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ひまに耐える

 (※いきなり数学の話で始まりますが、数学の難しい話をするつもりではございません。数学は苦手というかたにもお読みいただけるように書きますので、あまり気にせずにお読みいただければ、と思います。ただし、おもしろい話が書けるかどうかはわかりませんが…)

 (※もうひとつ、書き終えての但し書きをしますね。この記事は看板に偽りがありまして、途中から話が脱線して、コロナの話題が中心になってしまいます。それでもよろしければ、どうぞお読みくださいませ。すみません。)

 大学院の時代、少しだけ、数学の研究をかじっていました。よく言われることのひとつで、手が動いているときのほうが安定する、というものがありました。よくわからないアイデアを、ただ考えているときというのは、苦しいものです。歩いたり、座ったり、立ったり、また歩いたりして、ひたすら考えねばならないのは、精神的にもきついです。一方で、とりあえずやることが決まっていて、すべき計算をしたり、図を描いたりして考えているときは(つまり、手が動いているときは)、比較的、精神状態は安定するものです。そのことを言っています。やることがないときって、つらいものです。

 ぜんぜん数学でない話題になりますが、私がこの1年以上、仕事を休んでいるのも、時期によっては、ひますぎて、つらかったものです。とくに今年(2021年)の2月ごろですね。やることがなさすぎて、生きるモチベーションを見失いがちでした。それはかなりつらいものでした。「仕事がないからヒマで楽だろう」という感じではなかったです。食べて寝るだけの生活は、生きる意味を見失うという、おそろしい生活でした。依存できるものがなかったので、当時、noteに依存していたと思います(当時の記事にそう書いてあると思います)。「依存」って、悪い意味で使われることの多い言葉ですが、なににも依存しないで生きられるかというと、それは無理で、だれか、あるいは、なにかに依存しないと生きられないということは、そのときに、体で実感した次第です。そののち、依存できる友人も増えて(学生時代の友人とか、いろいろな人に、思い切って電話をかけてみる、とか、メールをしてみる、といったこともしました。それで、返信をくださるかたがときどきおり、ほんとうにありがたいものでした)、いろいろな福祉の施設にもつながり、いまは、「生きるモチベーションを見失う」心配はほとんどなくなりました。いまは、だんだんいろいろなことが現実味を帯びて来て、シビアな話を聞くことが多くなり、実際、私の目の前に広がる世界は厳しいのだろうと思いますが、それを恐れる気持ちが大きいです。自信を失いがちと言いますか。とにかく、「ひま」というのは、おそろしいもので、なにもやることがない状態で、正気を保つのはやはり難しいのです。

 一方で、やることがあると、やっている気になる、という現象もあるみたいです。ある支援員のかたは、十数年前に仕事を失った経験がおありで、たいへんな思いをなさって今のお仕事にたどりついたわけですが、仕事を探しているあいだは、午前は弟さんの会社で少し手伝いをし、午後はハローワークで仕事を探していたそうです。しかし、これは、「仕事をしている気になる」もので、「よくない」と思われ、このスタイルはおやめになったそうです。空気の読めない私は、そのかたが、どういう思いでこれをおっしゃったのかわかりませんでしたが、おそらく、朝から晩までやることがあると、なにか「やった気」になってしまって、仕事を失っているにもかかわらず、仕事をやっている気になる、と言いたかったのだと思っています。

 コロナの流行り始めのころも、多くのかたが、これを経験なさったかもしれません。去年(2020年)のゴールデンウィークごろは、「ステイホーム!」って言っていましたからね。家から出ないで、「ひまに耐える」。

 もっとも、ひまではなかった人もいましたけどね。私がいま頼りにしている医療のことはよく知られていますが、福祉の仕事も、コロナでもなくならず、ずっとやっていました。いまでもそうです。いま思うと、ずいぶん先見の明があったなと思うことがあります。私は当時、学校の事務をやっていました。それですぐにわかったということもありますが、2020年2月、急速に日本でもコロナが流行りだしたころの話です。2月27日に、安倍総理大臣(当時)が、突然でしたが、3月2日から、小中高はすべて休み!と言い出したということがありました。私は、その日の日記に、すでに、この調子で、学校だけでなく、あらゆる仕事が休みになるであろうこと、しかし、電気とか、上下水道、あるいは、ゴミの回収などの仕事は、なくならないだろう、と書いています。のちに「エッセンシャルワーカー」と言われるかたによる仕事ですね。ここで何気なく「ゴミの回収」を挙げていますが、これを書いているのはまぎれもなく、私が学校の事務をやっていて、学校というのはいろいろな人にお世話になって成り立っていることを知りつつあったからです。ゴミの回収の請求書も書いていました。ちょっと考えたら当たり前なのですが、ゴミの回収ひとつとっても、だれかがやっているから学校というところは成り立っているのであって、ほんとうにいろいろな人のお世話になって学校は成立しています。のちに、ほんとうにあらゆる仕事が休みになり、「不要不急の外出は控えましょう!」と言われるようになり、しかし、確かに、電気を流したり、上下水道(とくにトイレが流れなかったらみんなが困りますよね)とかの人は働き続けました。私が2020年2月27日の時点で書いたとおりになったのです。そして、「ゴミの回収」について触れていた人は、私の知る限り、私以外では、牧師の奥田知志さんだけです。

 そして、いよいよ2020年の3月2日になりました。学校には、「マットの交換業者」も来ています。学校には、あちこちにマットがひいてあります。校舎の前、講堂の前、体育館の前など。そして、それらはすぐに汚れますので、マットの交換業者がひんぱんに来て、交換しておられます。私の学校では、3月のマットの交換を、断りました。学校が休みになり、生徒は来なくなるわけで、マットが汚れないと判断してのことです。私は内心、マットの交換業者は、どれほどの痛手であろうかと思っていました。マットの交換業者の客って、どういうところになるのかわかりませんが、学校は大きいであろうということは想像できます。おそらくあちこちの学校から断られているであろう。これはマット交換業者にとって痛手だ。この調子で、世の中のどれくらいの仕事が影響を受けるか、わからないほどだ…。これは、いまも続く、「みんなが休み過ぎると経済がまわらない」という深刻な問題になっています。それをその時点で気が付く私は、考えてみると、かなり先見の明があるのではないでしょうか?(あってもしかたないですけどね。どうしようもないので…。)

 それから、その月はまだ2019年度で、一昨年度だったわけですが、当時の教頭は、その月(3月)に予定されていた吹奏楽部の演奏会はすぐに中止の指令を出しましたが、卒業式は中止にしなかったのです。これも理由は単純で、教頭にとって、吹奏楽部というのは痛くもかゆくもないものなので、「不要不急」ですぐに中止にできますけど、「卒業式」というものは、なにしろ教頭の「晴れの舞台」ですから、簡単に中止にはできなかっただけです(「注意して」やったと思います。いまや2020年度も終わったので、その1年後の卒業式をどういうふうにやったかまでは知りませんが)。これも、現在の東京オリンピックまで続く話で、「やりたくないものはすぐに中止にできるけど、やりたいものはなくならない」という(五輪・パラは、疫病の流行の懸念よりも、利権が優先している)、いまの話までつながっているわけです。コロナの流行り始めの1年半前から、これだけ気が付いている私って、すごくない?別にすごくないかな。

 そんなわけで、脱線のほうが長い記事になっておりますが、もともとは、「ひまに耐える」というテーマの記事でした。きょうは、障害者福祉のセンターに行って、認定調査というものを受け、いろいろな質問を受けたなかで、「話があちこちに行って、収拾がつかないか」という質問もありました。私、これ当てはまりますね。なんという障害でしょうか。いまさら「ひまに耐える」話でまとまりをつける気も起きません。読んでくださったかたには申し訳ございません。ひどい記事ですが、せっかく書いたので、このままアップします。ごめんなさいね。

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