損する権利

最近、ある友人から久しぶりに聞く話があったのです。「三方一両損」。私も忘れていた話ですので、あらすじを簡単に書きますね。

Aという人が3両落とした。Bという人がそれを拾ってAさんに返そうとした。しかし、Aさんは一度落としたものだということで受け取ろうとしない。Bさんは、何が何でも返そうとする。というわけで、AとBはお金の押し付け合いで大岡越前のところへいく。大岡越前は、そこに自分の1両を加えて4両としてA、Bふたりに渡す。Aは3両のところ2両になって1両損。Bも3両のところ2両になって1両損。大岡越前も1両損。「三方一両損」でめでたしめでたし。

これって数学的にはどうなっているのか、ちょっと考えただけではよくわかりませんね。まあ、とんちの話なので…。でも、現代の、得することばかり考えているわれわれに大切な問いかけをしていると思った次第です。

そして、同じ人から聞いた、聖書の話の珍しい解釈です。新約聖書ルカによる福音書に、ドラクメ銀貨を10枚持っていた女の人が1枚なくして、必死で探して見つけるというイエスのたとえ話が出て来るのですね(15章8節以下)。「そして、見つけたら、女友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう」とイエスは言います。で、その友人によると、たぶんその女の人は、そのパーティで、何ドラクメか使っちゃっただろうと言うのですね!確かに!

これもまた、得することばかり考えている現代のわれわれへの貴重な警告の話だと感じました。

Win-Winという言葉を聞くようになってしばらくたちます。ニュースの最後には必ず「経済効果」の話が出ます。「何億円の損失」などというニュースもよく聞く気がいたします。元総理大臣の国葬が問題となっていたころ、「いっそ中止にしたら内閣支持率が上がるかもしれないのに」という人がいたので「それだけもうかるということでしょう」とお答えしたら「支持率よりも金なのですね」というお返事をいただきました。しかし、実際には違うと思います。なぜなら支持率もお金なので、これは「支持率 VS お金」なのではなく「お金 VS お金」の話だからです。それだけ、いろいろなものに利権がからんでいます。

おそらくここで「損して得とれ」と言ってはいけないのでしょうね。「損して得とれ」と言ってしまうと、最終的には得をしないといけなくなってしまいます。損は損のままでいいではないですか。人には損する権利があるよ!

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