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小説 転がる石は全て川へ~行方不明のD子を探しに河川敷に来たC美の記録~

D子が行方不明になって、ツイッターアカウントにDMを送ったら、ここの所在地を教えられた。そして日付と時間が送られてきた。この日時に来いということだろう。

夜の河川敷。真っ暗と思いきや、意外に明るかった。目の前にあるススキの海はいくつものオレンジのライトに照らされている。ススキの海が刈られた跡に無数の道ができており、道の左右に、等間隔でライトが光っている。そして海に囲まれるように、光るテントがいくつも浮かんでいる。

道を歩いていく。おじさんやおばさん、若い男女とすれ違う。誰もが俯きがちに歩いている。私もスマホの地図を頼っているから、若干俯きがちだ。出入口の空いたテントの中に恐る恐る入ると、古い時計がチックタック音を鳴らしていたり、レコードや、古い箪笥に囲まれた椅子を揺らしながら、笑みを浮かべたおじさんがじっとこちらを見ている。

私は足早にテントを出て、更に奥に見えるテントを目指す。ライトに照らされるススキが、静かな音を立てて風に揺れる。

いくつかのテントと道を抜け、やっと目当てのテントに着いた。スマホの地図もジャストな位置を示している。

簡易な机に置かれた一枚の写真。ススキの道で、笑顔で振り向いている私の写真。D子と仙谷高原に行った時の写真だ。(もちろんこの時は昼間だった)

写真の横には便箋があり、丁寧な字が並んでいる。

C美。突然私がいなくなって驚いたでしょう。あまり痕跡を残す訳にはいかなかったの。ここに置いている写真は、私たちが大学四年生の時ね。学生の時ぐらいまでは、だいたいの人は親の庇護も受けられ、まるで太陽に抱かれているかのような全能感すら、抱くことができる。だけどその後は違うね。自立しなきゃいけないし、太陽は太陽。それだけ。ほら、ビルが立ち並ぶ交差点とか歩くと、大勢の人が下を向きながら歩いているでしょう。私も一緒。だけどあれは社会人になって心が俯きがちなった、というだけではない。自分で作って、自分を照らせる太陽が無いか。皆探してるの。胸か腹かその下か、を見てね。だけどあまり大勢の人が探すものだから、私はついに男女の精鋭三人と探し出すことができた。永劫私を照らし続けることができる、地上の太陽。こういう夜の中で人工的に作り出したススキの明かりじゃなくて、あなたと見た、あの高原のススキのように。あの時の写真は後ろから、照れて振り向くあなたを撮ったものだったね。ほら、振り向いてごらん。

私は振り向く。ハッとする。

「さあ、行こっか」


~続く  次回はD子の”元大統領”隔離日記~

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