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家田厚志さんの思い出

(これは私がときどき書くクラシック音楽オタクネタです。それでもよろしければどうぞお読みください。家田厚志さんというとても個性的な指揮者の指揮したいくつかの演奏会について書きたいと思います。)

あるアマチュア・オーケストラの演奏会に何回か行きました。友人が乗っているので、招待券をいただいて何回か行ったのです。覚えているのは、家田厚志(いえだ・あつし)先生というかなり個性的な指揮者がしばしば指揮をしていたということで、アマチュア・オーケストラを聴く楽しみのひとつです。また、このアマオケは、選曲が意欲的で、なかなか生で聴くことのできない曲を聴くことができたことは、貴重な経験でした。

まず、1999年3月14日、かつしかシンフォニーヒルズでの演奏会です。家田厚志指揮。ヴェルディの「運命の力」序曲、エネスクの交響曲第1番、ベートーヴェンの交響曲第7番です。家田ライヴの初回だったと思います。動作が個性的であり、オケで弾いている仲間も、家田先生のジェスチャーは見逃せないと言っていました。音楽的にも極めてユニークであり、このヴェルディの「運命の力」序曲からして非常にユニークでした。(この曲は高校のときにやったことがあります。一度、この曲だけで記事を書いてみたいと思いながらなかなか書かないでいますが。)エネスクとは聞いたことのない作曲家だと思われたかもしれませんが、エネスコのことです。ルーマニアの大作曲家ですね。でも、なかなかエネスコの交響曲第1番を聴くことはないだろうと思います。私はこのころ学部の卒業であり、卒業旅行で小笠原に行っていましたが、この演奏会を行くと言ってしまったので、小笠原旅行は3泊4日で帰ってきたのです。馬鹿ではないのかと思われるでしょうが、これは私らしい話なのです。エネスコのことをエネスクと呼ぶのは、ヴァイオリンのボベスコをボベスクと呼ぶようなものでしょう。エネスコの作品ではたとえば「ルーマニア狂詩曲第1番」などが有名であり、また、フルートの曲で「カンタービレとプレスト」という美しい曲があります。私は自分の結婚披露宴で、乾杯のあとに流れる音楽の最初にこの「カンタービレとプレスト」を選んだものです。さて、エネスコの珍しい交響曲のあとは、ベートーヴェンの7番という有名な曲です。このベートーヴェンの7番をずっとのちに指揮者として取り組んだことのある話は前に記事にしたことがあります。アンコールはオッフェンバックの「天国と地獄」序曲でした。これも家田先生の本領発揮であり、とくに例の(われわれが小さいころは運動会でよく流れていた)あの部分では、弦楽器がいっせいにあとうちをするなかでトロンボーンが大きく主題を吹くなど、視覚的にも強烈でした。これが最初です。

つぎに、2000年5月27日、浅草公会堂で、やはり家田厚志指揮、細かい曲をたくさんやる楽しいコンサートを聴きました。ロッシーニの「どろぼうかささぎ」序曲、ヨハン・シュトラウスの「鍛冶屋のポルカ」、「美しく青きドナウ」、ルロイ・アンダーソンの「ブルータンゴ」、「プリンク・プレンク・プランク」、ブラームスのハンガリー舞曲第6番、スッペの「詩人と農夫」序曲、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、ワーグナーの「タンホイザー」序曲というプログラムでした。「鍛冶屋のポルカ」では、ほんとうに鍛冶をやってみせるパフォーマンスがありました。「プリンク・プレンク・プランク」はほんとうにおもしろかった!音を出さない中間部の「芸」では、たんにトロンボーンの人が管を抜くだけのパフォーマンスまであったものです。視覚的効果ですね。後半は家田先生の個性が発揮され、小さく演奏されるピチカートのなかに、ときどき極端なアクセントが入っていました。ハンガリー舞曲第6番は私も高校時代にやった曲です。記事を書いたことはなかった気がしますね。もともとはオリジナルの連弾版の譜めくりで出会った曲でした。さらに、カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲はずっとのちに降り番だった経験もある曲なのですが、あまりいい思い出ではありません。こういうお客さん主体の楽しいコンサートには向いている選曲なのだろうと思います。「タンホイザー」序曲が最も長い曲でした。家田先生の楽しいトークつきでした。家田先生はマイクをもってしゃべるのが得意でした。アンコールはシュトラウスの「雷鳴と電光」でした。浅草だから雷門があるからかな(関係ないか)?と思ったことを思い出します。

つぎが、2000年9月23日で、かつしかシンフォニーヒルズです。このホールの傾向からして、東京の北のほうに本拠地のあるオケであることはおわかりいただけるだろうと思います。このときの指揮者は家田先生ではなく橘直貴さんです。ウェーベルンのパッサカリア、モーツァルトの交響曲第35番「ハフナー」、ショスタコーヴィチの交響曲第8番でした。私がショスタコーヴィチの8番を生で聴いた唯一の機会です。仲間が、つねにショスタコーヴィチのオケ作品だけで演奏会を開くアマオケに乗っており、そのおかげでだいぶショスタコーヴィチの珍しい曲を聴くことができたのですが、このタコ8(と略しますね、少なくともアマオケの人は)は、このときが私の聴いた唯一の機会です。いっしょに聴いた友人が、共通のホルンの友人がよくさらっていた(練習していた)フレーズが出て来たと笑っていました。私はいまだにタコ8の世界には入って行くことができずにいます。

つぎの演奏会が、2001年3月25日、すみだトリフォニーホールでの、マーラーの交響曲第2番「復活」の演奏会です。また家田先生の指揮でした。「復活」を生で聴いた唯一の機会ですので、これも貴重です。なかなかアマオケで「復活」はやらないだろうと思います。ソリスト2人と、合唱を要しますし、長いですし…。家田先生は、第1楽章から第2楽章のあいだに合唱が入って来るタイミングで、マイクを持ち、詳しいかたはここでスコアに5分以上のあいだをあけるように書いてあることをご存知でしょうが、われわれは5分もあけません、と笑いながらおっしゃっていました。これは多くの人はむしろ知らない話でしょう。ストコフスキーなどは必ずあいだをあけていたようです(前プロを演奏して、第1楽章のあとに休憩を入れるのが常でした)。仲間がその招待券をくれる2人のほかに、もう2人くらい乗っていました。あまり東大オケほど音楽的につめるわけでもないことを物足りなく思っていた仲間もありましたが、これは社会人オケの限界かもしれません。「復活」は聴きたい人もいたらしく、客席で先輩に会い「どこそこが落ちていた」みたいな話も聞いたものです。とにかくマーラーの「復活」を聴いたというまたとない機会でした。

つぎの演奏会です。そのつぎからは、25歳の大病よりもあとになりますので、記憶が鮮明ではなくなってきますが、書きます。2003年3月15日、東京文化会館で、橘直貴さん指揮で、ラヴェルのスペイン狂詩曲、ファリャの「三角帽子」第1、2組曲、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」第1、2組曲から抜粋でした。有名ですけどアマオケはなかなかやらない曲たちかもしれません。

そして、つぎの演奏会です。これが記録では最後の演奏会ではないかと思います。2003年6月21日、北とぴあ さくらホールで、家田先生の指揮、また細かい曲の集まりの演奏会です。カバレフスキーの「道化師」より、ギャロップ、パントマイム、抒情的小シーン、終曲、ハチャトゥリアンの「ガヤネー(ガイーヌ)」から「剣の舞」、子守歌、レスギンカ、グラズノフの「四季」より「秋」、グリンカの「ルスランとリュドミラ」序曲、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、ボロディンの「イーゴリ公」より、だったん人の娘たちの踊り、だったん人の踊り、です。ロシアの親しみやすい曲を集めたということですね。なかなか「剣の舞」とか、やりそうでやらない気もします。レスギンカも。いくつか降り番だったことのある曲などもあるのですが、どうもこのオーケストラでは「その曲はやったことがある」という張り合いかたはできないくらい、珍しい曲をつぎつぎにやるオケだったということがいえるでしょう。プログラムの「過去の演奏会の記録」を見ても、「これでもか!」という曲が並んでいます。

最後に、マーラーの「復活」の話だけして終わりたいと思います。これはストコフスキーのおはこであり、1963年のプロムスでのライヴ録音(ロンドン交響楽団)のCDを学生時代に買って以来、いまでもよく聴いています。石丸電気で買うときに迷った記憶があります。フィラデルフィア管弦楽団のライヴにするかどうか。フィラデルフィア管弦楽団のライヴもとてもよいです。YouTubeではアメリカ交響楽団のライヴも聴けると思います。キャップラン氏がこのリハーサルを聴いて、「復活専門指揮者」になった話は有名ではないかと思います。最晩年のビクター録音であるロンドン交響楽団の録音はいいとは思えません。かなりぞんざいにオケが演奏していると思われます。ストコフスキーは最晩年は当たり外れが大きくなっていました。いいものはいいのですが、悪いものもたくさんあります。とにかく1963年のプロムスのライヴは出来がよいと思います。

そのようなわけで、とにかくユニークなオケ、そしてユニークな指揮者の思い出でした。以上です!

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