「ショボい苦しみの連鎖」が大きく心を殺す~『夜と霧』に学ぶストレス対処~
ここに語られるのは、何百万人が何百万通りに味わった経験、生身の体験者の立場にたって「内側から見た」強制収容所である。だから、壮大な地獄絵図は描かれない。(中略)わたしはおびただしい小さな苦しみを描写しようと思う。
最初に引用したのは二次大戦中にユダヤ人というだけでアウシュビッツに送られ、生還した心理学者フランクルの記録、『夜の霧』の冒頭の方にある文だ。
明らかに人類史上最悪の「地獄絵図」の一つであるアウシュビッツでの体験について、日常や小さな苦しみを描くことに徹し、「わたし自身を売り渡した」(10頁)ことで、大小様々な、世界中の人々の苦しみを癒し、背中をそっと押すような名著になったのだろう。自分が体験した地獄を正確に測り、記すことを試みるというのは、本当に苦しい作業だったのではないか。
どう見てもフランクルほどの苦しみは味わったことの無い私だが、「大きな苦しみが一つドドーンと来る」よりも「一つ一つは取るに足らないような小さな面倒や悩み」が実は厄介で、気づかぬ内に精神を蝕んでいることもあるとは思う。
仕事とかでも、細かいタスクが複数あり、そのどれもが少し面倒だと、地味に心が折れそうになったりする。特に仕事を始める前の朝とかきつい。実際は、複数あるタスクの一つ一つがどれくらいきついかきつくないかを、感情は正確に測ることができないため、モヤモヤ敵を大きくしてしまっていることもあるのだが。
大きな仕事が一つあり、もしそれだけ、本当にそれだけやればいいとなれば、案外腰を据えて、大きな仕事を細分化し、自分なりにステップを立てて分からないところはまとめて聞いてみたりして、何とか進められるのではないか。
仕事でも仕事以外でも取りに足らないことー会議での書類の配布方法をどうするかとか、家のトイレのしつこい汚れをどうするかとか、少しだけだけど好きじゃない人に会い話さないといけないとかーでも一つ二つじゃなくもっと積み重なったりすると、気づかないフリをしているうちに気持ちは重くなり、悪いタイミングで親しい人とかが現れた時に、心ならずも強い言葉を使ってしまったりして、すれ違いが生じたりする。
「たまたま大したこと無い物事が複数来てるだけなのに、こなせないはずはない。こなせなかったら自分は駄目だ」
そんなことを自分に言い聞かせ気持ちにフタをし、ストレスを隠し、小さな苦しみの集積を浴び続ける。これはよくない。
『夜と霧』が教えてくれたのは、現実や苦しみを一つ一つ直視すること、そしてあれこれ考えずに、目のまえの一つをどうにかする行動を決すること。
まずは小さなことでもストレスを感じて来たら、一つ一つの物事がどれくらい気持ちに負担となっているか、測ってみる。感じてみる。(「何でこんなことで」とか、理由は考えない方がいい)
意外と自分が頑張っていることが分かり、自分を認められたなら、苦しい物事も、それに直面している自分自身も正確に把握できていることになり、腰を据えてまずは目のまえの一つをやってみることになるのではないか。
「あれもこれもやらなきゃ」じゃなく、「あれもこれもある中でとりあえず一つ選んでやろうとできている自分の判断力と決断力はなかなかである」と思って、やってみたら、何とかなる自分もイメージできるのかもしれない。
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