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「わかりません」は禁句なのかな

 最近の子どもたちを見ていて思うのですが、もしかしたら「わかりません」っていうのは禁句なのかな?

 数年前、発達障害の診断がくだって間もないころに、医師に言われたことです。「できません」と言ってはならない。「できません」と言われると、言われた人には開き直っているように聞こえて、カチンとくるよ。「できるように努力します」と言いなさい、と。内心、厳しいなあと思いました。「できません」は禁句なのか。私から「障害者差別解消法」の話を聞き、まだ休職していなかった私に(本気かどうか知りませんが)その法律の文面を上司の机のうえに置いてきたら?とアドバイスした若い伝道師がいました。私が、それはできないという話をしたら彼は「それはわかるんや」と言いました。とにかく「できません」は禁句なのです。しかし、障害者手帳というものは、「私はできない人ですからどうぞ配慮してください」と言うものなのだけどなあ。

 2年くらい前に、ツイッターをやっていて、「助けてください」と言えない人が意外と多いことを知りました。「困ったら言ってね」は言える人もいましたけど。とにかく人に甘えちゃいけないみたいです。

 子どもたちの「わかりません」が禁句になっているのも、それではないかな、と思いました。間違っちゃいけないのです。同じことを何度も聞いたらいけないのです。失敗したらいけないのです。そうではないと私は言いたいです。勉強というのは(勉強に限りませんけど)、何度も間違えて試行錯誤を繰り返し、同じ単語を何度も辞書で調べては「そうだった」と思い、そのようにして身につくものです。1回聞いただけで、決して間違わないという人はいないはず。現代の子どもたちから「わかりません」というひとことを奪っているものは何でしょうか。人は失敗するものです。失敗を禁ずるな!

 「過てば改むるに憚ること勿れ」(失敗したら改めよ)という論語の言葉も、まともなようであまり好きにはならない言葉です(儒教の言葉だから嫌いだ、と言っているのではありません。私は聖書の言葉でも嫌なものは嫌だと言います)。失敗は失敗でいいのではないか。「わかりません」を奪われた子どもたちが「わかりません」と言える日は来るのでしょうか。せめて私たち大人がもっと「わかりません」をたくさん言うしかない。大人だってわからないことはたくさんあるのだから。私は教員の経験があるから知っていますが、先生って「すべてがわかっている」という「はったり」で先生をやっているのですよね。私は、わからない言葉が出て来たら、なるべく意味を聞くようにしていますが、いざ聞かれてみると言っている本人も意味を言えなかったりするものです。なあんだ、その程度か。皆さん、もっと「わかりません」と言って、「できません」と言って、「助けてください」と言いましょう!

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