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悪者が悪者ではなくなる時

先日、マレフィセント2を見に行った。

『マレフィセント』『マレフィセント2』について考えたことを語った記事です。

※  ネタバレ有りなので注意

マレフィセントは今まで悪者にされていたが、物語という壮大な時間を得ることで悪者ではなくなった。しかも、『マレフィセント2』では「『眠れる森の美女』は後で勝手に作られた話でこちらが本当の物語です。」と言っていて、軽い衝撃を受けた。


今回は結果として、フィリップ王子の母、妃が悪者になってしまったけど、彼女にもマレフィセントと同様に人生を語る時間を与えられたらどうだろうか。

マレフィセント2では悪者になってしまったけど、実はそうではなかった、誤解だったとなるかもしれない。下手したらまた、こちらが本当の物語ですと言いかねない。


妃が妖精の国との戦争を起こした理由について「奪えばいいのよ。」という言葉が印象的だった。そういう思考に至ったことも軽く触れてはいたが、充分ではなかった。

「自国が寒さの影響で飢餓にあった。でも隣の国の妖精達は幸せそうに暮らしていて気に食わなかった。自分の国にないなら奪えばいい。奴らの持ってるものを奪うの、自分の国を守る為に。」これが彼女の言い分だった。

しかしこんな短い言葉だけでは誰も彼女の言葉に納得しないだろう。『眠れる森の美女』という話の中で、自分について語る時間を一切与えられなかったマレフィセントのように


妃の考えは、奪うよりも先へ進み、最終的には人間と妖精は共存はできない。人間の国を守る為に妖精の国が犠牲になれば良い、という極端なものだった。見る側からすると、物語を進める為に始終一人で独走している印象だった。

妃の場合は元々持っているものが大きいので国ごとの争いになった。そういう思想を一人で抱え込んでいるからこそ凶行に走ってしまうのは、形は違うけど一方的に誰かを傷つける犯罪にも似ている気がする。

そもそも人は自身が充実していれば、誰かを攻撃したりすることはない。実際に起きている戦争だと土地や金という物質的な物が目的の場合もある。

しかし、いじめだったり、ネットにある悪質な書き込み、争いごとの多くは、加害者自身が何か問題を抱えているから起こるのだ。自分の現状が面白くないからやるのであって、現状に満足していれば、いちいち誰かを攻撃しようとは思わないはずだ。

ただ、誰かを攻撃するということが、マレフィセントのように納得いく物語があるかどうかは人によって違うと思う。『眠れる森の美女』しか見ていなければ、明らかにマレフィセントは悪だ。しかし、『マレフィセント』を見れば彼女には正当な理由があったことが分かる。

物語は時間が限られている。だからそれなりに理由をつけて、いい所を取り上げるか、逆に悪い所を取り上げるかで印象も変わる。何を悪とするかは語り手の意図で簡単に変わるのだ

妃の場合も『妃』『妃2』みたいに充分な時間が与えられたらマレフィセントのように悪者では無くなる可能性もある。その物語には悪者はもう出てこないかもしれない

ディズニーが今後どのような物語を作ってくるかは分からない。悪者がいた方が物語が分かりやすく話を進めやすいとは思うが、本当に悪者かどうかは悪者自身の物語を聞かないと分からない。

『マレフィセント』『マレフィセント2』のように一方的に悪いと定義されたキャラクターの定義を考え直すのは大事なことだと思う。その機会を与えてくれたこの物語に感謝する。


ELIE

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