見出し画像

礼拝の後奏、J-POP

 いまからちょうど3年前のことになります。以下のようなことがありました。

 何度か書いていますが、私は、世の中で流れている音楽のほとんどは、耳だけで、メロディもコード(和音)もベースラインも、すべて聴き取れていて、紙とえんぴつがあれば、なにも使わなくても楽譜に書き起こせます、と。この能力において、私は自分より耳のいい人に出会ったことはありません。出会ったことはないどころか、テレビに出ている有名な作曲家も含めて、私より耳のいい人を知りません。私はピアノが弾けませんが、弾けていたら最強だったでしょう。なにしろ、耳にした音楽は、すぐその場で、ピアノで弾けることになるのですから。

 私はクリスチャンです。礼拝では、オルガニストが奏楽をします。私はオルガンも弾けませんが、3年前のこの時期、2回だけ、週日の夕拝(夕方の礼拝)で、ピンチヒッターで、オルガンを弾いたことがあります。なんとか、メロディと、和音ちょっととベースラインで(ちゃんと聴き取れているのですが、なにしろ指が回らないから、弾けないのです。ほんとうにくやしいです)。

 ある仲間(ある教会でオルガニストをしている)が得々として語っていました。奏楽者たるもの、礼拝の説教で音楽の話題が出たら、その音楽を、後奏(礼拝の最後に奏楽者が弾く音楽)に弾くくらいの気が効かないとダメだ!たとえば、説教で「レット・イット・ビー」が出たら、後奏に「レット・イット・ビー」を弾くべきなのだ!と。その主張はわかりますけど、「レット・イット・ビー」だけじゃないでしょ?と思った私は「ヘイ・ジュード」が出たら、「ヘイ・ジュード」を弾かねばなりませんよ、と言ったら彼は「ヘイ!柔道」とかわけのわからないことを言っていました(たぶん「ヘイ・ジュード」は彼は弾けないのだろう)。

 さて、夕拝のピンチヒッターの2回目。ある若い牧師が説教で、あるJ-POPの曲を話題に出しました!パソコンを持って来て、貧弱な音でしたけど、その曲を少し流しました!クラシック音楽バカな私は、その曲はまったく知らない曲でした。私は礼拝中、ずっと、その曲を後奏に弾くことを考えていました。スマホで検索。大きなバツ印で消えているけど、どうにか読める楽譜を見つける。さっき、少し聴けたのも大きい。私は後奏に、そのJ-POPの曲をオルガンで弾きました。大成功!大きな反響がありました。ある人は「にくいね」と言い、ある人は「ぜったいに(牧師)先生が、腹ぺこさんに仕込んでると思った~」と言っていました。大成功です!

 あとで、さっきのオルガニストに言ってやりました。私は、奏楽歴2回目で、もう、「礼拝の説教で話題に出た音楽を、後奏で弾く」をやりましたよ。せいぜいあなたは、一生に一回、あるかないかの「礼拝の説教で、レット・イット・ビーが出る」可能性にかけてください、と。その人には、ふだんから、いろいろ言われていて、くやしい思いをしてきていたのですよ。あ~、せいせいした!笑

 以上です!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?