#月の満ち欠けみたよ🌔
以下、映画と小説のネタバレ満載で書いています。ご注意ください。
前夜祭の感想
12.1の前夜祭ライブビューイングを見ました!
舞台挨拶を見るのは初めてで、生中継で繋がってると思うとドキドキしたなぁ。
個人的ハイライト
・大泉洋さん「この映画の宣伝が終わったら目黒蓮とも会えなくなると思うと…、もっとバラエティタレントとして鍛えたかった」
・有村架純さんのパワースポットが北欧だという話から、大泉さんは北欧で人間が崩壊した話へ「フィヨルドをムンクさんを連れてひたすら運転した」←こんなところで「水曜どうでしょう」話をぶっこむ大泉さん
・柴咲コウさんが自分で思う前世は「武士」。刀とかを見ると武者ぶるいすると。時代ものに出演すると、女性は基本戦うことはないので、「殺陣やりたいな」と思っている。(「おんな城主直虎」はカッコよかったな……)
・スタイリストさんに2種類の靴を提案され、迷わず厚底の靴を選んだ目黒蓮 (すっかり大泉洋のボヤきのとりこに…笑)
#目黒蓮厚底履いてんじゃねーよ
・めめのツッコミの速度
大泉洋「大学でSnow Manに出会って」←「チームナックスですよね!?」速かった👏👏
鍛えてもらったなぁ…。
#大泉洋はSnow Man
・監督かわいい
前世はミズスマシだそうです
・柴咲コウさんのDiorのお衣装よかった(コウさんのインスタに全身写真あり)
※こういうの初めて来たので、「本当に前夜祭だけやって映画上映しないまま帰されたらどうしようって心配してたけど、ちゃんと上映されました良かった(笑)
映画の感想
小説と比較して感じたこと
※小説の感想はこちら↓
・小山内堅の人間性について
感情表現が豊か。奥さん大好き。
妻子を喪う前と後のコントラストのつけ方が見事。
劇中の設定と同じ家族構成である大泉さんがこの役を務めるのは辛かっただろうけど、大泉さんにしか出せない説得力があったと思う。
・有村架純さんの瑠璃
ドラマ「コントが始まる」も見ていたんだけど、今作も「幸せを諦めてる人」の表情が絶妙で…、それがまた儚い美しさをかもしだしている。
少女のような幼さと、大人の女性らしいしっとりとした雰囲気の二面性もよく表現されていて、本当に魅力的だった。
・目黒蓮さんの三角哲彦
20歳の三角はダサかった。(注:褒めてます)
「目黒蓮」の時はスラリとしてカッコいいはずの長身も、なんだかのっそりしてる感じに見える。青森訛りが残るモソモソした喋り方と、ショルダーバッグもなんかダサい。
お洒落なのは部屋だけ。笑
役に入るとこんなに変わってしまうのか…とびっくり。
そして、「生まれ変わってもまた会いたい」と思わせるほど魅力的な人物なのか?という部分でいえば、とにかく不器用でまっすぐで純粋なところかな…。
上手く恋愛する方法なんてわからないけど、好きだという気持ちだけでとにかくぶつかっていく。
いつ会えるかわからないのに重たい缶詰を持ち歩いて同じ映画館に通って。
ノートにデートプランをぎっしり書いちゃう生真面目さがいじらしい。
カメラを手に瑠璃を見つめる目がキラキラしていて、その目を見たら瑠璃さんもきっと虜になっただろうと思った。
そして39歳になった三角は、落ち着きと少し疲れた感じもあって着実に歳を重ねているように見えた。小山内に納得してもらえなくて「この思いを吹っ切るために来たのかもしれません」と絞り出すように言った台詞が悲しくて胸がギュッとした。
単独での映画初出演で、共演が主役級の俳優さんたちばかりのなかで難しい役を演じて、俳優としてのキャリアがここから本格的に始まっていったんだと思うと本当に胸がいっぱいで。
ドラマ「silent」に毎話泣かされてるけど、この作品を乗り越えて来てると考えると納得する。
・文学的な「短歌」をカットし、「映像」と「音楽」(ジョン・レノン)を足したことで、映画として楽しめるように完成されている。
三角のビデオカメラは瑠璃への恋心。執拗なまでに瑠璃を追うカメラワークに、三角の心の動きが現れる。瑠璃に強く強く惹かれていく様が切なくて。小説の三角は、瑠璃を喪ってからは事故を報せる新聞記事のモノクロ写真しか思い出せなくなっているが、映画の三角には映像が遺されている…。
緑坂ゆいが持つビデオカメラには、梢の可愛らしい秘密が遺されていた。堅が八戸へ帰る新幹線でその映像を見て涙するシーンは、「世界の中心で、愛をさけぶ」という映画で柴咲コウさんがカセットテープを聴きながら涙するシーンを思い出した。(勝手に繋げたくなった)
ジョン・レノンの「Woman」は映画を優しく包んでくれる包容力があり、瑠璃が口ずさむ「remenber love」は劇場を出てから脳内ループが止まらなくなる。
そしてエンドロールでは「ruri」のかわいらしく儚い歌声が。
ちゃんMARIさんの音楽も優しくてきれいなピアノで。
悲しいだけで終わらない、あたたかい気持ちにさせるのに効果的な音楽だった。
短歌カットは少しだけ残念だったけど…(目黒蓮に「君に誓う」と言ってほしいだけ)
・原作では交わることのなかった正木瑠璃と小山内梢が、映画では邂逅している→「二つの物語が繋がる奇跡」がよりわかりやすく見えてくる
・正木竜之介の描き方について
小説では、やや長いなと感じた竜之介パートが、小沼希美をカットすることですっきりとまとめられていた。希美は「瑠璃」の名を継いでないのでややこしい存在だけど、希美要素を18歳の小山内瑠璃に足して、小山内堅と竜之介が仕事をともにする設定にしたのは、小山内堅を主人公に据えるための上手なアレンジだと思った。
これにより、竜之介が本当に悪者になってしまったけど…。
それから、竜之介はとにかく乱暴な男という印象だったので、柔和で爽やかな田中圭さんが演じることに疑問だった。
しかし、田中圭さんの竜之介は基本的に敬語で、高圧的な感じでもなく。田中圭さんが持つ品の良さを活かした竜之介ができていたと思った。
とにかく、目の演技が圧巻で…。とんでもない俳優さんだ………(ぼうぜん)
田中圭さんへの感想をツイートしたら沢山❤️頂いた。
・小山内瑠璃と三角の関係性について
瑠璃の「生まれ変わり」の肝は、「三角とつながりがある人の子どもとして生まれている」という点だと思っていたので、「三角は小山内梢の友人の弟」という点がちゃんと説明されてないと映画だけ見た人は訳がわからないんじゃないかと思った。なぜ小山内瑠璃は三角と連絡が取れたのか?の説明が足りないように感じた。
・ラブシーンについて
小説では、はっきりした描写を避けて「ふたりは朝まで眠らなかった」という一行で済まされている。
映画も小山内堅が主人公なので長々やる必要は無くなるから、一夜を共にしたとわかる描写のみ残して割愛されてしまうのかなぁと思っていた。
そしたら、服を脱ぐところからばっちり映ってたので、とっさにラウールは試写のとき大丈夫だったのか心配してしまったわ…(もはやモンペ)
背中バッキバキだったね。。。
キスシーンは暗くて二人の表情が分かりにくく、そのかわり瑠璃色の空を眺めるシーンでは顔が綺麗に照らされて、対比がとても美しいなと思った。
余談。
有村架純さんといえば「ナラタージュ」という映画ではかなり長いラブシーンに挑んでいた印象だったので、「経験豊富な女優さんが相手だと安心だなぁ」と謎の親戚おば人格を召喚して見ていたことを告白します。
・瑠璃と三角の再会について
小説では50歳の三角と7歳の瑠璃が再会するけど、映画では三角のもとへ走る緑坂るりが正木瑠璃の姿に変わって、20歳の三角と再会する演出になっていた。二人が出会った日のような土砂降りだけど、このシーンは夕陽に照らされた天気雨。
悲劇で終わったはずの許されざる恋が、時を超えて完結する美しいシーンになった。
・映画ならではのお洒落演出
小山内堅がホテルのラウンジを出て一人で歩くシーン。ウエディングフォトを撮る新郎新婦、赤ちゃんを抱いた夫婦、小さな女の子と両親、高校生くらいの女の子と母親とすれ違っていく。
きっと頭の中で自分の人生を振り返っていただろうと想像させる。
また見たいシーン。
女性の描き方について
このお話に出てくる女性は積極的でアクティブで、男性の方が受け身だなぁと感じた。
車の運転が好きで、常に夫を助手席に乗せる梢さんはカッコいいし、高校の先輩を追いかけて大学受験しちゃうのも超積極的。
瑠璃さんは、三角に出会う前は受け身人生だったかもしれない。でも三角を好きになったら、自分からキスするし三角の家なのに先にベッドに入るしめっちゃリードするじゃん!?とドキドキした。
正木との結婚生活を「諦め」で続けてきたように見える瑠璃が、決意して家を飛び出したとき、三角のもとへ向かうつもりだったのだろうか…
テーマソングが「Woman」だから、自分の気持ちに正直に、強く生きようとする女性へのエールも込めたのかもしれない。
「生まれ変わり」の考え方について
人間は、肉体という入れ物に魂が入っていて、肉体が滅びても魂はまた別の入れ物に入って生き続ける…という話を聞いたことがある。
もしそうだとしたら、生まれ変わりの瑠璃とるりは、肉体は変わっているけれど中身は正木瑠璃なのか?
それは違うみたいだ。
「生まれ変わり」たちは、前世の記憶を持ちつつも、自分の人生を生きている。
小山内瑠璃は、三角に焦がれる気持ちはあるが、それと同時に小山内家の娘として生まれて両親に大切に育てられてきた人生も愛してたと思う。
緑坂るりも、正木瑠璃と小山内瑠璃の記憶を持っているけれど、前世の記憶に操られているロボットではない気がする。ちゃんと自分を持っているんじゃないかな。
それをわかっていなかったのは正木竜之介だと思う。
竜之介は生まれ変わりを信じていても、小山内瑠璃を自分の妻だった瑠璃としか見てなかったように見えた。そこがすごく怖くて…。
「生まれ変わり」の子を産んだ母、梢とゆいは、ある程度理解できていたのかなぁと想像する。
前世の記憶はあっても、この子はこの子だって。
小山内堅は「生まれ変わり」を信じない。
それは真っ当な感覚だと思う。三角も、緑坂ゆいも、何度も思い当たることがあったから少しずつ信じるようになってきたのだ。
ようやく「そうかもしれない」と思ったのは、娘がかつて言ってくれたことと同じことを緑坂るりが言ったから。そして、八戸に帰ったときにみずきが言った「どら焼きの美味しいところ」、「シー」と人差し指を唇に当てるしぐさ。
もし、自分の愛した娘の中身が実は他人だったというなら、とても受け入れられない。
でも、もう会うことが出来ないと思っていた妻と娘の言葉をまた聞けるなら。
喪失感と孤独感でぴたりと閉じられていた小山内の心に少しだけ隙間があいて光が差し込むような締めくくりだなと思った。
お月見を楽しむ家族だんらんの時間や、恋人と川辺に座って会話するささやかな時間。ささいな幸せが実は抱きしめたくなるほど大切で貴重な一瞬なんだということ。
当たり前の毎日に、いつ最後がおとずれるかわからないということ。
「今」与えられた幸せに感謝できる人になりたいと思わせてくれる作品だった。
人によって感想は様々だと思うけど、信じる/信じないどちらか決めなきゃいけないことではなくて、信じたい気持ちになった時は信じてみてもいいのかな。
沢山感想を語りたくなる映画でした。
素敵な作品に出逢わせてくれてありがとう。
(4653文字はちょっと語りすぎか…………)
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