見出し画像

外山雄三を讃えて#16 自作自演

 (※これから久しぶりにクラシック音楽のオタク話を書こうとしています。しかも、外山雄三の自作自演というマニアックな話を書こうとしています。それでも興味があるというかたは、どうぞお読みください。)

 外山雄三という指揮者・作曲家については、1996年ごろ、仙台フィルの東京公演を聴いて以来のファンです。昨年(2020年)から今年にかけて、大阪交響楽団を指揮したたくさんのCDが出ました。CDの多い音楽家ではなかったので、ファンとしては驚くほどの出かたでした。そのすべてがよいとは言えませんが、いいものはとてもいいです。きょうは、そのうちから、今年(2021年)に入ってから出た、自作自演のCDを紹介したいと思います。

 これは、6曲が収録されています。すべて、外山雄三の作曲および指揮、オーケストラは大阪交響楽団です。「オーケストラのための「玄奥」(2015)」「沖縄民謡によるラプソディ―(1964)」「バレエ音楽「お夏、清十郎」~パ・ド・ドゥ」(1975)、「前奏曲(2012/13)」、「交響曲(2018 世界初演)」、「管弦楽のためのラプソディー(1960)」の6曲です。この10年以内に作った、比較的新しい作品が多く含まれているのも、ファンとしてはうれしいです。

 「玄奥」は、2015年の作品ですね。この6曲のなかでは最も規模が大きく、いかにも外山雄三の作品だと思わせる音楽です。すなわち、あちこちに(単独ではわりと単純な)和音を配置し、即興で作ったのではないかというくらいの作品です。バカにしているのではありません。即興でも作れるくらいの力量のある作曲家ということですし、その和音も、和声進行に独自のものがあります。首尾一貫しているとも言えますし、裏を返せば、ちょっとワンパターンでもあるのですが、私はこれが嫌いではないものですから…。例えて言うと、アメリカの作曲家のホヴァネスが、やはり「偉大なるワンパターン」と言われたのに状況が似ているかもしれません(ホヴァネスの作風と外山雄三の作風が似ているわけではありません。似ていません)。どの曲も、「外山雄三の曲である」という主張をしているかのようです。

 2曲目の「沖縄民謡ラプソディ」は、すでに仙台フィルを指揮したCDが、20年以上前に発売されております。私も持っており、いまでも好んで聴いています。「あさどやゆんだ」に基づく作品で、最後に君が代が引用されています。1964年の作品なので、半世紀以上も前の作品です。仙台フィルを指揮した演奏と比較すると、テンポが遅くなっております。外山雄三は90歳になっており、したがってこんなにも前の作品があるわけです。しかしそのころから外山雄三は、一貫して「外山雄三の音楽」を作ってきたのだと思わされる、首尾一貫した感じです。この日の演奏会は、2019年8月31日に大阪のシンフォニーホールで行われた、外山雄三指揮大阪交響楽団の演奏会のライヴ録音で、よほど行こうかと思った演奏会です。外山雄三がときどき行なう、「短い曲がたくさんあるプログラム」であり、この日は、「ラプソディ」(狂詩曲)という作品ばかりで構成されたプログラムでした。行けばよかったかなあ。いまより金銭的にも余裕があり、時間的にも、大阪を往復する時間はあったからです。外山雄三も、かなりの高齢でありましたし。そして結果的には、そのあとコロナが流行ってしまいました。とにかく、古今東西の「ラプソディ」を集めた演奏会で、自作からこの「沖縄民謡ラプソディ」が選ばれていたわけでした。のちにツイッターで、大阪交響楽団の団員のかたをフォローしました(いまはツイッターはやっていません)。そのかたによると、アンコールが、かの有名な、自作の「管弦楽のためのラプソディ」であったということです(このCDも、最後の曲はこれです。もっとも、このときの演奏ではないものが収録されています)。やはり生で聴きたかったですね。

 つぎです。「お夏、清十郎」というバレエ音楽が、どういうものかはわかりませんが、これも作曲は1975年で、これでも私の生まれた年です。そのごく一部ですが、これはたとえば「玄奥」のようなシリアスな感じではなく、もう少しリラックスした音楽になっており、曲順も考え抜かれている感じがします。

 4曲目は、「前奏曲」。これは、かなり気合を入れて作ったらしいことがわかる作品で、冒頭から、やる気に満ちています。外山雄三は、年齢を重ねてからも、チャレンジ精神を失っていません。すごいことです。短い作品ですが、聴きごたえがあります。なお、ニ調で始まって、ハ調で終わる作品です。

 5曲目は、「交響曲」です。これは、新日本フィルの公式YouTubeで聴いて知っていました。しかし、どうも長さが違うし、終わり方も違います。でも同じ曲です。大阪交響楽団のほうは、2018と書いてありますが、新日フィルのほうは、2019年に書いたもののようです。つまり、書き足したというか、改訂したというか、だろうと思います。私の感想としては、新日本フィルのバージョンのほうが、完成形である気がしています。これも、上の「前奏曲」と同じくニ調で始まるのですが、この大阪交響楽団のほうは、ホ調の作品に聴こえます。新日フィルの作品は、ニ調の作品に聴こえます。さきほどの「前奏曲」と比較しても、やはり外山雄三って、全音で動く作曲家なのか?とにかく長生きしている作曲家ですから、録音されていない作品はたくさんあります。武満徹が、外山雄三と1歳しか違わず、しかし、かなり前に亡くなったことを考えると、もし武満が、現代まで生きていたら、どういう音楽を書いていただろうか、というのは、すごく気になります。そして、外山雄三の傾向として、なんにでも「交響曲」という曲名をつけたがる傾向がありますので、これもそんな曲のひとつかと思います。外山雄三の交響曲としては、交響曲「帰国」という曲が、私の好みです。これは、以前この「外山雄三を讃えて」というシリーズの記事でも書きましたが、都響の演奏会で生で聴いたのです。そのときから好きです。きのうもたまたま聴いたというくらい好きです。「外山雄三を讃えて②」という記事です。リンクをはりません。YouTubeにもあるのですが、それもリンクをはらないことにいたしますね。興味をお持ちのかたはどうぞお聴きください。この曲よりもおすすめです。この曲は、交響曲と言っても、単一楽章の作品で、その意味で、シベリウスの7番とか、スクリャービンの「法悦の詩」みたいな交響曲であると言えるでしょう。

 最後に、もっともポピュラーな「管弦楽のためのラプソディ」が入っています。この曲の自作自演も多いです。N響の録音や、日本フィルの録音。本人も、これが受けるのを知っていてというか、これをお客さんは楽しみにしているのだということを知っていて、というべきでしょうが、よく取り上げています。この演奏は、日フィルのときに、最後の八木節に入る直前に「ヨー!」という掛け声が入ったのとは違い、また、沼尻竜典指揮都響が録音したときに、その場面で「ハッ!」という掛け声が入ったのとも違い、掛け声は入りません。そして、もっともゆっくりしたテンポの自作自演だと思います。しかし、あらためて、八木節の本来のテンポって、こんな感じだよなあと思いながら聴いています。作曲から60年くらいたってからの自作自演ですが、こういう演奏も味わいがあって、よいものです。(岡林信康の「くそくらえ節」よりまた古い曲です。)

 というわけで、外山雄三の新譜について、感想を書いて参りましたが、ひとこと。これ、もしかしたらCDのフォーマットでしか聴けない音源かもしれません。われわれが若かったころは、インターネットもスマホもなかった時代なので、音楽を聴くとしたら、生以外では、CDを買うしかなかったのです。しかし、いまはスマホなどでもかなり気軽に音楽が聴けるため、あるクラシック音楽マニアのかたから、以下のような話を聞きました。ある若い音楽ライターさんが、CDを聴いて、「この新鮮なアナログ感!」と書いていたそうです(またも記憶に頼る引用ですみません)。そのマニアさんは、「CDはデジタルだろ」というツッコミをしていましたが、まあそのライターさんの気持ちもわかりますね。でもこの時代に、あえてCDで音楽を売るというのは、かなり自信がないとできないことである気もします。

 そういったわけで、外山雄三の最新の自作自演のアルバムについての感想でした。このCDもある人からのカンパでいただいたのです。感謝です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?