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笑点の観覧、当たった。

 と言っても、18年前の、学生時代の話です。当時、私は、27歳の、大学院生でした。何回も笑点の観覧にはがきで応募したのですが、当たりません。あるとき思いつきました。教会の仲間で、大学の後輩でもある、お笑いの好きな20歳の女性の友だちがいたのです。(つきあってないよ。友だち。)彼女を誘って、彼女の名前で出したら、一発で当たったのです。やはり27歳の男性では当たらなくても、20歳の女性だと当たるのでしょうね。

 われわれが当たったのは、お正月スペシャルの収録でした。後楽園ホールではなく、市ヶ谷の日本テレビのスタジオでした。

 まず、困ったのは、そのかんじんの彼女が、寮の劇の練習で、どうしても来られないというのです。すごくお笑いの好きな人でしたが、私も学生寮の経験はあり、学生寮のそういう行事の厳しさはよく知っていますので、あきらめざるを得ませんでした。しかし、私の名前で観覧を当てたわけではありませんので、「身分証明書を見せる」ことはないことを知った私は、なんとか「20歳に見える、お笑いの好きな女性」を探すことになりました。いろいろな友だちを当たりました。けっこう、お笑いの好きな女性はいました。しかし、なかなか、その日、あいている友だちは見つかりません。ついに見つけたのが、私と同い年の27歳の女性で、とくにお笑いの好きではない友だち。申し訳なかったです。まず、「20歳になってください」というのが申し訳なく、どうにか7歳のサバを読んでもらいました。そして、お笑いには興味のない人だったこと!苦痛の5時間だったでしょうね。私だって、いかにレアなチケットであれ、興味のないサッカーの試合に何時間も付き合わされたら、かないませんものね。
 
 さて、当日になりました。日本テレビのスタジオで、ひな壇状の観客席に着席させられ、最初にやったのが、「拍手の練習」でした。画面に映らない左右に、テレビ局のスタッフがふたり立っていて、腕をぐるぐる回すのです。われわれは、それにあわせて拍手をするのでした。なるほど、こうして、テレビの拍手って、あうのか…。

 そして、前説もなにもある前から、いきなり、「それでは、若手芸人大喜利の収録を始めまーす!」と言って、すぐに、テツandトモが、勢いよく飛び出してきました。ちょうど、「なんでだろう」で、テツandトモが流行った年だったのですね。いきなりのことに驚いたのと、もっと驚いたことは、それは録画されていなかったことです。これに限らず感心したのが、芸人さんというのは、カメラが回っていようといまいと、そこに(われわれ、何人いたのだろう。そんなたくさんはいなかったと思いますが)客がいれば、笑わせようとしてくれることでした。(オンエアでは、若手芸人大喜利は、入場の場面はなく、いきなり着席で始まりましたので。)若手芸人大喜利は、その年、流行した芸人さん、たしか、ダンディ坂野とか、パペットマペットとか、はなわ、マギー審司などがいました。おもしろかったです。興味深いのは、生で見て、けっこうおもしろいと思った答えが、オンエアではカットされていたりしたことです。
 
 その日は、お正月スペシャルの収録ですから、もちろん漫才とかもあったのですが(大空遊平かほりの漫才など)、もっぱら、さまざまな大喜利の収録をたくさん見ました。振りそで大喜利も見ました。泉ピン子など、おもしろかったです。いつものメンバーの大喜利もありました。東西大喜利で、上方の落語家さんの大喜利も見られました。松之助さんはとてもおもしろかったです。

 いつものメンバーの大喜利は、当時、(顔の長い)円楽さんが司会で、木久蔵さんがいて、楽太郎さんがいて、こん平さんがいた、という時代です。これは、あいさつがありました。こん平さんの、「視聴者参加型あいさつ」がありました。「1、2、3」とこん平さんが言い、視聴者ともども「チャラーン!」と両手を挙げるものです。ところが、これは、事前に練習もなにもなかったため、客席で「チャラーン」をやった人は、ごくわずかでした。バラバラでした。もちろん、私のとなりの友だちも、このようなものはまったく知りません。これはなにがいけなかったかと言いますと、前説の若い落語家さんがいけなかったのです。テレビの収録といっても、舞台をセットする時間は、とても長いです。前説と言われる、お客さんの退屈をしのぐためと思われる、若い芸人さんが、間をつないでいました。前半の前説は愛楽さんだったのですが、後半の若い落語家さんがいけなかった。話はあまりおもしろいとは言えず、しかも、その、かんじんの、こん平さんの「チャラーン」の練習をすべきだったのに、やらなかった!あんなに時間があったのに!しかし、オンエアでは、観客の「チャラーン」の声は、ちゃんと入っていました。そこはテレビ局は、うまく編集するのですね。

 それにしても、やはり、最も印象に残っているのは、みなさん、カメラが回っていなくても、われわれ客がいる限りは、常に笑わせようとしてくれるところでした。歌丸さんは解答者でしたが、カメラが回っているいないにかかわらず、常におもしろいことを言って、笑わせてくれました。驚いたのは、司会の円楽さんで、当時、司会しながら寝ているなどというのがネタになっていましたが、カメラの回っていないところで、たくさん、たのしい話を聞かせてくれました。いちばん印象に残っているのは、通常の大喜利で、三問目が、その年の干支の着ぐるみを着ての問題になるところでした。司会が歌丸さんになってから、司会者も着替えるようになりましたが、この日は、司会の円楽さんは、着替えませんでした。会場には、司会の円楽さんと、われわれ観客が残されました。メイクなどもしているのでしょう、非常に時間がかかりました。円楽さんは、われわれのために、小噺をしてくれました。円楽さんにしてみれば、たいしたことはないことをしたに過ぎないのでしょうが、われわれにとっては大きなプレゼントでした。円楽さんの落語が、思いがけず、聞けちゃった!(ネタは、外を歩けるようになった金魚がおぼれ死ぬ話でしたが。)ほんとうに、みなさん、カメラが回っていなくても、お客をたのしませてくれるのです。それがいちばん印象に残りました。

 あと、細かい話ですが、座布団配りの山田くんは、もちろん後ろを行ったり来たりするわけですが、たったいま解答している人の後ろは通らないで、その手前で立ち止まっていることがわかりました。生で見ないとわからないことは多いですね。
 
 5時間くらいかかったと思いますが、たっぷり笑わせてもらって、満足して帰りました。かえすがえすも、一緒に来てもらった、お笑いに興味のない友人には、申し訳ないことをしました。

 貴重な体験でした。

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