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朝比奈隆の思い出

 前にも何回か書いていますが、東京で学生をしていたころに、最も聴く頻度の高いプロオケは、明らかにN響(NHK交響楽団)でした。(いまのように地方都市に住むようになって、東京のオーケストラ事情に詳しくないかたも多いことを知って、あえて書き加えますが、東京には、たくさんの、うまいプロオケがあります。N響だけじゃないです。)なぜなら、NHKホールでの定期演奏会は、安いし(学生1500円)、必ず当日券があり、しかも大学のキャンパスから気軽に行ける。かなり気楽に聴きに行けるのがN響のNHKホールでの演奏会でした。

 そこで、珍しく、オーケストラの木管楽器の仲間から誘われました。朝比奈隆が指揮しにくる。ブルックナーの8番をやる。聴きに行かないかと誘われていたのです。

 いろいろな記録を見ると、それは1997年のことであったようです。当時、朝比奈隆のブルックナーは、たいへん人気がありました。もちろんそれだけ人気があるとアンチもいるのですが(後述)、でも、いい機会なので、いっしょに聴きに行くことになりました。もちろん1曲プログラム、ブルックナーの交響曲第8番だけです。

 私は、マーラー開眼が遅かった話は、かつてnoteの記事で書きました(「マーラーと旧約聖書」をご覧ください。リンクがはれなくて申し訳ございません)。ブルックナー開眼も遅かったのですが、幸い、その1997年の時点では「開眼」していました。これがマーラーとは違うところで、スヴェトラーノフ指揮N響のマーラー7番のころは、まだマーラーに開眼しておらず、さっぱりちんぷんかんぷんだったのです。あれは惜しいことをしました。それはともかく、この時点でブルックナーは開眼していました。しばらく「ブルックナーのよさなど、わかってたまるか」と思っていたのに開眼しておりました。

 結局、朝比奈隆の生を聴いたのはこれが唯一で、また、ブルックナー8番の生を聴いたのもこれが唯一の機会なので、貴重な経験でした。

 私がそのころよく聴いていたブルックナー8番の録音は、その、今回、誘ってくれた友人のひとりが作ってくれたカセットテープなどでした。カラヤン指揮ベルリンフィルの1975年録音。朝比奈隆と同じくハース版を用いており、しかもカセットテープなので、途中からB面に行かなくてはなりませんが、第3楽章の、非常に音楽的なところでB面に行くという、まごころのこもったカセットテープでした。朝比奈隆の演奏も、おそらくCDで知っていたと思います(ものすごくたくさんCDが出ていました)。私のブルックナー開眼は、マーラー開眼のときのような、ある日、突然の劇的なものではありませんでしたが、そのテープや、ホルスト・シュタイン指揮バンベルク交響楽団のライヴの5番のカセットテープ、テレビで観たメータ指揮ウィーンフィルの8番など、もろもろの出会いがありました。(ほんとうの出会いは、私の所属する学生オケが、9番を取り上げたときがあり、それが最初ですが、それは開眼前でしょう。私は下っ端すぎて、降り番。)

 まだ、noteで、ブルックナーについて、書いていなかったと思います。思わずこの稿でいろいろ書きたくなってしまうところを抑えて、この日の演奏会のことについて述べたいと思います。ブルックナーの8番は、ずっとブルックナーが書き続けてきた路線の集大成みたいな曲で、極めて魅力的な曲です。長い曲ですが(80分くらいかかる。朝比奈隆はもっとかかる)、「山登り」みたいな曲で、第1楽章が終わると2合目、第2楽章が終わると4合目、第3楽章は森林の中を歩いているようですが、終われば7合目。第4楽章は、はるかむこうにふもとの景色が見えることもあり、ついに最後で登頂!みたいな印象を持っていました。

 高原英理『不機嫌な姫とブルックナー団』というおもしろい小説(ラノベ?)がありますが(この演奏会よりはるかにあとの話です。20年くらいあと)、そこに「非モテ」の男性3人組が出て来ます。この日のわれわれも、非モテの男性3人組。あんな感じだったのかもしれません。

 朝比奈隆の表現は、CDで聴いていたとおり、遅めのインテンポを貫いた、自然で正統派な演奏であり、ブルックナーの世界にひたれるものでした。ときどき、思い切ったすごいリタルダンドがあるんですけど。この日の演奏は大当たりで、大満足の1時間半。演奏終了後もものすごい拍手で、オーケストラがいなくなってからもまだ拍手は続き、指揮者がひとりだけ出て来ておじぎをしているような場面もありました。とにかく当時は、すごい朝比奈人気だったのです。CDの世界でも、ギュンター・ヴァントや、セルジュ・チェリビダッケなど、ブルックナーを得意とする指揮者の演奏のCDが次々と出ており(チェリビダッケはそのころは海賊盤)、20世紀終わりごろは、こういった「遅めのインテンポ」のブルックナーが好まれていました(しかし、そのころからあまり意識の変わっていない私は、それから先のブルックナー演奏の流れをよく知りませんが…)。

 気になったのは、やはり自分の楽器であって、フルートの小出さん。小出さんはすごくうまいかたなのですが、どうもその日は「調子の悪い日」だったみたいです。ほかの楽器はよく知りませんが、フルートの調子の悪い日はどうなるのかと言いますと、小さな音が出せなくなります。その日の小出さんはまさにそんな感じで、小さな音が出せず、終始、メゾフォルテ以上で演奏していた感じがします。そうしたら、クラリネットの仲間は「全体としてはよかったが、クラリネットが…」と言っており、ファゴットの仲間は「全体としてはよかったが、ファゴットが…」と言っていました。みんな、自分の楽器が気になっているだけなのですね…。

 のちに、この演奏会は、この年度で、「もっともよかった演奏会」の第一位に選ばれ、当時の音楽監督のデュトワが、微妙に不満なようなコメントをしていました。「なんであんなものがオレのコンサートよりも評価が高いのだ?みんな、聴く耳がないのか?」という感じに私は受け止めました。たしかによかったですけれど、「1年間でもっともよかったコンサート」は、いいすぎかなあ…。

 当時、いろいろなオケマンの先生からのご指導を受けていましたが、朝比奈を悪く言うひとはたくさんいるわけでありまして、そのころ、シカゴ交響楽団を指揮してブルックナーの5番をやった様子が放送されたのですが、ある先生は「見よ、日本の恥さらし。だれも指揮者を見ていないではないか」と言っていましたし、ある友人は、朝比奈隆の指揮するあるオーケストラのブルックナー9番のCDを貸してくれて、「これがいいと思うか?」と。たしかに、オケが崩壊していて、これは指揮者がオケになめられているのかな?という出来でした。あるいは、大阪フィルを指揮したシューベルトの「グレート」のCDでは、最後のほう、オーケストラが疲れてしまって、かろうじて音の出せるのがトランペットとティンパニ。そこで、最後のほうは「ド」と「ソ」しか聞こえないような「グレート」になっていました。また、ある教会での仲間が、じつは関西の大学でのオーケストラ経験者で、「大フィル、へたやで」と言っていましたが、朝比奈大人気のころは、そんなCDまで量産されていたのです。いまは朝比奈隆への評価は、もっとずっと落ち着いたものになっています。いいものはいいです。

 そして、われわれが聴いたこの演奏会はよかった。いい思い出です。もう四半世紀前の話ですね。いつか、ブルックナーでひとつの項目の記事を書きたいです。以上です。


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