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天国を楽しむも一興地獄へ堕ちる覚悟を持つも一興


私は恋人と別れたわけだが、彼女とは天国にいる感覚に等しいと今では思う。それが恋愛なのだと。
しかしどうだろう。生涯を添い遂げるという事を考えたら、それはあまりにも心地好すぎてしまうものではないのかと。


これは自論だが、恋愛は天国のように楽しくて幸せが続くものだと思っている。その反面、結婚や生涯を添い遂げるという名目のカタチになってくるとあなたとなら堕ちる覚悟はあります、そんな風に捉えてしまう。
天国のように楽しく幸せな結婚や生涯を添い遂げるというカタチももちろんあるが、それがそう長く続くのかといえば限りなく少ない割合になるのではないだろうか。
そう考えた時に私は別れる決意が出来てしまった。
将来が見えないのではなく、将来このひとと堕ちる覚悟があるのかと考えた時にそこまでの覚悟が私にはなかった。ただ楽しいだけのひとときを一生続けられるのであれば話は別だったのかもしれない。しかし、私はもう既に地獄にいる。そんな地獄にいるにも関わらず、天国へいけるとも思えない。いけたとして一瞬でしかない。ならば地獄へ堕ちる覚悟のあるひとと一緒にいるべきなのではないかと考えた。

ただそれには大きな問題点がある。私と共に堕ちる覚悟のあるひとがいるのかということだ。恋愛というのは楽しければいいが、生涯を共にするそういったパートナーと考えればなかなかに難しい話だろう。
元恋人の友人に「元恋人をよろしくね」「元恋人を頼んだよ」なんてよく言われていた。最初のうちは楽しければ良かったからもちろんだと答えることが出来た。しかし、日を追う事にその言葉に対して元恋人を頼めるくらいの人間では無いということを少しずつ実感していた。それに何より私は元恋人よりも6つも歳が下なものだから、寧ろ私自身を頼んで欲しさもどこかで感じていたのかもしれない。
別れたからこういう風に今では言えるが、少し前までは本当にそれについて考えさせられていた。
周りに恵まれているひとが、なにかを失う覚悟がないであろうひとは私と一緒にいられないそう勘違いをしていた。だから別れた理由のひとつでもある。だがその反面、元恋人は私と別れたらどうなってしまうのだろうという不安感にも駆られていたのも事実。それが情というものなのだろう。
そんな情をも捨て、友達に戻る決意をした。

現在は私と堕ちる覚悟のいるひとがいると思っている。それは私だけが思っているだけであり、そのひとが実際どう思っているのかは定かではない。しかしひとつ言えるのは、私をきちんと見てくれているということだろう。
元恋人が見てくれていなかったわけではない。きちんと元恋人も見てくれていたが、もっと覚悟のある目で見てくれていると感じている。

『結婚は人生の墓場』
そんな言葉があるが、私はもう既に墓場よりも下の地獄へといる。そんな地獄へでもついてこようとするひとに対して私は受け止めることを望んだ。墓場でも地獄でもどこへでも堕ちる覚悟があるならば、と。





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