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なぜ旧約聖書エレミヤ書はあんなに長くて支離滅裂で不平ばかりなのか、わかったぞ!

また自由に書きたいと思います。旧約聖書には、エレミヤ書をはじめとする、ひたすら長くて、支離滅裂で、暗い不平ばかりの預言書が何百ページも載っています。あれのどこがよいのか、ずっとわからなかったのですが、わかったぞ!という話です。

おととい、ツイッター(いまはツイッターといわないのか。まあいいです)であるツイートを読んだのです。クラシック音楽マニアさんのツイートでした。「ワーグナーのトリスタンとイゾルデの第3幕を聴いていて思った。こんなに我が身の不幸について、30分にわたって、ぐちを言う人が現実にいたらたまらないな。音楽だから聴けるけど。パルジファルもだ」というようなツイートでした。

私は、オペラの類は理解できません。障害特性だと思うのですが、空気が読めないので、オペラ、ミュージカル、テレビドラマ、映画、小説の類は、理解できないことがしばしばです。私はオペラを理解することをあきらめています。それで、ワーグナーのトリスタンとイゾルデについては、筋はわからないのですが、どうやら第3幕で、30分にわたる「ぐち」が続くらしいと理解しました。それは現実にそういう人がいたら嫌だが、音楽だから聴ける、と。

オペラは、映画のない時代の映画みたいなものです。娯楽です。そして、聖書というのは、昔のテレビです。かなり娯楽の要素があるのです。

エレミヤ書というのは、昔の人気番組だったことに気づいたのです。エレミヤはひたすら不平不満、ぐちを言っているからです。嫌なものを嫌だと言っているからです。これは人気番組なのです。

昔の人は、一週間のうち6日、働いて、安息日は会堂に行って、字の読める人の聖書の朗読を聴いたのでしょう。世界のはじまりの話があり、モーセが海を割る話があり、敵をつぎつぎとやっつける話があり、いいお話もあり、ちょっとだけエッチな話もあったりで、みんなのお楽しみだったのです。少なくとも聖書には、当時、かなり娯楽の要素があった。

皆さん、嫌なものは嫌だと言いたいわけですけど、実際には嫌なものを嫌だと言えない現実があるのでしょう。不愉快なものを不愉快だと言えない現実があるのでしょう。言ったらぐちになって、嫌われてしまうから。

ところが、会堂に行くと、エレミヤがえんえんとぐちを言っている。これが痛快なわけです。

私もテレビドラマには詳しくないわけですが、昔のテレビドラマだと、夫婦喧嘩などやっていて、お茶碗を投げてガシャーンと割ったりしていたわけでしょう。あれも、現実にやるわけにいかないから、そういう番組が人気番組になる。

現代だと、まさにツイッターがそれです。あれは、支離滅裂のぐちの散乱です。エレミヤ書をお読みになったことのないかたは、エレミヤ書とはツイッターみたいなものだと思っていただけたらほぼ間違いないかと。

そして、あまり正しくない(?)人がぐちを言っていてもおもしろくないので、基本的に、正しい、悪いことしてない人が、理不尽な目に遭って、ぐちを言っているのがおもしろい番組です。エレミヤは正しい人ですからね。だから人気番組。

それで、きのうちょっとたまたま見たツイートを3つほど挙げます。私のところに流れてくるツイートはこんな感じですけど、以下3つです。

ひとつは、精神病になり、処方された薬を飲んでいたら、体重が50キロ増えた。1週間で、10キロ増えたときもある。処方された薬を飲んでいただけなのに、これで私に運動が足りないとかいうか?とかいうつぶやきでした。これも、悪いことはしていない。運悪く精神病になり、処方された薬を飲んでいただけで、体重が50キロも増えてしまった。理不尽な目に遭った人が「ぐち」を言っている。(こういう人のツイートを「ぐち」というのは気が引ける気もしますが、まあありていに言ってぐちですから。ぐちって本人は自覚してないものですから。)これは大人気。「いいね」たくさん。

ふたつ目。ある発達障害業界で有名な人のツイート。発達障害って、よほど重い二次障害でもない限りは障害者手帳は3級になるのであって(※3級は軽いという文脈です)、障害年金もほぼもらえず、結局、健常者と同じだけ稼がねばならず、詰んだというツイート。これも、発達障害に生まれてきただけで理不尽な目に遭っているのであって、それで「ぐち」を言っているので、「いいね」たくさん。

3つ目です。毒親の両親を殺した19歳の元大学生。懲役24年くらいになっている。これは正当な仕返しだろ!無罪だろ!と言っている人のツイート。毒親の両親のもとに生まれたのは運が悪かった。その洗脳を解いて、両親を殺害した息子が、有罪になっている。理不尽なので、そのニュースを見た人の文句。これも共感を呼んで、「いいね」たくさん。

というわけで、ツイッターというのは、支離滅裂のぐちの散乱です。エレミヤ書と同じです。エレミヤ書に限りませんけどね。預言書全般にそうであって、支離滅裂のぐちの散乱です。まるでツイッターです。これは当時、大人気番組だったんだね!嫌なものを嫌だと言っているから!

ヨブにしても「義人」と書いてありますからね。正しい人。なにも悪いことをしていないのに、子は失う、財産は失う、自分もひどい皮膚病にかかる。さんざんな目に遭って、3人の友達の前で、ひたすらぐちを言い続ける、というのがヨブ記なのです。これは極めておもしろい番組であるわけです。

そして、新約聖書になると、典型的になにも悪いことをしていない人であるイエス・キリストが、理不尽にも十字架にかかって降りられず、「わが神、わが神、なぜわたしを見捨てたのか」と叫んで死ぬ場面は聖書のクライマックス!これは最高の番組なのだ!十字架が聖書のクライマックスであるのは本当だった!

そして、ヨブ記に戻りますと、ヨブ記は、最後の最後で大どんでん返しがあります。ヨブは健康を取り戻し、再び息子、娘が生まれ、財産も回復し、長寿をまっとうして大往生します。あっと驚きのハッピーエンドとなるのです。これが痛快であるわけです。これが傑作であるわけです。

そして、新約では、そうして理不尽にも無残に殺されたイエス・キリストが、3日後に復活するというところが最高に傑作であるわけです!!最後の最後で大どんでん返しがある!

これが、大まかな聖書のストーリーであるわけです。なるほどね~

これに気が付いたときはおもしろかったですよ。なんで、旧約聖書の後半、とくにイザヤ書以降、あんなに長くて支離滅裂で意味不明で、ひたすら暗いぐちばかり言っているのがえんえんと続くのか、長いことなぞでしたからね。いまやそのなぞは解けました。あれは、昔の人気番組だったのです!嫌なものを嫌だと言っているからです!

この現象に気が付いている人は、世界的に、いったい何人いるのかなあ…。多くの人が気づいていないことは確実な気がする…。気が付いてみたら明らかなのに。

きのう校正したあるキリスト教雑誌もそうでした。たまたまエレミヤ書が主題になっていて、知ったかぶり牧師が知ったかぶり説教をしていましたが、だれもこの現象に気づいていない。ほんとに、これに気が付いている人って、世界に何人いるか、というレヴェルじゃないかと思う。

ワーグナーのオペラからの気づきでした。これだから聖書はおもしろいですよね~!本日は以上です!

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