外山雄三を讃えて#11 ディスカヴァー・オーケストラ

 「外山雄三を讃えて」のシリーズが、11回目になりました。学生時代からの外山雄三マニアとしましては、外山雄三の「おしゃべりコンサート」的なものにも行ってみたく、行ったのが、日本フィルの「ディスカヴァー・オーケストラ」でした。2001年10月28日のことで、25歳の大病をわずらってのち間もなくのころのこと、ようやく「演奏会」というものが再び聴けるようになったころの話です。

(25歳の大病にもかかわらず、私は「外山参り」は、1996年から2005年まで、毎年、1年に1度は行けていました。)

 この日は、「再発見!オーケストレーションの不思議」ということで、いろいろな編曲などをおもしろいトークで聴かせていただきました。外山雄三はトークもじょうずですが、ただし言っていることを真に受けるべきかどうかは判断に迷うところです。あまり外山雄三の言うことを真に受けることは必要ないような気がしています。あくまで外山雄三は音楽家として評価されるべきでしょう。
 
 トークのあいては西田ひかる。この二人で、おしゃべりしながらコンサートは進みました。

 まず、バッハの「トッカータとフーガ ニ短調」(嘉門達夫の「チャラリー鼻から牛乳」で有名な曲)のオーケストラ編曲版であるストコフスキー編曲からです。最初に、オルガン(原曲)による演奏(トッカータのみ)がありました。サントリーホールで、珍しくP席ではなく、下手のほうの普通の席でした。サントリーホールのオルガンを弾いたのは水野均さん。私が通っていた教会のオルガニストでもありました(親しくしゃべったことはないです)。そして、外山雄三指揮によるストコフスキー編の全曲。ディズニー映画の「ファンタジア」の冒頭でもよく知られた曲です。日フィルは、1965年7月に、ストコフスキー本人の指揮でこれを演奏しており、録音も残っています。そのときの人はもうその時点で日フィルにはいなかっただろうと思いますが。外山雄三は、冒頭の、ストコフスキーが休符を書いていないところで、ほんとうにあいだをあけませんでした。こういうときの外山雄三は、バッハに忠実なのではなくストコフスキーに忠実になります(楽譜通り)。ストコフスキー自身もそうはやっていないという表現で、いかにも外山雄三らしいです。

 つぎに、近衛秀麿の「越天楽」。これは、雅楽からの編曲であるわけです。これは、ストコフスキーも録音を残しており(ストコフスキーが録音を残した邦人作品としては、箕作秋吉(みつくり・しゅうきち)の「芭蕉紀行集」のライヴ録音を含めないと、唯一ではないかという気がします)、近衛自身の録音もあります。近衛のアンコール用の作品で、個人的には、冒頭のフルートソロ(竜笛の模倣)は、ピッコロの低音域のほうが適しているように思えますが、それはそれとします。笙の役割を担うのは弦楽器。コンマスの人が「こうやって、弾きそこないみたいな音を出すんですよ」と言っていました。ノンヴィブラートで、笙の感じを出していましたが、1982年の外山雄三(N響)の演奏では、弦がヴィブラートしているような…。この2001年の段階では、外山雄三は、この作品の弦はヴィブラートをしない方針にしていたのかな、と思いました。

 次に、小川典子が出て来て、リストの「ラ・カンパネラ」を弾きました。前々日くらいにこの本番があることを思い出して練習したと言っていました。プロらしい話です。外山雄三がしきりにオーケストレーションがおもしろいと言っていた、リストの「死の舞踏」を、ピアノとオケで聴きました。

 ここで休憩であり、休憩後、ブラームスのハンガリー舞曲第5番が演奏されました。これも、連弾が先であり、オーケストレーションは、ブラームスでない人(シュメリンクかパーロウ)が、半音上げて、やっているわけです。連弾は、西田ひかると外山雄三。オーケストラ版の指揮は西田ひかるさんでした(もちろん稽古は外山雄三がつけているのでしょうけど)。私も、これよりずっとのちですが、この作品は、指揮したことがあります。この曲との出会いは、高校のときにさかのぼり(シュメリンク編で2番フルート)、ずっとのち(この演奏会よりあと)に、シュメリンク編のピッコロを吹いたことがあり、さらにのち、中高のオーケストラの顧問であった時代に、パーロウ編で、指揮とピッコロを体験しました。まあ、有名な曲ですし、よくやるわけですが。

 そして、ムソルグスキーの「展覧会の絵」。これはじつにさまざまな編曲があり、いまも私は、NML(ナクソス・ミュージック・ライブラリ)で、「展覧会の絵」のさまざまな編曲を聴いていますが、毎日、聴いても、とうてい聴き終わらないほど、たくさんの編曲があります。この日も、いろいろな編曲を聴かせてもらいましたが、近衛秀麿編曲の冒頭(プロムナードの冒頭)をやってくれました。練習のとき、オケも外山雄三も「あ、君が代」と思ったそうです。たしかに君が代によく似ている。じつは君が代は近衛秀麿のオーケストレーションですので、似ていてもふしぎはないのですが、おもしろいことです。

 さて、「展覧会の絵」で最も有名な編曲はラヴェル編曲で(逆に、ラヴェルが完璧な編曲をしているので、のちの人はやりたいようにやれる面があるのでは。マーラーの交響曲第10番も、クックのスタンダードな補筆完成版があるので、のちの人はやりたい放題なのではないか)、最後に、そのラヴェルの作曲した「ボレロ」を演奏しておひらきとなりました。アンコールにバーンスタインの「ウェスト・サイド・ストーリー・シンフォニック・ダンス」より「マンボ」。これが、かっちりきっちりした演奏で、最も外山雄三らしかったかもしれません。われわれお客さんに「マンボ」を言わせるわけですが、外山雄三は「マンボウ」のつもりで言ってください、と言いました。われわれは「マンボウ」と言いました。貴重な経験でした。

 というわけで、外山雄三のおしゃべりコンサートを聴いたときの感想でした。病後まもなくであったこと、外山雄三の指揮する演奏会で、日フィルはこれが唯一であることなど、いろいろな思い出があります。

 以上です!

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