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ファインディングドリーを見て障害のない社会を考えた話~ニューロダイバーシティ~

先日、スペインに旅行に行ってきた。
(先日といってもコロナ騒ぎになるもっと前です、一応)

海外旅行というのは初めてだったんですが、あれなんですね。
基本的に国際便の飛行機は座席にモニターついてるんですね。
知らなかった。かっけー。

そのモニターでは飛行機の情報やゲーム、そして映画も見ることができた。
(そんなの常識だろう!という人はごめんなさい)
実は、映画は僕にとって長くて集中力がもたないのであまり見ないのだが…
そこは飛行機。
映画を見る以外にほとんどやることがないのでしぶしぶ見ることにした。

ファインディングドリー

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タイトルからもわかるように「ファインディングドリー」という映画を見た。

ファインディングニモ、という映画は社会現象にもなるくらい流行った(らしい)のだが、実はどちらも見たことがなかった。
前作を見たことがないのに理解できるだろうか…という一抹の不安を覚えつつ、カサカサの指でモニターを押した(まじでカサカサだったので3回くらい反応してくれなかった)。

簡単にあらすじを説明する(https://www.amazon.co.uk/Finding-Dory-DVD-Ellen-DeGeneres/dp/B01J9WKRAWから参照)
以下からはちょこちょこネタバレが入るので未見の方は、ご注意していただくかブラウザバックをお勧めする。

ある日ドリーと二モは一緒に遠足に参加しますが、突如ドリーが逆流に飲み込まれてしまいます。そのとき彼女の中に昔の思い出がフラッシュバックのように蘇るのです。しかしその謎に包まれた思い出を解く手がかりは、ドリーが寝言でつぶやいた「モントレー(カリフォルニアの港町)の宝石」というキーワードのみ。
そしてドリーはニモとマーリンに家族を捜す旅に出ることを打ち明けます。「本当に寂しいの。みんなに会いたいの」というドリーにため息をつくマーリン。
「パパ、僕たちも一緒に海を渡れるよね?」とお願いする息子ニモへは「だめだ」と言うものの、彼はある仲間をドリーに紹介します。
その仲間と共に、ドリーは一歩を踏み出すのですが......。

ご存じの方も多いと思うのだが、ここで出てくるニモとマーリンという魚は前作の主人公だ(見てないのでらしいということでしかないのだが)。

このあらすじだけ見ると、母を訪ねて三千里感があるのだが、とても重要なことがここでは説明されていない。

そう、ドリーの記憶のできなさだ。

ドリーは基本的に覚えること(記銘)、そして思い出すこと(想起)、どちらとも苦手だ。記憶から必要なものを探す(検索)も苦手かもしれない。

映画を見ながら、「臨床的にみると認知症…?健忘…?入り混じっているな…」とアセスメントをしながら見てしまった。

これは、僕が心理士だからではなく、いたずらに専門性を振りまく気持ち悪い人間だからなのだが、そこは置いといたとして、まぁ見る人が見ると何らかの「障害」なのではないか…?とアセスメントできる。

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「困っているドリー」「輝くドリー」

映画中、ドリーは困ることだらけだった。

映画の中で一人で海の中にほっぽり出されてしまったときは、自分がいま何をしているのかさえわからなくなってしまう有様であった。

とある事情でニモがけがをしてしまって、ドリー混乱しているときはマーリンに諫められ、「あっちにいっといてくれ、忘れるのだけは得意なんだから」と言われてしまうこともあった(映画を見ればわかると思うのだが、マーリンの気持ちも十分わかるので、責めないであげてほしい)。

それでもドリーはすごかった。輝いていた。

映画の中ではものすごい行動力を発揮し、周囲を幾度となく救った。
また発想力もすごく、常人では思いもつかないようなアイデアを考案し、周囲を巻き込んで実際にやってみせた。

また、いつも笑顔なので周囲の人を楽しくさせることもできた。

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ニューロダイバーシティ的にみるドリー

皆様はニューロダイバーシティという言葉をご存じだろうか。

端的にニューロダイバーシティの考え方を説明すると、自閉症やADHDのような非定型発達は、人間のゲノムの自然で正常な変異であり、すべての脳にはそれぞれに違いがあり、その違いは優劣ではなく個性だとする考え方のことだ。

ニューロダイバーシティ自体も「高IQの人を前提としている」「医学的な支援が必要な人への支援を否定している」など様々な批判を浴びているようだが、個人的にはとても重要な考え方だと思うし、素敵な考え方の一つだと思っている。

ドリーの状態がもし「症状」だったとしたら、適切なアセスメントをして、治療を施す必要があるだろう。

しかし、映画を見ればわかるのだが、ドリーの記憶のしにくさは生まれつきだ。そして発想力も生まれつきだ。

医学的な見方でみるとドリーは疾患だ。病院に行って適切な検査をしてこいという話になる。
この考え方自体が間違っているわけではない。

しかし、ドリーは困ることがあれど、周囲のサポートがあればその発想力、行動力をいかんなく発揮し、周囲を大いに助けることができる。
そして何が一番大事かというと、こういうドリーを「受け入れ」そしてその強みを「評価し」「ともに生きようとしている」マーリンたちの存在、文化だ。

障害のない社会を作りたい僕のような人にとって「文化づくり」は最大の仕事といっても過言ではない。

ニューロダイバーシティの考え方にも批判はあるが、「あくまでニューロンの違いなんだよ」という考えは、非差別的文化を作るための考え方の一つとして個人的にはもっと盛り上がり議論されるといいなと思う。

もちろん、その文化はドリー自身も作っている。
全員が生きる当事者でどうやって生きやすい文化を作るかを考えるともっとみんなが生きやすくなるんじゃないかと映画を見て思った。

何が言いたいかというとファインディングドリー、まだ見ていない人、見てください。そして感想を教えてください。

…会社の昼休みにドリーの画像を検索し続けるだけの男、怖いですね。




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