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小泉和裕の思い出

 大学院に入ったときのことです。同じセミナーに同時に入った同輩は、私のほかに、もうひとり、いました。話しているうち、彼も音楽をやっていることがわかりました。お近づきになったしるしに、いっしょに音楽会を聴きに行くことになりました。コンサートのチョイスはどうしたのか、覚えていませんが、サントリーホールでの都響(東京都交響楽団)の演奏会でした。1999年度の頭のことだと思います。指揮は小泉和裕、曲は、前半がラフマニノフのピアノ協奏曲第3番(セルゲイ・タラソフのピアノ)、後半が、リムスキーコルサコフの「シェヘラザード」でした。彼の学生証を借りてコピーした覚えがあります。学割でチケットを買ったわけです。席はP席です。安いからです。前にも書きましたが、サントリーホールのP席とは、オーケストラよりもさらに後ろの席で、まず手前に打楽器がおり、つぎに金管楽器がおり(ホルンのベルはこちらを向いており)、はるか向こうに弦楽器がいるというバランスで聞こえることになるのですが、とにかく安いのです。というか、学生には、普通の席が高すぎます。

 当日、サントリーホールの最寄り駅と言ってもたくさんありますが、どこから降りたのか、国会議事堂が見えました。その友人は、学部は東京の大学ではなく、はじめて国会議事堂を見たみたいで、とても興奮していたことを思い出します。ホールに着いて、演奏が始まりました。まずラフマニノフの協奏曲。私はこの曲を生で聴いたのは、このときが唯一です。しかし、聴き始まってすぐに気が付いた失敗があります!私は、P席でも、コントラバス側に座っていたと思います。ピアノはその弦楽器よりもさらに向こうにおり、しかも、ふたがあいていて、もちろんふたは、向こう(多くのお客さんのいるほう)に向かってあいているのでありまして、ピアノの音は、すべて、向こうに行ってしまうのです!これは痛い!すごいアンバランスな音量でこの曲を聴くはめになってしまいました。タラソフというピアニストは、あとにも先にも名前を聴いたことのない人でして、いま、どこでなにをする人だかわかりませんが、とにかくすごい没入ぶりで弾いていたことを思い出します。

 さて、後半のリムスキーコルサコフです。このころ、都響は、世代交代が起こって、若くてうまい人がたくさん入ってきていました。チェロにも、ヴィオラにも。トランペットにも。ダブルリード(オーボエ、ファゴット)もうまく、ホルンは笠松先生でないほうの首席のかたでしたが非常にうまく、これでフルートに名古屋フィル(当時)の寺本さんあたりが入ってきたらパーフェクトだなあ、と思っていたら、翌年くらいに本当に寺本さんは入ってきましたけれども(「都響と寺本義明」という記事を書いたことがあります。リンクがはれなくて申し訳ございませんが、よろしければご覧ください。都響については「外山雄三を讃えて②」という記事もご覧ください)、とにかく都響のうまさがたんのうできるすばらしい演奏会でした。あれから22年がたちましたが、小泉和裕は、ずっと都響とは良好な関係にあるようで、いまも都響のYouTubeチャンネルで、小泉和裕指揮都響の演奏は見ることができます。満足してサントリーホールを去り、当時、私が知っていた、サントリーホールからわりと近いラーメン屋に彼と入ってラーメンを食べて解散したと記憶しています。このように、ホールによって行く店というのは決まっており、池袋の芸術劇場に行ったときの喫茶店「サルビア」など、何回、入ったかわかりません。話が脱線しましたが、小泉和裕も、タラソフも、これが私にとって唯一の経験になります。「シェヘラザード」は、のちに外山雄三の指揮するすばらしい演奏会を聴くことになります。そのときの話もいずれ書くことになるのではないかと思います。この話はこのへんまでです。お読みくださりありがとうございました。

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