目まぐるしいニュースを消費する私たちが、目まぐるしいニュースの一部になる

紙芝居が凄い速さでめくられ、次々と場面転換するように、あなたの見ているニュースも、「誰かが見せたい情報」が次々に移り変わっているだけなのかもしれない。人々は感情の一部を巨大なメディアの回転に預け、毎度毎度別な話題に心を動かされる。

こう書いてしまうと「世界は誰々に操作されている!」といった類の陰謀論になりがちだが、心の隅に留めておくべきテーマだとは思う。

次々に流れる国際問題や人権問題があり、ニュースとして上がり、人々が共感したり傷つきながら、時に声を上げ、変わっていくこともある。香港、コロナ給付金、検察庁法改正案、ベラルーシ、森元会長の女性蔑視発言、ウイグルetc……他にも無数の問題があり、重たい岩が動かされようとしているものもあるだろう。

共感し声を上げることは大事で、それを冷笑したり、「だったら〇〇も取り上げろ!」と言うのは格好悪い。

しかし一方で、「あまり取り上げられもしないまま、押しつぶされる声もある」という事は、どこかで考えておく必要がある。

そうでないと、今取り上げられている問題が取り上げられなくなった途端に、忘れ去っておしまいとなりかねない。約10年前に騒がれた「残忍な独裁者アサド」に立ち向かうシリアの人々の話はどうなったのか。去年取り上げられた「欧州最後の独裁者ルカシェンコ」に立ち向かうベラルーシの人々の話はどうなったのか。「大混乱、大崩壊、大独裁のベネズエラ」はどうなったのか。「独裁者カダフィ政権」崩壊後のリビアは? イラクは? アフガニスタンは? 今もそこに人々は生きている。だけど、忘れられている場合が多い。

「取り上げられない問題」もしくは「昔取り上げられたが今が取り上げられない問題」について、何か一つ、関心を持ち続け、自分なりの評価軸を持った方がいいと思う。簡単に結論は下さず、自分の中の他者のように、大切に情報の種を育てていくといい。これをやると何に繋がるか、上手く言えないのだが、どこかで非常に役に立つ気がするのだ。

一昔前より、残念ながら日本の国際的地位は低下している。人々の暮らしもじわじわ苦しくなって来ている。今のコロナ状況も十分ひどいが、数十年後とかに日本で大きな問題が起きた時に、世界であまりニュースにならないかもしれない。あまり「連帯」されないかもしれない。多分このことについて嘆いても無駄で、そういう時にこそ、「育てて来た自分の中の他者」が役立つと思うのだ。

「ほら、私と一緒だろう」って。




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