感謝の気持ち

(私の書くことはすべてフィクションですよ。)

 ある若い仲間とメールで文通をしていて、「困っている人は助ける、そして自分が困っているときは助けてもらう」という話題になりました。これは私のいつも思っている正直な気持ちです。この話に、その若い仲間は好意的に反応してくれました。彼は、一時期、体調を崩して、車いすの生活を送ったこともあるのです。彼は、自分の体調が悪くなったときに、「困っているときは助けてもらう」ことの大切さを学んだ、とメールに書いてくれました。そして、「感謝の気持ちを学んだ」と書かれました。それまでの自分は、どこかで、自分のことは自分でできるというような傲慢さがあったと思うけれども、人に助けてもらって、感謝の気持ちを学んだ、というようなことを書いてくれたのです。

 タレントのはるな愛さんが、やはり「困っている人は助ける、そして自分が困っているときは助けてもらう」という話をしています。(この記事の最後にそのYouTubeをはります。35分もかかりますので、かんたんにおすすめできませんが、とてもおもしろい話である上に、感動的なので、よろしければご覧くださいね。)はるな愛さんは、若いかたはご存知ないタレントさんかもしれませんね。ブレイクしたのは2007年で、ある時期よりテレビにはあまり出なくなり、いまはほとんど見ません。この動画は、今年(2021年)の7月末に公開されたものです。はるな愛さんは、性的な少数派として、大変な人生を歩んで来られています。しかし、その分だけ、とてもやさしい人になっておられて、「悩んでいるのは私たち(性的少数派)だけではない、隣の人が何で困っているか聞いて、そして自分が困っているときは助けてね、って言う。そうしたら、とても住みやすい世の中になって、差別もなくなると思う」と語っておいでです。私は非常に共感しました。はじめてこの動画を見たときは、何度も涙しました。

 私は幼少のころから「感謝しなさい」という言葉がとても苦手でした。これは聖書に出てくる言葉というより、一般的な道徳律として、よく学校などで聞かされたものです。私には、この言葉は「おい、お前みたいなクズのために、これだけやってやっているのだぞ、どうだ感謝しろ」と言われているようで、つまり、恩を着せられているようで、嫌だったのです。実際、そのニュアンスで言われていたと思います。しかし、だんだん大人になるにしたがってわかってきました。「感謝」というものは、人から強制されて出るものではなく、自分の内側から湧いてくる気持ちだったのです。

 私はよく「人に頼る」「あつかましくする」という話を書いています。しかし、自分の「助けてほしい」という気持ちに応えてもらえたときは、感謝の気持ちが湧いてきます。なかなか本人の前では言えなかったりしますが、私の日記は、妻子をはじめ、たくさんの人への「感謝の気持ち」があふれるばかりに書かれてあります。この場をお借りして、これをお読みの皆さんにも感謝申し上げたいと思います。いつもほんとうにありがとうございます!

 パウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(新約聖書一テサロニケ5章16-18節)と言っていますが、その意味がようやくわかりつつあります。助けてもらったら感謝の気持ちが自然と湧いてくるのです。

 (最後に、そのはるな愛さんのYouTubeのリンクをはりますね。たかまつななさんというかたのチャンネルのゲストとして出演しておいでです。繰り返しになりますが、35分もかかりますので、律儀に見なくてもだいじょうぶですよ。)


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