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外山雄三を讃えて⑲「日本の現代管弦楽作品集」

 (これは私がときどき書くクラシック音楽オタクネタです。それでもよいというかただけ、どうぞお付き合いくださいませ…)

 私が学生時代から聴き親しんでいるCDのうちに、外山雄三指揮、NHK交響楽団による「日本の現代管弦楽作品集」という3枚組があります。1982年3月に行われた一連の演奏会の録音であり、いまから40年近く前ですので、その当時としての「現代」であることは注意しなければなりませんが、いまでも聴く価値のあるすばらしい3枚組であることを書きたいと思い、書き始めております。

 外山雄三の記事を書くのがこれで19回目で、何度も書いていますのでくどかったらすみませんが、指揮者であり作曲家である音楽家です。今年(2021年)、90歳ですが、元気に指揮と作曲を続けているようです。外山雄三を追って四半世紀になった私が、とくに好んで聴くCDのひとつです。

 外山雄三の指揮者としてのレパートリーの大切なものに「日本のオーケストラ曲」があります。学生時代に何度も外山雄三の指揮する演奏会に行きましたが、しばしば1曲目が日本の作曲家による作品でした(自作のこともありました)。日本のオーケストラ曲にもいい曲はたくさんあります。この1982年の演奏会シリーズは、この時点での日本のオーケストラ曲の名曲を集めたものとして貴重なものです。(「貴重なもの」というニュアンスは、「人類にとって貴重」とかいう大げさなレヴェルではなく「私にとって貴重」という個人的なレヴェルです。)

 収録されている順番にご紹介いたしますね。

 まず、山田耕筰(やまだこうさく)の「曼陀羅の花」。山田耕筰は「赤とんぼ」「この道」「待ちぼうけ」などの歌で有名ですが、このようにオーケストラの作品もあります。海のものとも山のものともつかない作品で、なかなか山田耕筰の全容は明らかになりません。私はドミトリー・リス指揮ウラル・フィルの生演奏で、山田耕筰の「明治頌歌」という珍曲を聴いたことがあり、いつかその感想も記事にしたい気持ちがあります。とにかくふしぎな曲です。

 つぎに近衛秀麿(このえひでまろ)の「越天楽(えてんらく)」。これは有名な雅楽である(というか私は雅楽ではこの曲しか知りません)越天楽をオーケストラ化したもので、近衛が指揮者として海外のオーケストラに客演するときのアンコール用に作ったと思われるものです。この曲には近衛の自作自演の録音も残っており、またストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団による録音も残っています。ストコフスキーは1965年に来日したときも、アンコールにこの曲をやったようです。個人的には冒頭のフルートソロは、ピッコロの低音域でやったほうがより竜笛らしいと思いますが…。この編曲ではもっぱら弦楽器は「笙」の役割を担っています。のちに外山雄三指揮、日本フィルの演奏で、生でこの曲を聴いたことがありますが、そのときにコンマスの人が「こうやってヴィブラートをかけずに『弾きそこない』みたいな音を出すと笙みたいなんですよ」と言っていました。しかし、この1982年の演奏では、弦楽器はヴィブラートをしています。外山雄三も「進歩」があるのですね。

 つぎの曲は伊福部昭(いふくべあきら)の「交響譚詩(こうきょうたんし)」です。難しい曲名の音楽が続きますね。伊福部昭は「ゴジラ」の映画音楽で有名で、私が学生時代は現役の作曲家でした。ちょっとした伊福部昭ブームがあったと記憶しています。この曲にも特徴がよく現れていますが、エネルギッシュでちょっと単なる和風を超越した「わかりやすい」作風の作曲家です。この曲に限らず外山雄三の選曲は、その外山雄三自身の作品がそうであるように、決して「難しい現代音楽」という感じではなく、日本のオーケストラ曲にずっと受け継がれてきた「日本民族主義」的な曲が多く、少し前衛的な作品でも、その「目鼻」のはっきりした音楽を取り上げる傾向にあります。

 続いて早坂文雄(はやさかふみお)の「左方の舞と右方の舞」です。早坂文雄は黒澤明の「羅生門」や「七人の侍」などの映画音楽でよく知られています。この曲も、かなり和風の曲であり、映画音楽やテレビ音楽のような親しみやすさがあります。これは上記の伊福部昭もそうですが、「これらの作品が映画音楽に聴こえる」というより「この人たちが日本の映画音楽のイメージを作ってきた」と言ったほうが正確なのです。

 1枚目の最後に、小山清茂(こやまきよしげ)の「管弦楽のための木挽歌(こびきうた)」です。これがまた日本民謡的な親しみやすい作品であり、私が中学生くらいのころ、この曲は音楽の授業の鑑賞教材でした。これも個人的な感想ですが、もう少し弦楽器を活用したオーケストレーションでもよかったのではと思われる気がする作品でもあります(ちょっと吹奏楽みたいな響きがするような気がします)。この演奏もよいのですが、外山雄三の指揮では、読売日本交響楽団を指揮した録音が名演奏です。外山雄三の、決してやりたいほうだいみたいな節操のない演奏にはせず、節度を守っているコントロールされた「木挽歌」で、好ましいです(ただし、以前、「読響」と書いてある動画で、明らかにNHKホールのN響であるものもありましたので、にせものにご注意ください)。

 2枚目の最初に尾高尚忠(おたかひさただ)の「交響曲第1番」があります。未完の交響曲の第1楽章であり、スケールの大きな音楽です。この演奏会のずっとのちに、第2楽章が発見され、それも外山雄三の指揮で紹介されました。この演奏会シリーズは「尾高賞30周年記念N響コンサート‘82」と書かれていますが、その「尾高賞」とはこの尾高尚忠を記念したものです。長男の尾高淳忠も後述のとおり作曲家で、次男の尾高忠明は指揮者です。尾高尚忠の作品も聴くに値する名曲が多く、フルート協奏曲はフルート愛好家のあいだでは有名です(私の先生はあまりいい曲だとは思っていなかったみたいでしたけど)。

 小倉朗(おぐらろう)の「交響曲ト調」は、もしかしたらこのアルバム全体の白眉かもしれません。堂々たる4楽章制の交響曲で、まるでバルトークがハンガリーでやろうとしたことを日本でやろうとしているかのような曲です。この曲に限らずこのアルバムで少し残念なのがオケがあまりうまくないことで、どうもこの時期のN響はそんなにうまくなかったみたいです。あまり音を間違えてほしくないですが、他にあまり録音のある曲ではないので、やむを得ません。

 芥川也寸志(あくたがわやすし)の「チェロとオーケストラのためのコンチェルト・オスティナート」です。チェロは堤剛(つつみつよし)。芥川也寸志はその特徴的な名前からも想像できますが芥川龍之介の三男です。一般にはおそらく大河ドラマの「赤穂浪士」の音楽で有名だろうと思います。このアルバムの特徴でもある、親しみやすい音楽の一種であり、同じ音型が繰り返されながら盛り上がるのは、かなり聴きごたえがあります。なかなかやらない曲でもあり、この曲が生で聴ける機会はなかなかないだろうと思います。

 外山雄三の「ラプソディ」が入っています。いくつもある外山雄三のこの曲の自作自演録音のひとつです。外山雄三の初期の作品は、この曲にも顕著に表れる通り、マイナーコードに「長7度」「短7度」「6度」…と付け加えてゆく和声進行がよく使われています。(私は和音が聴きとれる耳をしているので、こういうことは手に取るようにわかります。)日本のオーケストラ曲としてはとびぬけて有名かもしれない曲で、まさに外国人向けアンコール曲として作られたという「いかにも日本」という曲です。20世紀後半以降に作曲された曲で最も演奏されているオーケストラ曲は実はジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」ではないかという話があるように、この曲もかなり演奏されている曲です。外山雄三の指揮では聴いたことがないものの、私はこれをワセオケ(早稲田大学交響楽団)の演奏で生で何度も聴いています(海外へ行くときに持って行く)。この演奏はフルートの小出信也さん(と思われる)がうまいですね(小出さんの節回しが好きでないかたがおいでになるのはわかりますが、小出さんがうまいことは否定しがたいと思います)。

 以上、2枚とも、かなり「親しみやすい」音楽が続いたと思います。3枚目は少し前衛的になりますが、あくまでもこの演奏会の選曲は、目鼻のはっきりしたものばかりになっています。聴きごたえがあります。まず三善晃(みよしあきら)のヴァイオリン協奏曲。数住岸子(すずみきしこ)のヴァイオリン。この曲は江藤俊哉のヴァイオリンと外山雄三の指揮で初演されています。また、外山雄三にはドゥヴィ・エルリー(ヴァイオリン)と神奈川フィルとの録音もあります。このへんの曲になってくると「かっこいい」という感じの曲であり、1枚目の「日本っぽい土臭さ」というよりも、もう少し洗練された曲が多くなってきます。黒澤明の映画音楽よりは、ずっと今の映画音楽に近くなってきました。

 尾高淳忠(おたかあつただ)の「オーケストラのための「イマージュ」」。さきほどの尾高尚忠の長男です。これもだいぶ洗練されていてかっこいい曲です。それでもだいぶ昔の曲ですから、いかに当時のこういった作曲家は時代の先を行っていたかを物語っているかのようです。それでもやはり和風な感じがするのが日本のオーケストラ曲らしいですね。

 吉松隆(よしまつたかし)の「朱鷺によせる哀歌」。なにしろいまから39年も前の演奏会ですから、吉松隆も若かったのです。外山雄三は吉松隆の作品をかなり取り上げていた時期があり、いくつかの録音が残っていますが、吉松隆が有名になってからは役割を果たしたかのように吉松から離れていっているように思えます。吉松隆はマイナーコードに7度や9度をつけた和音が大好きなように思えます(これも私が和音を聴きとれる耳をしているからわかることです)。この曲は坂本龍一などが好きな友人に聴かせて気に入ってもらえた経験があります。

 最後が一柳慧(いちやなぎとし)の「ピアノとオーケストラのための「空間の記憶」」です。ピアノは木村かをりです。これもかっこいい音楽です。語彙が貧困ですみません。聴く耳はあるのですけど、聴いた音楽をうまく言葉にする能力が欠けているのですよね、私は。だから「採譜」みたいなもののほうがよほど向いているのです。一柳慧はオノ・ヨーコの元配偶者としても有名ですが、現在も作曲を続けているようです。

 どうもうまく書けなくてわれながら情けないのですが、この1982年3月の演奏会と一連の録音についてはこんなところです。ここまで振り返って思うのは、やはりこれらは「内輪受け」みたいなもので、この一連の作曲家は、みんなどこかでつながっていると感じられます。古い録音の紹介で恐縮でしたが、聴き継がれる価値のある名曲がいくつもあると思います(すべてではないかもしれませんが)。こういう「知っている人には当たり前、知らない人は徹底的に知らない」という世界は、あちこちにあるでしょう。これらの曲はクラシック音楽を聴く人でも知らない人は徹底的に知らない世界の音楽ですし、もっと広く知られてもいいのに!と思う音楽ですね。どうぞ、少しでも興味を持たれましたら、これらの曲でなくてもいいですので、日本のオーケストラ曲も耳にしていただきたいと思います。(これらの音源の多くは、2021年11月23日現在、YouTubeで聴けます。違法アップロードのような気がしますけれども。)やはり外山雄三は指揮者としても作曲家としても貴重な存在だと言わざるを得ないと思います。(「貴重」という意味は「私にとって貴重」という意味ですけどね。)

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