いている人同士の関係で毎回やっていると「みなし泥棒」の扱いを受けて、なんだか頑張っているつもりなのに周りの人が少なくなっていくという状況を招きやすいので、やらないほうが色々円滑です。
 相手の「気を使ってる感」で疲れてしまう場合は、思い切って伝えてみるか、もしくはやってる感に対してあんまり返礼をしないことで伝えていくしかありません。どちらにせよ、そこまで頑張って返礼しなくてもいい行為なんだなと心得ておくことで心理的な負担は減ると思います。


Q. 友達に舐められやすく、延々愚痴を言われたりきつい言葉を投げつけられたりすることが多いのが悩みです

A. 人間の脳は「自分が損をする可能性」がない相手に対しては、急に想像力が失われる傾向がある

 
 気持ちはよく分かります。このような悩みの根底には、平和主義的な精神があることが多いのです。なるべく他人の領域を侵犯せずに、くつろいで過ごしていてほしい。とにかく争いたくない。面倒な揉め事は避けたい、否定したくない。方向性は様々ありますが、一言で言えば、こちらの領域や限度を提示していないということになります。

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