「君は明るい人間だよ」と言われた時のえも言われぬ怒り

僕の口癖は「暗い人間なので…」なのだが、そういうと時々「いやいや、明るい人間でしょ」と言われることがある。

自分で言うのもなんだが、確かに僕は日本人を半分に割った中では、明るい人間の側にいるのかもしれない。しかしそれでもそういわれたときになぜか「カチン」と来る自分がいる。

これは本当に不思議で、「明るい人間」と言われるということに悪い意味は全くないはずだ。

もちろん、話者が明らかな皮肉の態度や矛盾を抱えた話をしていれば話は別だが、少なくとも僕の場合はほとんど素直に受け取るべきものだと思っている。

しかし、やはり僕は暗い人間なのだ、と思う瞬間が度々ある。
そしてよく勘違いされることだが、ポジティブ思考になることと、暗い人間であるということは十分属性として共存しうると思う。

基本的に僕はポジティブ思考だ。ピンチはチャンスだと思うし、満員電車も「人に寄りかかれるので楽だ」と思える。

しかし、根本的にはやはり暗い人間なのだと自覚させられる。
それは、勉強しているときにふと「でもいつか人って死ぬんだよな」と考えたり、「なんとなく生きづらいな~」と感じる瞬間に強く意識させられる。

そして、(これまた偏見が入るのだが)おそらく明るい人間はランクヘッドやamazarashiを好んで聴かないのではないだろうか。

これだけ『明るい人間』が多い中、amazarashiや米津玄師が流行っているというのも面白い。

たぶん僕はやっぱり暗い人間でいたいんだろう。
それでも、世の中は明るい人間を求めるのだ。

結局最後にはいつものように何が言いたいのかわからなくなる。
ただ、暗さを切り捨てる世の中ほど息苦しいことはない。

たぶん本来の自分ではない明るさを見られることに怒りというかコンプレックスというか、そういったものを感じさせられるんだろう。

矛盾した話かもしれないが、暗くても許される社会を前向きに明るく作っていきたいなと思うこの頃である。

#cakesコンテスト



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