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「ひょえ~」という反応

 前から何度も書いていますが、私は、数学を専門とする大学院生でした。私がそうだとわかると、多くの人は「ひょえ~」と言って恐れ入ってしまうというか、尊敬していると見せかけて敬遠されているか、とにかく恐れ入れられてしまって、そこから話が進まなくなってしまうのですが、あるとき、これを聞いても、まったく動じなかった高校生がいて、そのことが強い印象に残っていますので、そのことを書きたいと思います。

 私が、山手線にそって、道をぐるっと一周して歩いているときのことでした。だいたい12時間、かかります(いろいろな寄り道も含めて)。何回かやりまして、たのしかったのですが、だいたい朝の8時くらいに出て、時計回りに歩き、夜の8時に帰ってくるのです。あるとき、品川付近を歩いていて、ある、高校生の女の子と出会いました。おそらく、道を聞かれて、おしゃべりをするようになったのです。彼女は、付近の美術館に行こうとしていました。美術の道を極めようとしている学生さんでした。話しているうち、私の専門を聞かれ、私は数学を専門とする大学院生であることを言いました。彼女は、まったく「ひょえ~!」という反応を見せず、私の話を真剣に聞き、自分も美術の道を極めようとしていることを、しっかりした口調で話してくれました。彼女がその後、どうなったか知りませんが。そのまま、その美術館までの道を調べ、一緒に近くまで行き、別れました。わずか1時間にも満たない出会いでしたが、非常に印象に残りました。「ひょえ~!」と言わず、真剣に私の話を聞いてくれる人は、それくらいまれだった、ということになります。

 あるユースホステルでいっしょになった女子学生さんは、私の専門を聞いて、「あなたみたいな人がいて、数学をどんどん進めてしまうから、私たちが苦しむんだよ!」と(もちろん冗談ですが)言いました。私は「スポーツでもなんでも、世界記録は更新されるでしょ?それといっしょ」と言い返しました。

 さすがに、大学の先生で、私の専門を聞いて、「ひょえ~!」という反応をする人はほとんどいませんでしたが、ただひとり、例外がいました。旧約聖書学者の山我哲雄(やまが・てつお)先生です。山我先生は、私の専門を聞いて「ひょえ~!ぼくは、数学とか、苦手なんだよね~」とおっしゃいました。ご自分こそ、旧約聖書学の大家なのに。一般人みたいな反応だ。おもしろい先生だと思いました。

 さて、いろいろあって数学者の夢を断たれた私は、中高の数学の教師になりました。ここでも印象的な出来事を書きますと、「ひょえ~」という反応はなくなったことです。当たり前かもしれませんが、「数学を専門とする大学院生」は「ひょえ~」でも、「中高の数学の教師」は、ぜんぜん「ひょえ~」ではない。教師になってすぐ、ある牧師に、職業を聞かれて答えると、「ああ、数学。ぼくも高校のころ、好きでしたよ。なんかパズルみたいでね」と言われました。このときの牧師先生ほど、高校数学の本質をついた言葉は、なかなか聞いたことがありません。そうなのです、高校までの数学は、まるでパズルみたいなのです。(内容がパズルみたいという意味ではなく、あれは教え方がパズルみたいなのですね。私が教えると、中学1年の数学でも、学問風というか、スピリットとしては大学院の数学みたくなり、小学校の算数を教えても、やはり学問風になってしまうのでした。私が教師としては失格だった理由がよくわかります。そんなふうに教えていては、大半の生徒・親・同僚の教師・上司(校長や教頭など)からは理解が得られないのです。だから数学の教師もやめされられ、さらに「ひょえ~」とは思われない職業に就き、それすらも勤まるかどうかわからないくらい、いま困窮していますけど。)

 というわけで、山手線にそって散歩しているときに出会った女子高生の「ひょえ~」とは言わない反応が、とても鮮烈な記憶として残っているくらい、これはめずらしいことでした。そして、こちらの話をちゃんと聞いてもらえている感じ。みなさん、「数学を専門とする大学院生」に限らず、一芸に秀でた人とか、なにかで新聞で取り上げられている人とか、一見、びっくりするような人がいたとき、安易に「ひょえ~!」という反応はしないほうがいいかもしれませんよ。その反応は、一見、「尊敬」を意味しているように見えて、じつは、「敬遠」を意味しているように相手には取られているかもしれませんので…。

 以上です!

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