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カギカッコに入るととたんに弱くなる

 言葉って、カギカッコに入ると、とたんに弱くなるのです。お気づきになったことはありますか?

 私に、「ごめんと言わざるを得ない」というふうに謝ってくる人がいます。これ、「ごめん」そのものと、かなり差があるということ、お気づきになりますでしょうか?さきの言い方は、「『ごめん』と言わざるを得ない」と言っており、「ごめん」がカギカッコに入っています。これは、ある意味で不誠実な謝りかたで、「ごめん」と言い切るのは勇気がいるのですが、「ごめんと言わざるを得ない」という謝りかたは、その何分の一かの勇気で済むのです。その代わり、こちらも、ちゃんと謝ってもらった気はしません。

 前にも出した例でしたらすみませんが、教会でも「イエスは復活したとキリストの教会では信じています」という話しかたをする牧師がいます。これも「イエスは復活した」がカギカッコに入っており、単純に「イエスは復活しました」という説教をするのより、はるかにインパクトがなくなっています。(教会に行かれたことのないかたは、教会ってどんな雰囲気かわからないかもしれませんが、こういう、「カギカッコに入れた言いかた」を、牧師さえもしていたりするのです。「(いい意味での)洗脳牧師」ばかりではないということです。)もちろん、牧師としても、「イエスは復活しました!」と言うより、「『イエスは復活した』とキリストの教会では信じています」というほうが、はるかに精神的にラクです。

 しかし、かんじんなところで、言葉って、「カギカッコに入れちゃいけない」気がしますね。それは、謝罪するときでも、教会で牧師が説教するときでも…。「そのものずばり」を言うのは、ときに勇気のいることですが、聞いている人には、強いメッセージが届くと思います。

 つまらない話でしたでしょうか?ごめんなさいね。この話はこのへんまでです。お読みくださり、ありがとうございました。

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