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外山雄三を讃えて④

 私は、1996年に外山雄三の指揮する演奏会を聴いて衝撃を受けて以来、外山雄三のファンです。おそらくキリスト教と出会うより前からの外山雄三のファンであると思われます。12年に及んだ長い学生時代(2006年3月まで)のあいだに聴いた、外山雄三の演奏会を紹介したいと思います。

 本日、紹介するのは、1998年の春に行われた、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の東京公演です。初台のタケミツメモリアルホールで、北爪道夫の「映照」、ラフマニノフのパガニーニ狂詩曲(野島稔、ピアノ)、ショスタコーヴィチの交響曲第5番です。

 なぜ、今回は「1998年の春」と、そんな23年も前のことを特定できるかと言いますと、そのころ、東京で行われる外山雄三の演奏会はもうひとつあり、日本フィルの演奏会でした。もし、そちらに行っていたら、フォンテックのCD、「外山雄三オーケストラ作品集」に収録された、「管弦楽のためのラプソディ」を生で聴いていたことになることを覚えていたからです。私は神奈川フィルのほうを選びました。

 当時、外山雄三は、すでに、神奈川フィルの音楽監督ではなかったです。その少し前まで、神奈川フィルの音楽監督だったのですが。しかし、神奈川フィルとは深いつながりがあったということでしょう。

 神奈川フィルを聴いたのは、そのときが唯一ですので、貴重な経験になりました。オーケストラのうまさという点では、たとえば都響(東京都交響楽団)みたいなオーケストラにはかなわないものがあるのはしかたがありませんが、じゅうぶんにうまいオーケストラです。それから23年がたって、今はきっともっとうまくなっているのではないかと思います。

 外山雄三の大切なレパートリーとして、「日本のオーケストラ曲」があります。しばしば、プログラムに、日本のオーケストラ曲が含まれています。1曲目の北爪道夫の「映照」もそうでした。この時点で、この曲は、すでに定評を得ており、たとえば「新作初演」とかとはぜんぜん違いました。「クラシック」なのです。それからまただいぶ時の経過した現在(2021年)では、ますます古典になっている曲だと思います。外山雄三は、北爪道夫の作品をしばしば指揮しました。20分くらいかかる大作で、どうも言葉でうまく説明できないと思いますが、「風が吹いていくような」もしくは「液体が流れていくような」音楽であります。しかも、なかなかエネルギッシュな感じでもあり、輪郭のはっきりした音楽です。プログラムを見る限り、外山雄三は、とくにそのころ、北爪道夫の作品をよく取り上げていた感じがあります。小松一彦指揮東京フィルのCDを買い求めて、聴きました(東大生協で買ったレシートが保管されていますが、昔すぎて文字が消えていて読めません)。そうひんぱんに聴きたくなる曲という感じではないのですが、いま、外山雄三指揮NHK交響楽団の演奏でYouTubeで聴くことができますので、よろしければお聴きください。

 この演奏会には作曲者の北爪道夫氏が来ており、終演後、客席で立ち上がり、拍手を受けていました。

 さて、2曲目のラフマニノフ。外山雄三がラフマニノフを得意としていることは明らかでした。衝撃の「交響的舞曲」、ひんぱんに指揮していた「交響曲第2番」、いずれも仙台フィルで聴くことができました。どうも、「20世紀ロマン派」みたいな音楽が得意なのではないか、と思われるほどです(この日のプログラムが、3曲ともそんな感じでもあります)。これも、ラフマニノフが長いこと作曲を中断したのち、作曲活動を再開してから書いた、晩年の「後期ラフマニノフ作品」のひとつです。ラフマニノフ自身のピアノ、レオポルド・ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団によって世界初演、世界発録音されました。ストコフスキーは、生涯にわたって、さまざまなピアニストと、この曲を共演してゆくことになります。ここでは野島稔のピアノ。当時の外山雄三は、野島稔とよく共演していました。野島稔は非常にうまいピアニストで、その美しい音色に圧倒される思いで聴きました。美しいピアノの弱音が、ホールに響いてゆくのです。またしても私は、チケット代の節約のため、オーケストラより後ろの席(外山雄三の顔をよく覚えています)で聴いていましたが、ほんとうにすばらしかったです。(同じころ、この曲は、中村紘子のソロ、エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ロシア国立交響楽団の来日公演でも聴いていますが、野島稔のほうが好ましく思えました。まったく違うタイプの演奏であったため、比較するのはよくないとも思いますが。)

 休憩後、ショスタコーヴィチの交響曲第5番です。ショスタコーヴィチの15曲あるシンフォニーのなかで、明らかに最も演奏頻度の高い音楽です。アマオケでもその事情は変わらず、私もこの曲に「出くわした」経験が、3度ほどあります(ほかのショスタコーヴィチの交響曲に出くわした経験はありません)。編成とか難易度の問題だと思います。神奈川フィルにとっても、東京公演にふさわしい選曲だったのだろうと思います。外山雄三の指揮は、あきらかにかっちりした、テンポをやたらと動かさないもので、ホルンの難しいところなどには、あえてプレッシャーをかけるような怖ろしい(?)ようすも伝わってきました。非常に記憶に残っているのは、第4楽章の前半のクライマックスで、完全にインテンポで行ったことと、そして、ラストのラストで、完全なインテンポで終わったことです。この曲を、完全なインテンポに近く、演奏するという演奏は、いくつもあります。しかし、「ほんとうに完璧なインテンポ」という演奏は、この外山雄三ライヴ以外に聴いたことはありません。外山雄三の指揮する仙台フィルのCDで、モーツァルトの「ジュピター」がありますが、そのジュピターのラストも、外山雄三は「ほんとうに完璧なインテンポ」で終わっており、それと同じだと思いました。外山雄三のこだわりを感じることができます(作曲者は、いっさい「リタルダンド」と書いていない)。こういうこだわりは外山雄三にしばしば聴かれるもので、生で聴いた日本フィルの、バッハ=ストコフスキーの「トッカータとフーガ」の冒頭の弦から管に受け継がれるところも、楽譜にフェルマータのあとまったく休止はないので(編曲者のストコフスキーが切って演奏しているにもかかわらず)、休止なく演奏するようなものです。すごいことだと思います。そのようにオーケストラに演奏させちゃう外山雄三の指揮者としての腕前に感心してしまうのです。

 若いころの貴重な経験として、記憶に残っております。3曲とも名曲ですので、ご存じないかたは、お聴きになることをおすすめします。北爪道夫は現代音楽初心者向け、ラフマニノフはラフマニノフの作品を深く聴いていきたい人向け、ショスタコーヴィチは、ショスタコーヴィチ初心者向けとでも言いましょうか。考え抜かれたプログラムだと、改めて思わされます。記憶を頼りに書きました。

 外山雄三を追いかけていて気になるのは、雑誌「音楽の友」に載る、全国の音楽界の評論です。必ずと言ってよいほど、私の学生時代は、外山雄三は、日本のどこかに現れているのでした。それが、絶賛か酷評かにわかれる上、酷評が多い(笑)。マーラーの6番など「まったくマーラーらしくない」などと書かれていました。なにをもって「マーラーらしい」と言うのか知りませんが、そう書かれれば書かれるほど、聴いてみたかったなあと思わされるのです。マーラーの1番を、第3楽章でコントラバスのソロでなくて全員で弾いていてなぞだったとか(いまではよく知られていますが、全員で弾く楽譜があるのですね)。ベルリオーズの幻想交響曲は珍しく絶賛されていましたね。とてもおもしろかったとか。聴いてみたかったなあ!まだまだ外山雄三は現役の指揮者、もう90歳で、日本最高齢の指揮者となってしまいましたが(2番目が三石精一ですか?)、まだまだこれからです。それと、レコード会社には、あちこちに残っている放送用音源のCD化をお願いしたいと思います。私、いま出ている大阪交響楽団のチャイコフスキーやベートーヴェンの交響曲でさえ、まだ買えていないのですが、必ず買いますので。

 以上です!

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