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教授と呼ばれた男

 きのう、NHKの「こころの時代」という番組を見ました。再放送でしたが、奥田知志さんが出て来る、コロナ禍で聖書を読む話でした。とてもいい話がたくさん出てきて、感動しました。しかし、だれとも分かち合えません。いま私は実家で両親と3人で暮らしていますが、両親とは分かち合えないのです。

 おこがましいようですが、私と奥田知志さんは、ものの見方などで、共通するものがあるような気がしています。もちろん、違うところのほうがはるかに大きいですが、なにか共通する。そのひとつの証拠として、私がこうしてnoteで奥田牧師を出す頻度の高さ。おそらく「奥田知志」というハッシュタグを最もたくさんつけているのは私ではないでしょうか。それで、両親には、奥田さんを私だと思って読んでほしいという思いから、奥田さんの著書を読んでもらったり、動画を見てもらったりしています。そのたびに、あまりにも両親が理解していないので、がっかりしてショックを受けることの多さから、賢くなった私は、きのうは、一切、両親とは分かち合いをしなかったのです。おそらく、きのうの1時間番組を両親に理解してもらうのは「求めすぎ」なのでしょう。最も奥田さんの言葉が届いてほしい2人にまったく届かない無念。やはり「親子やり直し」は無理ですね。「親子やり直し」も「求めすぎ」かもしれません。(でも、両親は、奥田さんの言葉を理解しているつもりらしいし、親子やり直しもできると思っているらしい。そもそもこの生活は、親子やり直しの一環だと思っているかもしれない。とんでもない!私がちょっとでも本音を出そうものなら、追い出そうとするような表面的な穏やかさは、まったく「親子やり直し」ではない。)

 奥田さんの著書のなかに「教授と呼ばれた男」という文章があります。いま、手元に本がないため、記憶で要約することをおゆるしください。北九州市が、まだ、住所がない人は生活保護の申請ができなかった時代の話です。もちろん、住所がなくて困っているのに、住所がないという理由で生活保護を断られるのは、かなり困るわけですが、そういう行政とのやりとりのなかで、当時、野宿状態にあったある男性が、生活保護法に書かれていること、その解釈、生活保護問答集に書かれていること、いろいろな訴訟の判例などを挙げて、役所の人に迫るという話でした。その人は、「教授」と呼ばれるようになり、毎回の役所とのやりとりは、教授による講義のようだったと奥田さんは書いています。メモを取る人も現れたそうです。そのかたは(失礼ながら、と奥田さんは書いていますが)学生時代に勉強ができたほうとは思えないそうですが、自らが生きるために、必死で図書館で調べていた、ということです。すごい話です。「学ぶ」ということは、こういうことではないかと思わされます。これに比べたら、学校の「勉強」なんていうのは、おままごとみたいです。しかし、つい先日、父にこの話をしたら、「その話は覚えている。その人、すごいね」と言いますが、まったくなにもわかっていないことがわかり、がっかりしてショックを受けたばかりです(数学の答案でも何でもそうですが、その人がわかっているか、わかっていないかは、見ればすぐにわかるものです。父はなにもわかっていなかった。父に理解を求めるのは「求めすぎ」なのです)。

 考えてみると、父は「教授と呼ばれた男」どころか、「本物の教授」だったのです。某国立大の教授でした。いまは名誉教授。若いころからやってきた研究テーマをずっと続けてきた、ある意味で世界のせまい人です。じつは母は輪をかけてひどいです。母も若いころからずっとやってきたことを今でもやっており、世界はせまいです。きのう会った、母の弟もひどい。しばらく会っていませんけど、私の実弟は、最もひどい。じつは彼らは、このnoteを読んでいます。直接、言うと、激昂したり、私への金銭的援助をやめようと脅したり、私を追い出そうとしたりするので、その点ですでに親としてのなにかが完全に欠落しているのですが、対外的には、彼らは、私などよりもよほどご立派なご両親であり、私よりずっと常識があり、親のすねをかじるしか能のない私とは違ってとにかく立派なのです。小さいころから、最近にいたるまで、私はずっと親が正しいと思ってきました。30歳の結婚式のときでさえ、当時の日記を見ると、両親から言われたことを詳細につづっています。それは、あとから「こんなひどいことを言われた!」と言うためではなく、これから社会人になる自分を戒めるために、いっしょうけんめい両親の言葉を書き留めていたのです。30歳になっても両親に頼っていた私が、6歳のころに、両親に反発できたはずがないのですが(両親に反発できるくらいなら、こんなにひどいダメージは受けていません。反発するというのは、両親よりも自分のほうが正しいと思えたときにはじめてできる行為だからです)、両親は、6歳の私が、両親に、ものすごく反発してきた、言い返してきた、と主張します。もはや、記憶までぬりかえているのです。どうしたらよいでしょう。そして、いま、私は、その両親の住む家で、全面的に両親に依存して生活しています。波風を起こしたら、追い出されます。表面的な仲のよさを保たねばならず、再洗脳されていっており、きわめてつらいです。だれか、まともな人はいないものか!そんな私にできることのひとつが、きのうの奥田さんの出た番組で、いっしょに見ていたはずの両親と、「分かち合わない」ことだったのです。苦しい。だれかまともな人はいないのか。奥田先生、助けて!

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