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ChatGPT、子どもには「ただ与えるだけでは済まない」と思った話。

最近話題になっているChatGPTについて、考えさせられました。

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先日、夫婦で「寺と神社」について取り上げていたテレビ番組を見ました。その時に「なぜ寺と神社は共存できたのか」という話になったのです。

少し前に、夫が「ChatGPTなんて知らない」と語っていたのが頭に残っていた私。テレビを見ながら、これは夫にChatGPTを説明するいい機会なのかもしれない!とワクワクしてしまったのです。

テレビを見ながらChatGPTの画面を開きました。
作業をするのにしばし沈黙。
そして、ChatGPTで「寺と神社が共存できた理由について」調べてみたのです。すると、あっという間に答えが出てきました。

文字がつらつらと浮かび上がる瞬間を夫に見せると、彼は「誰が入力しているの?」と言わんばかりの驚いた様子。回答内容には納得をしたようでした。

しかしそのあと一言。
「便利なツールだけれど、そういうのに頼らないほうがいいかもしれない(ちょっと意訳)。どうしてそういう答えになるのか、お互い意見を出し合って話をすることがいいんじゃないの?」

た、確かに。思わず納得してしまいました。私は、夫とあれやこれや話し合って答えを出す機会を失っていたのかもしれません。

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新しく生まれたツールは、忙しい現代人に新たな挑戦ができる時間を増やしてくれます。その点は本当に便利です。けれども、すぐに正解(?)を導き出すので、人間が意識して考える機会を奪っているような気もします。すぐツールに頼ることに慣れてしまえば、人間の脳は衰えていくだけなのかもしれません。

ここでふと、子どもはどういうタイミングでChatGPTと出会っていくことになるのか、少し気になりました。

というのも先日、中学3年生の長女が、卒業式の答辞を言う役を学校から仰せつかったのです。当然のことながら、原稿も考えなければならず、彼女は頭をひねっていました。

そんな娘を見て「思ったことをまずは書き出して、それからまとめてみたら?」とアドバイスしました。
でもその一方で、AIならどんな文章を書くのだろうかと気になってしまいました!ただ、それをここで提案するのは危険!と思い踏みとどまったのです。

実は娘に内緒で、AIさまに聞いてみました。



まだ、娘はChatGPTの存在を知りません。教えないほうがよさそうだ、と私の直感が主張しています。

私の手元の画面には、瞬く間にそつのない文章が出てきました。全部は使えないし、日本語として不自然な部分もあったけれど、構成など、意外と参考になりそうな表現もありました。

今は発展途上だけど、もっと使えるツールになっていくのでしょう。

でもやっぱり、子どもには、最初からAIさまを頼ってほしくないなあ。

ちょっと勝手なことを思ってしまいました。
自分で考えて、考えることで答えを見つけていってほしい、そんなことを感じます。
あ、大人である私はがっつり頼りにさせていただくんですけれどね。

子どもはきっと、親が知らないどこかでChatGPTさまを知ることになるのでしょう。学校で学ぶのかなあ。どんな形で出会うのが今の子どもたちにとって良いのか、勝手に思いを巡らせています。


★★★

「どんな問いをしたら、こちらが期待する答えを引き出せるか」
「AIから質の高い答えを引き出すためには、それなりの質問ができなければならない」

こういった話を聞いたことがあります。

これから求められるのは「どれだけ正解を知っているか」「どれだけ速く問題を解けるか」ではない。
この時代、自分が子どものころに求められた力と違うものが求められているのですよね。親もそこを理解して子どもと向き合う必要がある、と考えさせられました。

★★★

ということで、また答えのないことをぐるぐる考えています。

ただ、子どもに対しては
・与えるタイミングや方法を考える必要がある
・与えておしまいではない
と思ったのでした。

自分自身が使って学びながら、子どもへの与え方も考えていきます。


ではでは今週はこの辺で!










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