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獅子はわが子を千尋の谷に落とし、高次元は子をバンジージャンプさせる。

こんばんは。
今日も懲りずに、まったくもって個人的なヌーソロジー思考をつらつらと書いてみたいと思います。

先日のヌーソロジー・オンラインサロンでのお話を聞いていたら、ふと今日のタイトルが思い浮かんだのですよね。
これについては、後にするとして。


今までも、ちらちらとカタカムナやヌーソロジーの話に触れてきましたが、知らない方の方がまだきっと多いですよね。
類友現象が顕著なので、私の周りには山ほどいるんですけど(笑)

そもそも、まるで秘教の山奥にひっそりと建つ掘立小屋のような、この部屋を訪ねてきてくださる方は少ないと思いますし、その方はよくご存じのことと思いますが。

「カタカムナ」とは、1949年に楢崎皐月(ならさき こうげつ)という物理学者の方が日本で発見した「カタカムナ文献」のことで、縄文時代以前の古代人が遺したものではないかと言われています。
発見したといっても、遺跡が発見されているわけでもなく、残っているのは楢崎氏が書いた「写し」が残っているだけ。
なので、偽書と言われることもままありますが、発見されてから実にたくさんの人たちによって今も熱く研究されていて、一笑に付すことは出来ない内容が出てきています。

「ヌーソロジー」は半田広宣さんという方が、かれこれ30年以上前に「オコツト」と名乗る冥王星の意識生命体?とチャネリングしたことから始まった、「精神と物質についての思想」と言えばいいのか・・・これまで地球には存在しなかった(あるいは忘れ去られていた)考え方です。

(長年ヌーソロジーを研究されている方からすると、なんじゃその言い方わ・・となりそうですが。
「ヌーソロジーとは簡単に言ってこういうものですよ!」と端的な説明をされている資料を見たことがないので・・・きっとその道の筋の人・・・じゃない、エキスパートの方にも一言で言いあらわすのは難しいのかもしれません(笑))


「ヌーソロジー」
・・・これが、古代ギリシアから始まる哲学・神話・宗教・時事問題から最新の理論物理学・量子力学にいたるまで、それはそれは膨大な「思考」の歴史を総動員させたような思想なんですなあ。
いやあ、老眼の進む目も、キラッキラしますね!!

面白いのは、ヌーソロジーの半田さんが「ヌーソロジーとカタカムナには共通するようなところがたくさんある」とおっしゃっているところ。

確かに、ヌーソロジーで自己と他者の説明によく使われる、それぞれの位置を表す球体の重なりは、カタカムナの潜象界と現象界が重なる円と同じだし、「この世界は巨大な目に閉じ込められてるの!」と言った言い回しが、カタカムナ図象符のヤタノカガミに現れる「一つ目」を彷彿とさせる。

カタカムナで感じていた球空間に閉ざされているイメージが、ヌーソロジーでありありと見えてきて実に面白い!


そうそう。
で、タイトルの話。
「獅子はわが子を千尋の谷に落とす」というのは、親が子の成長のためにわざと大変な状況を体験させる・・・というような例えですが。
もしかして、私たち人間は、成長のために高次元の存在から下次元に突き落とされているのではないかと・・・。
一応安全ベルトはついていて、バンジージャンプみたいに突き落とされて、「エントロピーの最たる下の下まで落ちてデータ収集してきてねv」
みたいな(笑)
命がけで(確かに身体の寿命が尽きるまで働かされてる・・・)体験してきたデータを持ってくると、更に一段階上の次元に上がって、また落とされて・・・の繰り返しなのかと(笑)

まあ、この地球に生まれてきた人はみんな「志願」してきたようなので、バンジージャンプも自分から飛んだのかもしれませんが。
果たして、収集データを元に、高次元へ逆ジャンプできるのか?
人間型ゲシュタルトから変換人型ゲシュタルトへ変容できるのか??

カタカムナもヌーソロジーも、これからますます熱くなりそうです!



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