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シリーズ他人の大学:真剣に考える、大人の友達のやり方

 大人になってからの友達の作り方が分からない、思っていることを言えるような相手がいないので、人生がつまらないという悩みをよく相談されるので、どうすれば大人同士の友人関係が築けるのか真剣に考えてみました。

結論から言うと、必要な要素はこの3つです。

⑴「余裕」
⑵「余白」
⑶「サービス精神」

 これらの要素は友人関係に限らず大人の人間関係には不可欠です。というか、本当は友人も恋人も家族も親も店員も客も上司も部下も、それぞれ関係に名前がついているだけで実際には人間と人間でしかありません。大人になっても他者性(他人が実在していることに対する経験や実感)が足りずに、お互いに人間でしかないという事実が飲み込めないまま「この人はどういった得を自分に与えてくれるんだろう」というエンペラー目線で人と接し続けていると、いずれは名前のついた関係も破綻します。それは、例えば友人関係や恋愛関係が破綻したのではなく、常に人間と人間の世界に1つしかない生身の関係が破綻しているのです。

 前提として、わざわざ気を使うのが嫌になるほどの相手であれば、大切な時間や感情や判断力のエネルギーを失ってまで接する必要は絶対にありません。なにも生身の人間だけに他者が宿っているということはないので、自分のペースで本を読んだり映画を見たり漫画を読んだりしてそこに宿っている他者性と触れ合っている方がずっと楽しいはずです。それに疲れません。得るものも多いです。人間関係が破綻しやすいという人は、まず自分が手持ちのエネルギーを使ってまで大切にしたいとは思わない人と無理に関わっていないか、ひとまず考えて関係を整理してもいいかもしれません。大人の時間やお金やスケジュールや感情のエネルギーってものすごく貴重というか、命そのものの源泉ですから、お互いに心ない関係でそれらを浪費してしまわない方が、相手にとっても大変親切であるように思います。

 これは筆者の持論ですが、そもそも「友達」ってヤバイんじゃないかと思います。冷静に考えてください。別に家族でもないし、付き合っているわけでもないのに、大人同士がわざわざ集まって食事とかお茶とかしているってかなりヤバイですよ。主に会話をしているだけですからね。そのあとラブラブになるってわけでもないのに、なんですか。何かしらやりたいことがあって積極的にやっている(仕事でもゲームでも惰眠の貪りでも)人が一緒に時間を過ごすために足を運んでくれているってちょっと信じられないなっていう気がします。今この世には無料でできる楽しいことがいくらでもあるのに。だから自分は急に友達がいなくなってしまっても、そまあそれはそれで当たり前かなと思います。いる方が奇跡的ですからね。そう考えると、友達がいないと人としてまずいんじゃないかという強迫観念に気を取られずに目の前で時間を一緒に過ごしている人との(もしかしたら最後かもしれない)時間をなるべく大切にしようと思えるので、結果として関係もうまくいきやすいような気がします。まあ、だめならだめでその時はその時というか。だってヤバイからね。

・「友達」の「作り方」という不自然さ

 「友達の作り方を知りたい」という言い方は、日本語としては何も間違ってはいないのですが、どこか不自然な印象があります。やっぱり冷静に考えてしまうと「友達」って相当ヤバイですから、そんなにヤバイものを一辺倒なメソッドによって獲得できるんじゃないかという発想が尋常ではないというか。手っ取り早くはありませんが、やはりここは地道に信頼の橋をかけていくしかありません。信頼の橋を掛ける正攻法は、まずはこちらから手持ちのエネルギーを割いて親切に接するということです。誘ったり提案をしたりするのは手間ですが、橋をかけたいと思っているのはこちらの側ですから惜しまず注ぎ込みましょう。重ねて申し上げますが、そこまでしたくない相手とは一切親しくしなくて大丈夫です。せっかくの人生なので、やりたいことだけを熱心にやって、他の全ては可能な限り全て放棄・無視する方法を考えましょう。SNSで気が合いそうな人に連絡をしてお茶に誘ってみるのはいいアイデアです。誘われた側も、そこに手間や覚悟を割いてくれたことに信頼を置いてくれる可能性が比較的高いのではないでしょうか。


⑵「余白」

 提示しているのが⑴「余裕」⑵「余白」⑶「サービス精神」の順番なのに、⑵「余白」の説明から入るのはちょっと変ですが、理由があってそうします。

 実は上記の⑴〜⑶の順序は人と関わる上で早期に影響が出る順番になっているのです。

 ⑴「余裕」は速攻型です。まず最初に影響が出やすい一方、誰しも心の余裕はタイミングによって増減しますので影響も長引きません。反対に⑶「サービス精神」は遅効型なので知り合ってすぐに影響が出るということもないのですが、一旦「この人はサービス精神がないな」という印象を持たれた場合にはその印象は変化しづらい特徴があります。⑵「余白」はこの2つの中間で、ある程度影響が出やすく、一度付いたイメージの影響は少し後を引くと言った感じです。

 実は人との関係を構築する土台として、この「余白」という概念が最も難しく、しかも重要ではないかと思ったので最初に説明をしたいのです。

 余白と一言で言われても具体的にイメージするのは難しいと思いますが、一言で言ってしまえば「解釈の余地」ということになります。

武者小路実篤の小説『友情』の中にこんなセリフがあります。

「皆、自分のうちに夢中になる性質をもっているのだ。相手はその幻影をぶちこわさないだけの資格さえもっていればいいのだ。恋は画家で、相手は画布だ。恋するものの天才の如何が、画布の上に現れるのだ」

(『友情』武者小路実篤・新潮文庫)

 つまり、人間の関係(この場合は恋愛)はキャンパスと画家が描いた絵のようなもので、人は相手に見たい幻想を投影してそれを見ているのに過ぎないという意見です。

 これはかなり極端で切羽詰まった意見ですが、部分的にはそうともいえます。自分が見ている他人には自分自身の解釈が大いに含まれるからです。これはどのような関係であっても変わりません。しかも関係とは双方向に成り立つものですから、お互いにお互いの解釈を投影している状態と言えます。筆者の感覚ですが、すごく接しやすい人はどの程度相手の解釈を引き受けて、どの程度引き受けないか、というバランスの取り方がすごく上手だなあと思うのです。
 
 自分の考える自己像を完全に押し付けてしまっては、まるで鏡を覗き込んでうっとりしているいるナルシストのようで人と一緒にいる意味がありません。客と店員の関係のようで、相手もつまらないでしょうし自分にとっても新しい発見がなく退屈です。

 ちなみに、恋に恋する状態に突入しているせいで全然モテなくて悩んでいるという人は上記の問題点を解決するとよいと考えられます。特に現代の恋愛という名称で一般的に流通している関係のあり方は、関係の導入部分でありもしない幻想を次々に投影し合い、過剰な夢物語を共有するというプロセスを踏んで行われることが多いからです。そのためにはむしろ余白を多少広めに設定しておくのがコツなのかもしれません。

 自認がどうであれ、他人の解釈はそれはそれで受け入れるだけの余白がなければ今度は他人のことを自分の姿を写してくれる優秀な鏡のように扱い兼ねません。人間をキャンバス扱いして好き勝手に思い描いた理想を描きなぐる恋する画家のような人物は迷惑ですが、他人を鏡扱いするナルシズムの押し付けのような行為も同じくらいの迷惑です。必要なのは、自己の全てを決定づけて語らずにお互いの解釈を共存させ合うだけの心のゆとりというか。自分の見られ方についてコントロールしようとし過ぎないおおらかさのようなものだと思うのです。

・余白をどう増やすか

 すぐに余白を増やそうとしても意識的にできることではありませんが、まずは自分語りをあまりしないようにするのが肝心です。自分語りがしたい場合は、見たい人だけが好きなだけタイムラインを遡れるSNSでやるのがベストです。自分語り欲はそちらで完全に発散しておき、友達と会話をするときには一人では生じてこない意識の流れや文脈を楽しみましょう。余白は速攻型ではありませんから、自分語りをしまくってもその日のうちに人が離れていくことはないのですが、1〜2か月すると人と疎遠になることが多いという方は特に要注意の項目かもしれません。

 SNSの感覚でハイペースの自分語りをしまくっていると明らかに余白が皆無になってしまって、極端なことを言うとファンに囲まれることはできるけど対等な関係の友人が全然いないインフルエンサーの状態になります。もちろんそれでいいなら全くそれで構わないのですが(そもそもいなくても当たり前だしね)、対等な関係でお互いの視点を共有するからこそ見えてくる自分の力ではたどり着けなかった風景ってたくさんあると思うので、あったらあったでとっても豊かなことだと思います。潤沢な文化遺産を安価で浴びるほど味わえる現代において、わざわざ直接人と会話するのってそれだけでものすごく贅沢なことをしている気がします。

 ちなみに余白が多すぎると、それはそれでただ相手の鏡になってしまいますから、余白が多すぎる(自我が希薄で主張が弱くファッション等も特色が全然ない)場合は自分を出してバランスを取った方がいいです。簡単な方法としては、靴にお金をかける(価値観の主張)、好みのシルバーやゴールド(しっかりした素材)のアクセサリーをつけるなどがあります。ファッションじゃなくても構わないのですが、余白が多い中に一点こだわりや意思を感じさせるものがあるとピリッと効いてきて効果的にいいバランスが取りやすいんじゃないでしょうか。

 自分語りも時として人との距離を縮めるカンフル剤になります。しかしその場合も自分だけが気持ちいいナルシズムの語り口になってしまうと相手の方も戸惑う可能性があるので、する際は「⑶サービス精神」の項目を参照するとよりいいんじゃないかと思います。


⑴「余裕」

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