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たとえ話の解釈は1つではない

「ドべネックの桶」という言葉を知っていますか?

桶の板が一枚でも短いと、短いものに合わせて水の量が決まってしまう

私は、桶の1枚1枚の板を個人の能力・スキルとみたて、足りないスキルを伸ばしていく努力をしようというたとえとしてはじめてこの言葉を知りました。


本来の意味は違うところからきていた!!

とても印象に残ったので、
「ドべネックの桶」についてもう少し調べてみました。
すると、「ドべネックの桶」は「リービッヒの最小律」をわかりやすく説明するための図だったことがわかりました。

ドイツの化学者リービッヒの「生物の成長は一番足りない栄養分の影響を受けてしまうので、足りないところを補わない限り他の栄養分を足しても不十分である」という理論を説明するためのものだったのです。

「リービッヒの最小律」を説明する「ドべネックの桶」とは以下のようなものでした。

植物の成長を桶の中に張られる水に見立て、桶を作っている板を養分・要因と見立てる。これならば、たとえ一枚の板のみがどれだけ長くとも、一番短い部分から水は溢れ出し、結局水嵩は一番短い板の高さまでとなる。

ウィキペディアより

ドイツの編集者ドべネックが説明し、それを表す図として桶の絵が用いられたのでした。


1つのたとえでも、解釈はさまざま



この桶の話から、1つのたとえ話であってもいろいろな解釈があることに気づきませんか。
植物や人間の成長にまつわる話が一般的なようでしたが、チーム編成のバランスについて説いている話も出てきました。

私が興味を持つきっかけになったのは、個人の才能・スキルに関する話からです。ただインターネットで調べた限り、個人の才能やスキルをドべネックの桶にたとえた例は出てきませんでした。



ドべネックの桶、解釈は1つでも たとえ話として使える場面は多様だと気づきました。
ウィキペディアによれば、リービッヒの最小律は、バランスの悪さや一点豪華主義への皮肉・警告として引き合いに出される場合もあるようです。

ただ今後、私が「ドべネックの桶」をたとえとして何か話をすることがあるなら、自分が最初に出会った、才能やスキルを桶の構成要素と考える話をすることになりそうです。

それでも、桶の構成要素は集団を構成するメンバーや、植物に必要な栄養素になる可能性があることを覚えておこうと思ったのでした。





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