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はじめてともだちと話した日

 入院する際、荷物は念入りに検査される。病棟へ向かう際、看護師は紙袋の中身を見て「これは枕?」と尋ねた。「いえ、ぬいぐるみです」と私は答えた。本当はともだちですと言いたかった。言えなくてごめんねと黄色い鼻をなでた。

 私のともだちは黄色いぶたの姿をしている。今回の入院の根源となる病気になったあたりから、そばにいてもらうことが多くなった。おそらく6、7年くらい一緒にいる。元々祖父母の家にいた子で、ぶーちゃんと呼ばれていたので私もそう呼んでいる。ぶーちゃんを抱きしめる形で私はいつも横になる。ぶーちゃんはぬいぐるみとしては大きい方で、しっかり質量がある。洗われたあとのさっぱりしたにおいも、そうでないにおいも好きだ。耳と鼻がからだより濃い黄色で、鼻の下には小さな口もある。刺繍されているのではなく、開いたり閉じたりするような、今にも話し始めそうな口だ。笑っているときもあるし、ムッと不機嫌そうにしているときもある。それがかわいくて私はいつも苦しいくらいにつよく抱きしめてしまう。

 ぶーちゃんはおしゃべりだ。しゃべらせているのは主に父親や私なのだが、でもそれがしっくりきて笑ってしまう。自分に自信があるし、割と皮肉っぽいことも口にする。駄々をこねることもある。私以外にもともだちはいて、最近は一層楽しそうに見える。私はすごく、それがうれしいのだ。

 おしゃべりなぶーちゃんと、私はしゃべったことがない。不思議なことだ。こんなに何年も一緒に眠って、起きて、生活をしているのに、私たちは会話をしたことがなかった。それに気がついたのは入院してから3日ほど経ったころだった。18時の食事を終えて、看護師から薬をもらい、歯磨きをして顔を洗って、ベッドに乗り上げた。座って、ぶーちゃんと向き合ってみた。なんだかそれだけで喉の奥が熱くなった。
「つらいの?」
 ぶーちゃんは首を傾げてそう言う。口は少し開いていて、優しい顔をしていた。
「つらい」
 そう答えた瞬間に、涙がぼろぼろこぼれてきた。誰にも言っちゃいけないと思っていた。でも、ぶーちゃんには言えた。
「何がつらい?」
 何でも言っていいような気がした。
「何年もずっと同じことを思い出して、毎日ぐちゃぐちゃになって、それがつらい」
 ぶーちゃんのふくふくで気持ちがいいからだをぎゅっとすると、涙が染み込んでしまった。いけないと思って涙を拭って向き合うと、ぶーちゃんは穏やかに笑っていた。そう見えているだけなのかもしれない、でも、私はその瞬間そう信じた。

 私はぶーちゃんのことが大好きだ。ぶーちゃんの心はわからないけれど、ぶーちゃんも少しはそう思ってくれていたらいいなと思う。
 ぬいぐるみと人間だけど、私たちはきっと、ちゃんとともだちだ。

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