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時間の無駄遣いとお金の無駄遣い

 西原宜幸(にしはら・のぶゆき)さんの動画を見たことがあります。西原さんはかつてホームレスでした。その時代、アルミは1キロ80円だったそうです。西原さんは1週間で100キロ集め、1週間で8,000円を稼いでいました。だいたい1日1,000円です。その内訳は、食事が1日2回、1食300円で計600円、残り400円は、「お楽しみ」に使っていたそうです。たばこやお菓子など。そのくらいお金に困っていても、「お金の無駄遣い」と言ったら誤解を招くかもしれませんが、そのようなお金の使いかたがあり得るわけです。

 私は結婚前、お金の節約で、1食は500円以内に抑えていました。800円もするようなパフェを食後に頼むことは考えられなかったのです。結婚後、考えがだんだん変わりました。自分へのごほうびとして高いデザートを食べることには意味があったのです。どんなにお金があっても、逆にお金がなくても、「お金の無駄遣い」の要素はあること。いや、やはり「無駄遣い」という言いかたがふさわしくないのかもしれません。それは無駄とは言いません。

 時間の無駄遣いも同様です。私は時間も貧乏性でありました。浪人はしたくなかったし、大学院のときも教会学校のキャンプの引率で2泊3日、研究ができないことを、なんだか時間の無駄遣いかのようにとらえていたのです。しかし、結局、数学者になれなかった私は、20代に学んだ専門数学の知識をすべて無駄にして教員になり、その教員としての努力も無駄になって事務員になり、それもすべては無駄になって、まもなく46歳でキャリアなしの無職になります。25歳の大病以来、すべて無駄だったと言うべきか、それとも6歳で小学校に上がって以来、40年間が無駄だったと言うこともできます。私には「時間を有効に使おう」というスローガンは人を追い詰めるだけのものに思えますし、「人生に無駄はない」というような安直な人生訓も心に響きません。時間にも無駄遣いの要素があります。先日、私は一日中寝ていて、なにもしませんでしたが、それでもいいと思えます。(内心、あせるけどね!)

 リニア新幹線ができたら、泊りがけで行かねばならなかった出張まで日帰りで行かねばならなくなるのでかえって忙しくなることは目に見えており、そもそもコロナ禍以降、オンラインの仕事が増えて移動時間がなくなって忙しくなった、と言っていた友人もいますしね。私はこの2年、仕事をしておらず、無駄飯を食う「ひま人」です。でもずいぶんクリエイティヴな2年間でした。時間の無駄遣いとお金の無駄遣いは大切です。どれだけ時間やお金がなくても大切です。私の能力もお金も時間も(無駄に高い)学歴もずいぶん無駄になりましたけど、無駄は無駄のままでいいではないですか。要領よく世の中を渡れない私は、こんなに無駄をしていますけど、じつは、ある意味で、世の中全体が、すべて「無駄」でできているのです。

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