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県庁所在地での奇跡

(サムネは本文と関係のないホールであることをお断りしておきますね)

 9月に、約1ヶ月、遠く離れた町でひとり過ごしたときの思い出を、ひとつ書きますね。

 毎日が奇跡のような日々を送っておりましたが、それは、帰る前日、同居の主人が休みだったので、ちょっと足を伸ばして、その県の県庁所在地まで遊びに行ったときのことです。

 バスを降りて、なにげなく歩いているうち、ふと、あるコンサートホールの前を通りました。

 そこは、私でも名前は知っている有名なホールで、ははあここがそのホールかと思い、ちょっと中に入ってチラシなど見ました。私はアマチュアオーケストラをやっていました。オーケストラのコンサートのチラシなどを見るのは、大好きです。その地方で有名なプロのオーケストラの定期演奏会のチラシなど見ました。そのオーケストラ、存在は知っていましたが、もちろん演奏を聴いたことなどありません。しかし、「百聞は一見にしかず」と言います。じっさいにチラシを手に取ってみると、「ほんとうにそのオーケストラはあるのだ」という実感がわきました。感動しました。それで、去りました。

 目的の、昼食の店は、すぐそこにありました。しばらく待たされるようでした。私は、もう一回だけ、そのホールに行きたいと言いました。もう一度、チラシを見たかったのです。今回は、もう少しいろいろチラシを見ました。手ぶらだったので、チラシを持ち歩くことはためらわれ、いちばん気に入ったチラシの写真だけ、撮りました。ホールの入り口で記念写真。そして、再びお店に戻って、昼食。昼食の終わった私は、三たび、そのホールに行きたいと言いました。そのチラシの指揮者とソリストが気になったのですが、その情報は、チラシの裏面に書いてあるはず。なにしろお店から徒歩1分くらいですし、そもそも無目的の旅でしたから、なんでもいいのです。「4回来たら、なぐる」と彼には言われたので、今度こそ、きちんと時間をとって、くまなく見ました。

 このホールは、はるか遠くに住んでいる私でも名前を知っているほどのホール。そのプロのオーケストラの本拠地でした。そして、そのオーケストラは、その地方でほぼ唯一のプロのオーケストラでした。

 私は、これは奇跡だと気づきつつありました。

 つまり、そのホールは、その地方で最大の「聖地」だったのです!

 想像がつきますでしょうか。皆さんも、学生時代に、いっしょうけんめいやったスポーツとか、あるのではないでしょうか。私にとってそれはオーケストラであり、つまり、私がその「聖地」であるホールに着いたのは、たとえばバスケをやっていた人が、バスケの聖地(よく知りませんけど)に着いたくらいのインパクトがあるのです。

 しかも、私は、そのホールを目指して歩いていたら絶対にたどり着かない方向おんちです。ところが、こうして、無目的に歩いていると、偶然、たどり着くことがあるのです。

 いま「偶然」という言葉を使いましたが、これは、ほんとうはやはり「奇跡」なのでしょう。

 私がかつてその地を踏んだのは、1995年、19歳のときに、大学のオーケストラのツアーで訪れたことがあるだけでしたが、そのときのホールが、そこであった可能性も非常に大きかったです。そのホールは、1994年オープンなのです。

 私は、「サンフランシスコ」と聞けばまず「サンフランシスコ交響楽団」を思い出し、「ザグレブ」と聞けばまず「ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団」を思い出し、「マドリード」と聞けばまず「マドリード交響楽団」を思い出す人間です。その地のオーケストラのチラシを、本拠地であるホールで見た私の感動は、いかばかりか、想像できますでしょうか。

 こちらへ帰ってから、魔法は解けたように思えます。でも、日常的に、小さな奇跡は起こっているのでありまして、つい最近は、寝だめをしていて夜の7時20分に目が覚めたら、7時半からラジオ礼拝が始まり、しかも私のリクエストしていた聖書の箇所で礼拝が始まったということがありました。たいしたことないように思えるかもしれませんが、これも奇跡なのです。

 その地に滞在中の祈祷会で聞きました。五千人が5つのパンと2匹の魚で満腹した奇跡も、非常にくだらなくすると、5つのパンが途方もなく大きかったのかもしれないが、それだとくだらないうえに、奇跡でなくなってしまう。私の上述の「県庁所在地での奇跡」も、くだらなくしたら途方もなくくだらなくなってしまって、しかも奇跡でなくなってしまいます。私はあの地へ行って、本来の感覚を取り戻したのでしょう。奇跡は起きるのです。

 本日は以上です。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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