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ショートメッセージ:バルティマイのように

※これは、2016年7月に、当時、勤務していた、あるキリスト教学校の礼拝説教として語った原稿です。 

 一行はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。(新約聖書マルコによる福音書10章46節~52節)

 みなさんは、今日の聖書の話を聞いて、どのようにお感じになりましたか?目の見えない人がイエスによって目が見えるようになったという話です。これは、古代の人の迷信だと思いますか?


 隠すまでもなく知っている人も多いと思いますが、去年、私は病気を患って、ずいぶん休み、はかりしれないほどの人にご迷惑をおかけしてしまいました。家族にも迷惑をかけました。そして自分自身、たいへん苦しみました。


 こういう病気のとき、先ほどお読みいただいたような、聖書に出てくる、病気や障害が奇跡的にいやされる話に、ものすごく励まされるのです。少なくとも私はそうです。感動のあまり涙さえ出てきます。ほんとうに自分が無力になり、なにもかも家族にやってもらいながら、誰の役にも立たないばかりか、みんなに迷惑しかかけていない。そういう無力感のなかで、盲人バルティマイがいやされた話は、一縷の希望の光です。


 この物語は、理屈を超越して、二千年の時を越えて、私達をなぐさめ励ましている物語です。イエスは「求めなさい。そうすれば与えられる」という有名な言葉を残しましたが、まさに、視力を求めたバルティマイに、視力が与えられたのです!ほんとうに、求めたら与えられたではないですか。絶望に絶望の続く人生ですけど、少し、信じてみよう、もう少し生きてみよう、あすはもう少し良くなっているかもしれない、と思うことができるではありませんか。


 「病まなければ信じ得ない奇跡がある」という言葉があります。病気になってはじめて信じられる奇跡があるのです。見えない人が見え、歩けない人が歩き、手のなえた人がなおり、重い皮膚病の人がいやされるという話が、実感をもって信じられるときがあるのです。


 みなさんも、うすうす感じておられるとおり、人生って、思い通りに行かないことの連続です。しかし、私はそれでも、「求めなさい。そうすれば与えられる」という言葉を信じ、目が見えなかったバルティマイが見えるようになった話になぐさめられ励まされて、一歩、一歩を歩くものでありたいです。

 お祈りします。…

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