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80:20

 こんにちは。また奥田知志先生のネタです。おゆるしを。

 あるとき、奥田先生の講演を聴いたのです。ある言葉が印象に残りました。奥田先生は、自分は、支える80、支えられる20で、支えるほうがラクだけど、とおっしゃったのです。

 とても印象に残りました。それまでにも、「支える側」と「支えられる側」に区別はないことは気づいていましたが、私はどうしても、支えるよりは支えられることのはるかに多い人間で、いかに、支えられたり支えたりしているとはいえ、フィフティ・フィフティでないことに、うしろめたさを感じていたのです。

 それが、この奥田先生の言葉でわかりました。たしかに、「支えるオンリー」または「支えられるオンリー」の人はいませんが、だからといって、50:50とは限らない。私はたぶん、支える20、支えられる80くらいの人間なのです。(もしかしたら、10:90くらいかもしれませんけど。)人間によって、この割合はさまざまなのです。「これでいいのだ!」と思えた言葉でした。

 私の精神科医は、100:0みたいな人です。医者に限らず、多くの支援者が、そうなのかもしれません。ひたすら自分は助ける側、患者は助けられる側。そうでしょうね。彼は、名門の医学部を出て、医者になったサラブレッドで、いっぽうで診察室にあらわれる人はことごとく「助けてください」という人ばかり。でも、100:0とか、0:100は、ほんとうはあり得ないと私は思っています。奥田先生だって、80:20なんですよ!20は助けてもらってる!

 私がかつて勤めていた中高の校長で、やはり、100:0みたいな人がいました。よく、「他者のために」ということを訓示で述べる校長でした。その言葉は暗に「きみたちは助ける側だ。断じて、きみたちが助けられる側であってはならない!」ということを意味していました。彼は、彼自身、いずれは助けてもらう身になるし、たったいまも、誰かに助けてもらって校長職をつとめている、ということすら、わかっていなかったのでしょう。(もっとも、他の校長は、彼のような、ボランティアの精神すらなく、ひたすら勉強しろ、いい大学へ行け、としか言わない校長がほとんどだったので、彼はボランティア精神があるぶんだけ、「マシ」でしたが。)

 (以前にも書きましたが、ある小学校教師が書いていた文章で、「困っている人がいたら助けてあげましょう。それは、当たり前」というのがありましたが、私は違和感を感じたわけです。それを書くなら、「困っているときは助けてもらいましょう。それも、当たり前」って書かないと、って。私は、20:80の人間だから、わかるんですよ。人は助けてもらわないと生きていけないこと。「助けてください」って言えないこと、ほんとうに不健全です。)

 私は、支える20、支えられる80と書きました。ほんとうに私は、いろいろな人に支えられて、どうにか生きている人間です。でも、たしかに、2割くらいかもしれないけど(1割かもしれないけど)、私が支えることもある。私が自費出版で非売品で出した本があるのですが、本を出してほんとうによかったと思えるときは、私の本が、ほんとうに人生のギリギリで生きている人の、心の支えになっていることを知るときです(著者の私自身が人生のギリギリで生きているので、そういうことがあり得ます)。そういうとき、私は、ほんとうによかったなあと思います。20でも10でも、私が人を支えているときがあるのです。よく教会には「あなたは、なにもできなくてもいいよ。いるだけでいいよ」と言ってくださる牧師先生とかいらっしゃいます。ありがたいお言葉ですが、じつは、やっぱり、どれだけなんにもできない人でも、「自分もだれかの役に立っている」と思えなかったら、生きていけないのです。(教会も、100:0とか、0:100にならないように、気を付けましょうね。自分たちだけが、助ける側じゃないですよ。)

 「受けるより与えるほうが幸いである」という言葉も、ときどきひっくり返して、「与えるより受けるほうが幸いである」と言ったほうがいいのかもしれませんね。有名な「愛されるよりも愛することを、理解されるよりも理解することを」という平和の祈りも、ときどきひっくり返して「愛するよりも愛されることを、理解するよりも理解されることを」と言ったほうがいいのかもしれません。

 「人」という字は、人と人が支えあっているさまを表している、と小学校のときに習った気がします。でも、手書きの「人」という字を思い浮かべていただきたいのですが、右の人のほうが、左の人よりも、たくさん支えていますよね。左の人は、右の人より、たくさん支えてもらっていますよね。小さいころから気になっていたのですが、冒頭の、奥田先生の言葉を聞いて、ようやく自分なりに納得したのです。つまり、たしかに人と人は支えあって生きていますが、「より支えるほうが得意な人」と「より支えられるほうが得意(?)な人」と、いるんですよ。それが自然なのです。そのことが、よくわかりました。

 本日は、このへんまでです。ここまでお読みくださり、ほんとうにありがとうございました。

(私もこの文章を書いて、お読みになるかたに、20くらいお役に立てたらすごくうれしいですし、もし、この文章を読んで、「よい」と思ってくださるかたがあったら、それは、私を励ますのに、非常に役に立っています。)

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