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誰のために文章を書いているのか(およびバッハの「マタイ受難曲」)

(以下の記事は、今年(2021年)の3月15日に少し公表して、すぐに削除した記事です。復活させます。)

 いま、私は、昨年5月からの、長い休職のさなかにいます。そろそろ休んで1年です。経済的にも苦しいですが、いちばん苦しいのは、話す相手がいないこと。「お金がない」も苦しいですが、最もつらいのは「話す相手がいない」「孤独」であるということであることが(奥田知志先生がおっしゃる通りというか、それを身をもって実感として)、ひしひしと感じられています。孤独になると、季節感もなくなります。先日の東日本大震災10年にしても、まったく感覚がなかったですし、それどころか「2021年になった」ということさえ、実感がないといえばない。とにかく世間から隔離されると、こうなってしまう。

 そんな私が、ここ2週間くらい、比較的、精神が安定している。いつも、親友に、毎週金曜日、週に一度(彼は忙しいので)、電話で話すのですが、正直、いつも私の、ぐち大会になってしまいます。それが、ここ2週間くらい、私の調子が安定しています。それは、明らかに、最近、できた、インターネット上の友人とのメールのやりとりによります。

 あやしい友人ではありません。クラシック音楽マニアつながりの人です。その人は、インターネット上に、クラシック音楽マニアなサイトを繰り広げていて、ほんとうのマニアです。何週間か前に、ちょっと情報を差し上げるために、その人に連絡をしたのですが、思いのほか筆まめな人で、まめに返信を、しかもたくさん、書いてくださいます。ほぼ毎日、やることがなく、しかも筆まめなんだけれども書くのが遅い私とは、ペースがあう。もちろんだいぶ違う人ですので、興味のあるクラシック音楽も違うのですが、おもしろいことに、興味のあるものはあるし、「いい」と思えるものが共通する場合も多々あります。たとえば、最近、私がメールに何気なく書いた、クラウディオ・アバド指揮ルツェルン祝祭管弦楽団のマーラーの交響曲第7番がよい(この話は、手を替え品を替え、この私の記事のあちこちに出てくる話ですね)という話をしたら、その人は、ほんとうにその演奏をYouTubeでお聴きになり、感激の返信をくださいました。これはもちろん私がえらいのではなく、アバドとルツェルン祝祭管弦楽団のみなさんがえらいのですが、もう、我がことのようにうれしいわけです。また、その人からも、教えてもらうことがありました。カール・リヒター指揮の1979年のバッハのマタイ受難曲のフルートは、オーレル・ニコレであること。はじめて知りました。リヒターとニコレはしばしば共演していますが、バッハのカンタータでもしばしば共演していることを知ったのはわりと最近です。しかし、受難曲での共演を知ったのは、今回がはじめてです。ナクソス・ミュージック・ライブラリで聴いてみましたが、たしかにニコレ。なんということ。何十年か前から知っていたかった情報です。学生時代から知っていれば、だいぶ違ったと思う…。惜しい気もしましたが、とにかく遠回りをしまして、ついにニコレのリヒターのバッハのマタイ受難曲があることを知り、そしてそれを聴きました。また、ランパルとラリューのバッハのマタイ受難曲があることはランパルの自伝で知っていましたが、それがフリッツ・ヴェルナー指揮の録音であることを知ったのもきのう。その録音はYouTubeにあり。(後述。)私は普段から「オフピーク鑑賞」と言って、季節に関係のない曲を聴く(クリスマスに受難曲を聴き、イースターにクリスマスの曲を聴く感じ)のが好きですが、この季節感のない引きこもり生活のなかで、珍しく受難節に受難曲を聴いています(いま、受難節です)。それはともかく、そういった「クラシック音楽おたく話」ができる仲間が、メールを通してであれ、与えられたということは、大きな恵みであると言えます。しかも、向こうも私との出会いを喜んでくださっているようで、決して、私への「憐れみ」ではなく、音楽愛好家として対等なところがありがたい。「私もなにかの役に立てている!」というと意味が限定されてしまいますが、そういうよりも、なんというか、この人に返信をするだけで、私は生きる意味を見失わずに済む。夜、返信をくださるので、必ず、翌日、その返信を書こうとする意欲がわく。とにかく、その週一の友人との会話のなかで、この直近の2回、あまりぐちが出なかったというのが、客観的にも出ている効果です。

 それで、こうして、不特定多数にたいしても、雑文を書いていますが、その人へ送るメールは、その人、おひとりがお読みになることを想定したメールであるわけです。前にも出した話題ですが、「誰のために書いた文章か」。いま書いている文章は、誰が読むともわからない文章です。しかし、その人のために書く文章は、その人がお読みになることを想定した文章。当然、中身は全く違うわけです。でも、特定の人に書いている文章とか、すごくいい。はりあいがある!SNSはこうして「いいね」「スキ」などがありますが、例えば食事を作る人は、それを食べる家族のため、子どものためを思ってつくっているのであって、たとえ、その「いいね」がひとつであっても、それはもうかけがえのない「いいね」であるわけです。

 上に挙げたランパルもそうです。自伝に出て来ますが、どんなに何千人もの人を前にしたリサイタルでも、「特定のひとり」のために吹いていたと言います。聖書の、「ルカによる福音書」と「使徒言行録」という大著を書いたルカも、その著書は、「テオフィロさま」ひとりのために書いています(ルカ1章3節、使徒1章1節)。私の著書だって、特定の人のために書いた私信が非常に多いし。

 とにかく、これが驚くほど、精神の安定になっているのです。驚くべき「出会い」と言えるでしょう。ほんとうにありがたい。お互い、趣味が違うため、違う意見が出るのがおもしろいし、たまに、一致するときが最高におもしろい!ほんとうにありがたい出会いです。深く感謝です。

 以上ですが、話のあらすじはこんなところなので、後回しにした話を以下に書きます。すなわち、クラシック音楽のおたく話。
 
 まず、それほどおたくでない話から書きますと、あまりクラシック音楽に詳しくないクリスチャンでも、あるいは、クラシック音楽に興味のあるクリスチャンでないかたでも、バッハのマタイ受難曲に興味を持たれるかたがあります。この曲、しばしば「クラシック音楽の最高峰」なんていうほめられかたをしているからです。本当にそうかもしれませんが、まあクラシック音楽も幅広いですので、必ずしもこれが最高傑作と言い切れるかどうかはわかりませんが、たしかに「クラシック音楽の最高峰」と言われても納得してしまうほどの名曲であります。また、この曲は私個人にとっても特別な曲です。私は、どういうわけか、「信仰」と「音楽」が、体の中で、完全に「分離」してしまっている人間です。そのことは、私のnoteの記事をお読みのかたならお気づきかもしれないのですが、信仰的な話と、音楽の話は、まったく別物でしょう、私の場合。ですから、私などにしてみますと、信仰と音楽がしあわせに結びついているかた、すなわち、讃美歌を、信仰的感動をもってお歌いになるかた、また、信仰の延長線上で、奏楽、聖歌隊、また、ゴスペルを歌ったりするかたが、うらやましくも思えるのです。そんな私が、唯一の例外だと思いますが、「信仰と音楽の結びついたもの」があるのです。それが、ほかならない、バッハの「マタイ受難曲」なのです!これは、私は、音楽としてもすばらしいと思うし、また、信仰の物語としても聴けるし、というかそんな区分けが要らないほど、音楽と信仰の結びついた曲です。

 しかし、そんなこの曲、聴くのはなかなかたいへんで、なにしろ全曲で、3時間を超えるくらいの長さ。映画でもこんなに長いのはあまりないでしょう(映画のことはよく知りませんけど)。バッハのマタイ受難曲に興味を持って、私に聞いてこられるかたに、CDかDVDをおすすめしようかと思うのですが、なかなか長くてね…。ただ、長いだけの音楽が続くのではなくて、短い音楽がたくさん集まった音楽ではあるのですけれど。曲は、新約聖書マタイによる福音書の受難の物語(マタイ26章、27章)のドイツ語聖書に忠実に音楽をつけたものですが、じつは、なんというかミュージカル仕立ての音楽で、ひんぱんに「挿入曲」が入ります。(ですからそういう曲は聖書がテキストではない。ヘンデルの「メサイア」や、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」が、ほぼ間違いなくすべて、聖書の言葉だけをテキストとしているのとは違うわけです。)ちなみにバッハには「ヨハネ受難曲」という曲もあります。バッハの受難曲は、この2曲。ではなぜマルコ受難曲やルカ受難曲がないのかと言えば、ないのではなく、バッハはちゃんと聖書日課にしたがって、マルコやルカの受難曲も書いたのだ!ただ、楽譜がなくなっちゃったのだ!惜しい!マタイ受難曲、ヨハネ受難曲の出来のよさを考えると、あと2つも受難曲がなくなっちゃったのは、じつにもったいない話である!

 それで、さきほどのおたく話の続きをします。まず、リヒターというのは、往年の大指揮者で、とくにバッハが得意でした。いまとなっては、スタイルが古いと言われますが、なにを、古くてもいいものはいいのだ!だいたいバッハ自体が古い音楽ではないか!そして、ニコレというのは、これもまた、往年の大フルーティスト。私の先生の、先生でもあります。とくにバッハは得意であり、リヒターととても親しかった。リヒターとニコレの共演した録音としては、有名なのは、バッハの管弦楽組曲第2番、ブランデンブルク協奏曲第5番などが挙げられます。また、モーツァルトの協奏曲2曲とアンダンテ、フルートとハープのための協奏曲、ハイドンの協奏曲、またグルックの「精霊の踊り」なども、有名な録音です。また、リヒターがチェンバロを弾いた録音として、バッハのフルート・ソナタがあります。バッハのフルート・ソナタは7曲ありますが、すべて録音しました。いまとなってはスタイルが古いと言われますが、いいものはいいのだ。そして、リヒターの指揮するバッハのカンタータの録音で、しばしばニコレがフルートパートを担当していることがあることに気づいたのが、わりと最近で、ここ数年のことです。ニコレのファンなのに、そんなことも知らないなんて、もってのほかかもしれませんが、とにかく最近、知ったことです。そして、きのうそのマニアのかたから教えていただいたことは、リヒターの指揮する1979年録音のバッハのマタイ受難曲で、ニコレはフルートを吹いているということ!このことを知るのに、何十年もかかってしまいましたが、とにかく知った。聴いた。すばらしい。この録音は、オーケストラはミュンヘン・バッハ管弦楽団、合唱はミュンヘン・バッハ合唱団、ソリストも理想的な歌手がそろっており(福音史家といって、聖書の地の文を歌う担当も、イエス役も、超一流。福音史家はシュライヤー、イエスはフィッシャーディースカウ)、オーボエはクレメント、とにかく「リヒターの仲間たち」の勢ぞろいした録音で、すごい演奏なのです。そしてフルートがニコレね。例のソプラノのアリアとか、すばらしかった。ほかの場面もすばらしい。

 ランパルの話をしましょう。ランパルのほうが有名かもしれませんが、20世紀、ニコレと人気を二分した、フルート界の巨匠です。そのランパルの自伝に出てくるのです。あるときマクサンス・ラリューとバッハのマタイ受難曲を録音したが、いわゆる「ツボって」しまって、笑いがとまらなくなり、何時間もセッションを中断するはめになってしまった。周囲からは、なんというやつらだと思われただろう、そのときのレコードを聴くと、笑いをこらえながら吹いているのがわかって、恥ずかしいというようなことを書いていたのです。恥ずかしいからか、指揮者もソリストも書いてありませんでしたが、これもきのう、判明しました。フリッツ・ヴェルナーという指揮者の録音である!これはYouTubeにあり、いい音で聴くことができました(一日に2回もマタイ受難曲を聴くなんてぜいたくですが、こんなに人生の洗濯もなかなかないので、ぜいたくに時間を使わせていただきます)。案の定というか、ランパルが、笑いをこらえながら吹いているなんて、まったく気にならないのでありました(そういうのは本人がいちばん気になるのであって、はたから見たら気にならないものです)。そして、ヴェルナーの「マタイ受難曲」は、非常な名演奏でした!

 ここで、最初の、バッハのこの曲に興味をもって私に聞いてくる人の話に戻ります。ちょっと前までは、私のCDかDVDをお貸しするしかありませんでした。しかし、私の持っている日本語対訳つきのCDは、ガーディナー盤だけ、日本語字幕つきのDVDは、鈴木雅明盤(テレビからとったDVD)だけでして、いずれも古楽器。べつに古楽器をにくんでいることはないのですが、まず、個人的には、私はモダンピッチの絶対音感があるため、古楽器は低く聴こえて気持ち悪いというだけでなく、これらの演奏は、どちらかといえば、時代考証学派であって、「バッハの音楽の時代考証的な演奏を心がけよう」という意図の強いもので、単純素朴に「バッハのマタイ受難曲っていいよね~」というような感動からは遠いと感じられ、いつも人に貸すのに抵抗がありました。「ふーん、これがバッハか。つまらないな」と思われるような気がしたのです。(ガーディナーファン、鈴木雅明ファンを敵に回していますが、すみません、そんなつもりはなくて。)なんだか、教会で、これぞ正しい聖書の解釈という「正統派説教」を聞かされている感じ。聖書って、もっと自由に読んでいいものでしょ。私だってささやかながら、このnoteで、私なりの聖書の読みを自由に書いちゃってます。たしかに私のは幼稚だと思いますよ。注解書を読んでもいないし、神学というものを知らないし。でも、私なりの聖書の読み方はある。それと同じで、「正統派バッハ」が、ほんとうにバッハの(そしてもととなっている聖書の)スピリットを伝えているとは限らないのだと思う。その点、このフリッツ・ヴェルナーの演奏はよかった。いわゆる従来型のバッハで、いい意味でわかりやすい感動に満ちていると思いました。そして、このYouTubeの動画のハイクオリティ!「フリッツ ヴェルナー マタイ」とかで検索すると、すぐ出ると思いますが、複数でますが、日本語でアップされている「オペラ対訳プロジェクト」というほうの動画をお選びください。まず、この音源は著作権保護期間が終了していることが宣言され、そして、キャストが出た上で、冒頭の合唱曲から出ますが、すべて、ドイツ語のオリジナルの歌詞と、日本語訳が画面に出ます!その訳がまたよく、鈴木雅明のDVDの訳よりずっとよい。(だいいち鈴木雅明の字幕は、日本語しか出ないし(ドイツ語は出ない)、最小限しか出ないので、このYouTubeの懇切丁寧な訳の出し方とは比較にならない。)しかも演奏もヴェルナーのほうがすぐれているのだから、ぜったいにこのYouTubeのほうがおとくである。もう何重にも、このヴェルナー盤がいいのだ。とくにこのYouTubeの動画。バッハ初心者にもおすすめです。ちょっと長めの映画を見るつもりで。とくに聖書になじんでいる人にはなじみやすいでしょう。ようやく、初心者におすすめできるものを見つけた!

 おたく話のほうが長くなってしまいましたが、以上です。お読みくださり、ありがとうございました。


(以上です。すみません、今年3月15日の、受難節の記事です。)

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