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「天は二物を与えず」はウソ

よく「天は二物を与えず」と言いますが、それがウソであることは、およそ30年前、東大に入ったころにはよくわかっていた事実です。東大オーケストラには「頭がよくて」「楽器がうまくて」「スポーツ万能で」「イケメンで(もしくは美人で)」という人がいくらでもいたからです。そして障害者福祉に頼るようになった今、仲間の障害者で「ほんとうになにもできない、特技と言えるものが皆無」という人もたくさんいることも身を持って知りました。この記事では「天は何物も与える」という話を書きたいと思います。

もし皆さんが高校生で、ヴァイオリンがとてつもなくうまく、東京芸大は余裕で受かりそうで、そのあともプロのヴァイオリニストとして全国的に成功できる可能性があるくらい、ヴァイオリンがうまかったとしましょう。これは楽器はピアノでも何でもいいのですが。もしそうだったとしたら、おそらく芸大に行きますよね?ところが、加えて皆さんは、ものすごく勉強もできて、東大も余裕で受かるくらい成績がよかったとします。さて、皆さんがこういう状況だったら、芸大と東大、どちらに行きますか?

というような選択のなかで、将来の仕事の安定のことを考えて、東大を選んで入ってくるやつがかなり東大オケにはいたのです。つまり、芸大に入っていてもおかしくないくらい楽器のうまいやつです。そして、オーケストラの水準というものは「各プレイヤーのうまさの単純な足し算」になるという傾向がありますので(「合唱」はそうはならないらしいことは合唱をやっている人からよく聞きます。しかしオーケストラはうまい人の寄せ集めはうまくなります。「サイトウ・キネン・オーケストラ」しかり)、結果的に東大オケはとてつもなくうまいアマチュア学生オケであるわけです。いまの私の住む地で幅を利かせているプロオケよりよほど東大オケのほうがずっとうまかったです。しかも皆さん賢いし。

これはヴァイオリンに限りません。たとえばあるホルンの先輩は非常にうまく、ある名門の東京のプロオケのオーディションに受かったそうです。そのオケは、日本に滅多にない「オーケストラからのサラリーだけで食える」と言われるオケでした。ご存じないかたもおられると思いますが、日本のプロオケの多くは、オケのサラリーだけで食える額の出ないオケがほとんどです。多くの音楽家は、加えて個人レッスンや、アマチュアの指導、あるいは「NHK歌謡コンサートの伴奏のオーケストラへの出演」などの複数の収入を合わせてようやく食っているのが実情です。しかし、そのホルンのうまい先輩は、その「超名門のオケのホルン奏者になる」という道を取らず、官僚になりました。確かに官僚のほうがずっと安定していますね。

そのようなわけで、「天は二物を与えず」というのは、ウソです。天は何物でも与えますし、逆に一物も与えないケースも多いのです。「天は二物を与えず」というのは、「世の中は平等であってほしい。ねたみたくない」という人間の気持ちが生んだ格言であると私には思えます。旧約聖書の創世記の4章に、カインとアベルという兄弟の話が出てきます。神様はアベルのささげものには目を留めるのですが、カインのささげものには目を留めません。新約聖書のルカによる福音書の10章には、マルタとマリアという姉妹が出てきまして、イエスはなぜかマリアばかりひいきするのです。いずれも短い話ながらとても有名な話で、さまざまな解釈が生まれていますが、ようするにこの「神様の不公平ぶり」に納得の行かない多くの人の気を引く物語なのでしょう。かように神様とは不公平なものです。「なぜ神様はカインのささげものには目を留めなかったのだ!?」それは「神様だから」ですよ!!

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