人間は限りあるからこそ無駄を生きる~母と子の対話~

 外で強風が吹き、窓がバタバタ音を立てる。洗濯物のシャツや下着やタオルが揺れ、太陽が部屋に差したり隠れたりする。

 畳にへなっと座り込みながら、私は間抜けな声を出す。

「なんか、貴重な休日なのに、半日くらい無駄に過ごしちゃったなあ」

 隣で同じように座りながら、新聞を読む母が、

「まあ、そういうものなんじゃないの。休日なんて。時間が限られてると思ってるときに限って動けないもの」

「ああ、確かに。寧ろ仕事してるときは『一日が長い。早く一日終われ~寧ろ金曜日の夜になれ~』、なんて思ってるのに、時間をフル稼働させて働いてしまったりするしね」

「そう。ある程度固まった時間がないと、充実した時間自体過ごせないのかもね」

 母は箪笥の上に置いてあった地球儀を取り出し、私の目の前でくるくる回す。太陽の光を受ける、埃をかぶった地球儀。

「日本からかなり遠いけど、ここに細長い島国があるでしょう。私も前はちょっと変わったお仕事をしていたから、よく行ってたんだけど。知る人は知ってる、地味に有名で偉大な国なのよ」

「ふうん。そういや、ママはあまり昔の仕事の話をしないよね」

「うん。この国は、医療と教育の制度とレベルが充実していて、世界中の困ったところにお医者さんや先生を派遣したりもしている。国中の街に音楽が溢れ、優れた芸術や映画もある。この国が達成したことを聞くと、人間として背筋がピシッとする。私も何かを成し遂げたい、という気持ちにさせる。でも……」

「でも?」

「経済がなかなか上手く回らなくて、大学の先生でもバイトしているような状況。強いリーダーシップとそれなりの住民からの意見の吸い上げはある一方、言いたいことを言う自由が制限されている面もある。そんなこんなで、すぐに北にある、『オモチャと金のゴミ箱』に少なくない人が行ってしまうのよ。ああ、ハイティは元気かなあ」

「色々複雑なのね。ハイティは、ママの友達?」

「うん。出会った頃は大学生だったね。まあ彼女も、国を出て行ってしまったけどね」

「……」

「彼女は優秀でいっぱいお金稼いで、いっぱい遊んだけど、出会った恋人との色々なもつれで、激昂した恋人に銃で撃たれて死んだ」

「……だって、元気かなあって、さっき」

「この地上じゃないの。時間も物も限りない、果てもない世界で元気かなあって」

一度も会ったこともないママの友達。何故か涙が出そうになる。

「国を出なけりゃ、ブツブツ貧乏に文句は言っても、撃たれはしなかっただろうね。あのね、これを見ても分かると思うけど地球は丸いのよ。大地にも海にも限りがある上に、繋がっている。そして、ただでさえ限りあるものを、強い者、権力がある者、金のある者が余分に持っている。繋がっているから敵の敵は味方、みたいな、複雑で凄惨な殺し合いも起きる。物も人間の魂も全て利用しつくして、金を生むコンベアで回して引きちぎって、弱者から搾れるだけ搾ろうとする。そんな中で弱者同士が手を組んで戦おうとすれば、その戦いは絶望的なものになる。さっきの時間の話じゃないけど、余裕が無ければ余裕が無いほど、更に余裕を無くすようなことをしてしまったり、自分たちの首を絞めてしまったりする。ねえ、絵美。自分の国を捨てたハイティが悪いのかしら。それともハイティを追い込んだ貧乏で自由の無い国が悪いのかしら。それとも……ハイティを撃った恋人が悪いのかしら」

「……みんな、悪いし悪くない。としか言えないよね」

「そうね、私は唯一、ハイティを撃った恋人の背景は知らないけどね」

 白いシャツの隙間から顔を出す太陽。地球儀を、そして地球を照らす太陽。私たちがいなくなっても、こうやって変わらず、誰かを、何かを照らすのだろう。

 私は私だから、目の前には私の世界が広がる。だからこそ、太陽が自分よりずっとずっと長く生きるだろうことを、おかしなことと思ったりする。本当はおかしいのは私。ハイティだって運が悪かったのだし、ハイティが捨てた国も同じ。それに深い感情を起こすママが、きっとおかしいのだ。

 でも私は死ぬまで、おかしなことを思い続けたい。 

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