よく考たら、それはただのラッキーだ

たまに行く本屋で私の友人でもあり

ファッションデザイナーの「millna」さんがプロデュースしている

橋本ルル(ドールモデル)さんが表紙を務める書籍

「人形メディア学講義」

を見かけたので購入して読んでみました。

↑この表紙に写っているのがドールモデルの橋下ルルさんです。

(人間が装着するドールですが、装着しているのはプロデューサーのmillnaさんとは限らない。しかしmillnaさんはここに自身の身体性を感じているそうです)



これがとってもおもしろい本でした!!
(おもしろそうと思って選んだ本30〜40冊の中で1冊あるかないかくらいの主観的面白さ)

本書は

「人形=人間身体の拡張・延長・外化として生じるメディア」
(むしろメディアこそが人形である)

と捉え、多角的に検証することで今日の人間というもののあり方に迫るといった趣旨で様々な文化を検証する内容になっているのですが、急にそんなことを言われても全然ピンと来ませんね。



本書の感想を踏まえつつ、今回は私の個人的な体験について記すことにします。



私は以前トイストーリー4を観た時に心底感激したのですが、同時に世間からの映画の内容に対する曖昧な反発的感覚に軽い失望感を抱いてもいました。



その「失望」とは


結局のところ、おもちゃはおもちゃであって欲しいという規範や願望に基づいておもちゃを愛しているのではないか。あるいはゴミはゴミであって欲しい。そうでないとしても、あくまでそうであるように存在すべきである。ましてや人間の身体もまたゴミと置き換え可能であるということに、事もあろうに主従関係の従であるところのおもちゃが気づくということ、まして突きつけることなどあってはならない。それはあくまで人間の手で、社会的手続きに基づいて葬儀や供養などを執り行い契約の範囲内で執り行われるべきなのだ。抜け駆けは許されない。


そういった生理的感覚からトイストーリー4への反発が生じているのではないか。


これは流石に考えすぎですが、私自身はそういった社会全体をうっすらと覆う生理感覚に対する嫌悪のようなものを催してしまったのです。


それはまた


もしそうであるとしたら我々は、我々にとっての身体というものは規範意識によって飼いならされ、部位別に経済的あるいは目的に応じた指標のタグが満遍なく張り巡らされた家畜に過ぎず、この与えられた身体からの抜け駆けは許され難いものになるのではないか

という懸念へと発展しました。


上記の懸念については残念ながら現実問題として横たわっていると考えられるものであり、整形や過度のメイクは後ろめたいものとされてきた規範があります。現代においてはそういった規範意識には変化が見られますが、それは規範自体の形状が変化しあるいは幅が広がり柔軟になっているだけの話であって、やはり根本的にこの身体性という重力磁場からの半目は決して許し難い抜け駆けとされるのではないか。


『連隊的身体性』


とでも言ったらいいのでしょうか。


自分の身体があくまで連隊的に属する部分的要素とされる時、私はひどく息苦しい。

運動が嫌いなわけではないが、体育はどうしても無理。


それは身体や言語が決して独自のものであってはならない、欠損が置き換え可能なシステムでなければいけないという著しい規範意識を連隊的に背負わねばならない苦しみによって、むしろ「代えがきかない身体性」というものにさほど依存せず存在する私自身の身体感覚がひどく阻害をされているように感じているからです。

ここから先は

1,405字
記事は単独購入より定期購読の方がお得な設定になっています。購読して頂いた月の記事はいつでも全て読めますが、購読していない月に配信されたものは読めません。 コンテンツの対価としてでも、応援の気持ちで定期購読していただくのでもラッキー鬼ドリルです。

水野しずの考えを最も率直に届けるコーナー。 毎週金曜日の夜に配信予定ですがわりと前後します。

よろこびます