見出し画像

障害者手帳の申請



先日、障害者手帳の申請を行った。役所の方からは少し哀れみの目で見られた、そんな気がした。

ついに障害者手帳の申請を行うことが出来た。
安堵の気持ちと複雑な気持ちが入り交じる。虐めてきた奴らの金で私の生活は少しは楽になるのだという気持ちがありつつ、何故未だこんなにも苦しい気持ちを味わなければならないのかとも思う。

遡るは中学時代、私はソフトテニス部に所属していた。特別強いわけでもないし、練習もとても緩かった。所謂、弱小チームというわけだ。暇つぶしのためか、それともたまたま運が悪かったのか私は何故か虐めの標的となっていた。
中学一年生の夏頃だったと思う。無視をされることが多くなっていたなと薄々勘づいてはいたが、私の上履きがゴミ箱に捨てられていた。綺麗だったはずの上履きが、とても汚れていてドブ臭かったのを今でも覚えている。
しかしそれだけならまだマシな事だったのかもしれない。
部室に行けばボールを投げられるなどもあった。今思えばあれは犯罪だろう。
そして、ラケットケースには鳥の死体やネズミの死体が入れられていることもあった。
私は呆気に取られた。私が何をしたというのだ。誰かの恋人を奪ったわけでもなければ、誰かを傷付けたわけでもない(少なくとも私はそう思っているが、もしかしたら傷付けてしまっていたのかもしれない)。
仮に誰かを傷付けてしまっていたとして、そこまでされる筋合いはないはずとも思っていた。部活内だけでは飽き足らず、教室でも虐めはあった。机に落書きや花を置かれていた。私はそこで死んでいる扱いをされていたのだろう。
中学二年生になると私はたまたま仲良くしてくれていたカナダからきた留学生とぶつかり酷く転び骨折をしてしまった。これはわざとなのではなく本当にたまたま私の不注意だった。カナダの子は家まで来て謝罪をしてくれたくらいだから本当にわざとではない。
くるぶしの骨折だったが故に、松葉杖を使う生活を余儀なくされた。松葉杖を使いこなすのにそこまでの時間を要すことはなかったし、骨折をしている相手にクラスの人たちは私を虐めようとは考えなかったらしい。だから、虐めは部活内だけでおさまっていた。それが不幸中の幸いと思っていたのが間違いだった。
階段から降りる際、蹴飛ばされたのか押されたのか定かではないが階段から転落してしまった。幸いなことに頭を打つこともなく足も無事だった。
そうしたら、大丈夫?との声が笑いながら聞こえたのを今でも覚えている。私は笑うしかなかった。ここで泣いてはいけないと思っていたからなのか、それとももうどうにでもなれとでも思っていたからなのか今でも分からない。犯人は誰だか分かっていても、問い詰めるようなことは一切なかった。しかし、かなりの人数がその光景を目にしていたものだから、さすがに先生にそのことが知られてしまった。
ずっとずっと知られてはいけないと思っていたことが知られてしまった、そう焦っていた。本当ならば、虐められている事は初期の頃に言っていれば何かが変わっていたのかもしれないが私にはそんなことは出来なかった。それをすれば次は何をされるか分からないからだ。
しかし、先生という存在がいても何も終わらなかった。
虐めは卒業する少し前まで続いていたのだから。

虐めというのが終わらないのはそういうところからもきているのではないだろうか。
次は何されるか分からない恐怖とのたたかい。
しかし、いまその恐怖に打ち勝っていれば私がうつ病になる事はなかったのかもしれないと今では思う。
うつ病がこんなにも長引くものだとは露知らず、中学時代からうつ病を患っている。


経緯が長くなってしまった。
私のような経験がある方々はきっとうつ病やPTSDなどを患ってしまっている方が多いのだろう。いまでも階段が怖かったり、鳥やネズミをみるだけで死にたくなる。
動物園なんてものはあまり行かないのが懸命な気がしてならない。

さて、うつ病になった経緯をまとめたところで役所へ手帳の申請を行った。証明写真と診断書をお渡しし、お願いしますと言えば簡単に手続きが進んでいった。
恐らく10分15分くらいで手続きは済んだであろう。だが、これが通るか否かが分かるのは2ヶ月後と言われてしまった。分かってはいてもどうしてももどかしい気持ちになる。ここまで苦労してきたのにも関わらず、こんなにも時間を要するのかと思うと気が遠くなる。
しかし、それほど苦しんでいるひとが多いということが事実なのだろう。2ヶ月もかかってしまうくらいうつ病やその他精神疾患で苦しみ、少しでも生活が楽になるようにと申請をする人が多いということが見受けられる。

手帳を受け取ることが出来ればほんの少しだけでも生活が豊かになるだろうか。なんて考えてもみたがきっとそんなことはないはずだ。だいたいのお金は医療費で消えていくのだから。
だが、そう弄れた発言はあまり宜しくないだろう。ハンデのある人間だからそのハンデを少しでも緩和させるための行政の仕組みなのだから、感謝をしなければならない。
手帳の申請をしてしまうくらいには私はまだ生きたいのかもしれない。

毎朝消えたい死にたいと思いながら起き、日中は似非笑顔で振る舞い楽しそうにする姿を人々に見せ恰も私はうつ病ではないですよ、なんて素振りを見せる。
仮にそれを見破られたとしても(現にてんかんの先生には見破られていて先日泣いてしまった)、生きたいという気持ちが少しでもあるからそのような行動をするのだろう。
本当に矛盾だらけの人間だとつくづく思う。家に帰ればへばってしまうがそれでも私は平然を装いたいと願ってしまう。
それでも受け入れてくれるひとが一人でもいることが唯一の私の救いなのだろう。



Soutenez moi s'il vous plaît 🦖⸒⸒ On va boire un verre ensemble🥂‪⋆͛