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どこまでがこの部屋か

 (繰り返しますが私の書くことはすべてフィクションですよ。)
 
 私はA市の市民です。実家のあるB市で再就職を漠然と考えてしばらくB市に滞在し、そのあともろもろあってC市に滞在し、C市のC教会の、シェルターと呼ばれる一室に10泊しました。

 C教会のシェルターは、入口の反対側にも扉がありました。したがって、最初、ここは人が通行するのではないか、朝、いつまでも寝ていて、堂々とふとんを広げておいてはダメではないか、と思いましたが、どうやらその「奥の扉」は閉め切りのようで、ここはどんづまりだとわかりました。しかし、くつを脱いで素足であがる扉の外に、シャワーもトイレも洗面所も洗濯機もあるのです。よく見ると、そのまた外にもう1枚、扉があり、そこを閉めるとその扉の外側に「シェルター使用中につき入らないでね」という手書きの張り紙がしてありました。おそらく境目があいまいすぎて、かつて、ガラッと開けたらシャワーを浴びていて「キャー!」みたいなことがあったのではないかと想像します(笑)。しかしこれ、どこまでがシェルターなのか。それは、10泊してもついにわかりませんでした。

 このC教会の構造は意図的なもののようです。この教会の玄関の前には、かなり大きな「軒(のき)」があり、玄関はかなり「奥まって」いて、その手前に、屋根(2階)とベンチがあり、とりあえず教会に入らなくてもベンチに腰かけて雨風をしのげるのです。さて、このスペースは、教会のうちか外か。かぎをかけた玄関の外ですから「外」と言いたい。しかし、屋根もベンチも教会の一部であり、だいいちそこは教会の敷地内ですから、そこは教会の「うち」だとも言える。このスペースが教会のうちか外か、いくら考えてもわかりません。

 ダメ押しでもうひとつ挙げます。C教会の牧師先生は、教会の一部に住んでいます。何回か行きましたが「どこまでが牧師館か」判然としないのです。(先生宅へ行く途中の階段は、先生宅の一部か否か?)

 さて、C市へ行く前にB市に滞在したわけです。B市役所内の障害福祉課をたずねたときのことです。般若のような顔をした人が出てきて「あなたはA市民ですね。B市民ではないですね」の一点張りで追い返されました。いくら食い下がってもダメでした。たしかにB市民でないとB市役所では助けられない制度になっているのでしょうけど、もう少し言い方がないかなあ。たとえば私の話を最後まで聞いて「たいへんですねえ」と言い、「でもあいにくうちでは助けられないんですよ」と言い、「こんなところで助けてもらえるかも」っていうのを教えてくれるとか。(これをしてくれる親切な福祉の人もいます。)まあいずれにせよB市民でないとB市役所は助けられない仕組みなのでしょう。でもそれって、私はA市民でありながらB市でつぎの仕事を探し、つぎの仕事が見つかり、住むところも決めて引っ越し、住民票を移してはじめてB市民となって、ようやくB市役所に助けてもらえるわけです。それでは遅すぎるでしょう。「軒」がない!ひとはある日から突然、A市民からB市民になるのだ!「A市民でもあるような、B市民でもあるような、あいまいな時期があって、そのときは両方から半々くらい助けてもらえる」っていうふうにはなっていない!B市役所の悪口ではないですよ、B市からA市でも同様です。これは「住民票」というシステムそのものへの不満(というか絶望)なので、どうしようもないですが…。

 1年半前、休職を始める直前、不調で会社を早退し、付近のマクドナルドで時間をつぶそうとしたとき。ちょうどコロナの流行り始まりで、テイクアウトはできても店で時間がつぶせない。のみならず、あらゆるベンチが撤去されていて、軒という軒がなかったのです。

 「軒」って、だいじですね!

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