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TENKO




配役

津打菊ノ助     江戸の役者

お百        那珂の侍妾、佐乃助の元妻

市川仲蔵      江戸の役者 

那珂忠左衛門    愛宕下御前奥家老 
          元久保田藩家臣

小野篤宗      館林藩 松平武元(たけちか)家臣

柳水軒(りゅうすいけん)白雲斎    伊予松山藩影軍師

佐々木右近・左近  黒脛巾組の子孫
          久保田藩に雇われた傭兵

松平定喬(さだたか)(隠岐守(おきのかみ))  伊予松山藩六代目藩主

佐竹義明(よしはる)(右京太夫) 久保田藩七代目藩主

坂田        浪人

藩士A

女中

遊女

領民A       久保田藩領民

藩士数名

領民数人、お岩、化け物、キョンシー等


プロローグ 愛宕下隠岐守屋敷

薄暗い座敷。
上手に松平隠岐守定喬が座し脇に白雲斎が控えて座っている。下手に那珂忠左衛門とお百と定喬の家臣も数人座している。
忠左衛門は旅支度。髪はほつれ髭も生え、衣服は乱れている。彼は旅の途中に慌てて屋敷に戻ったのだ。

隠岐守、書面を見て、

隠岐守 「野尻、那珂らが謀計を相企候間違いなしだと。馬鹿な、そなたが久保田藩の謀反人だと」
那珂  「はッ、野尻忠三郎宅から連判状が見つかり、野尻親子は草生津(くそうづ)で断罪、その他の者も切腹や永蟄居など総勢四十名が処分。拙者の命は風前の灯ゆえ早々江戸に引き返せと、実兄より書状を受け取り申しました」
隠岐守 「以前はどうあれ、今のそなたは久松家の臣。伊予松山藩、奥家老を捕らえて断罪などあってはならぬ事だ」
那珂  「深入りしすぎたのでございましょう。壱岐(いきの)守(かみ)様の命で、藩財政復興の手立てに銀札発行を推進したのは拙者でござります。それがここ二年の凶作で行き詰まり破綻した。機をみた銀札反対派が勢力を増し藩政を握ろうと旧勢力の一掃を始めたのでございましょう。拙者はその槍玉にあげられたのだと」
隠岐守 「右京太夫(義明)殿は何を考えておられる。那珂は佐竹に立派に忠義を尽くした。その手腕を見込み世が少将殿(壱岐守)より那珂を貰い受けたのだ。藩の破綻は現藩主右京太夫殿の罪ではないか」
白雲斎 「君は船、臣は水。水よく船を浮かべ水また船を覆すと申します。川が氾濫すれば船は流れに沿って舵をこぎ、川幅の広きところで嵐が去るのを待つのです」
那珂  「既存勢力に対する反逆は改革新風の名で義明様を擁立し領民の支持を得た。そんなところに拙者は呼び出されたのです。兄からの手紙がなければ今頃は……。それで慌てて関所も押し通り逃げ帰ってございます」
隠岐守 「うむ、なれば嵐が過ぎ去るまで世の屋敷に留まりおけ。佐竹家臣が目先の利かぬ狂人だとしても、わが久松家はご公儀の準家門。みだりに手だしの出来るはずがない」
お百  「殿様、那珂様、わたくしがもう一度義明様のところに行き、誠心誠意那珂様の御嘆願を願ってまいります。わたくしがこの身を差し出す覚悟なれば義明様は聞き届けてくださいましよう。どうかお百を久保田藩まで行かせてください」
那珂  「馬鹿をもうせ」
お百  「夫を亡くし憔悴しきったわたくしに手を差し伸べ救ってくれたのは那珂様でございます。そのご恩をお返ししとうございます」
白雲斎 「そなたが囚われば那珂様は愛宕下屋敷を出て行かざるおえなくななる。それに那珂様の咎はそなたにまで及ぶでしょう」
お百  「しかし……」
那珂  「殿、お百をここにおいてくださいまし」
隠岐守 「ふむ……」

隠岐守は考え込んだ。

隠岐守 「正妻ではなく侍妾をのぉ……」
白雲斎 「殿様、よき思案がございます」
隠岐守 「申してみよ」
白雲斎 「常陸の国は牛久に女化ノ里にお百の縁の者がおりますので、そこに身を隠すのが一番かと存じます」

  隠岐守ははっと息を呑んだ。

隠岐守 「成程、忘れておったわ。しかし今更ではないのか。里にも迷惑をかける事になる」
白雲斎 「この際やむなきかと」
隠岐守 「わかった」
お百  「わたくしの縁の者でございますか」
白雲斎 「左様」
お百  「そのようなところに見知りはおりません」
那珂  「白雲斎殿、牛久に身を隠せとは如何なる訳だ。それに女化ノ里とやらに誰がいると」
白雲斎 「憚るゆえお耳を……」

白雲斎は那珂に耳打ちをする。

那珂  「なに、それはまことでござろうか」
白雲斎 「云えぬわけがあった。このまま何事もなければ生涯口にすまいと思っていたが、場合が場合なだけに……」
那珂  「承知いたした」
白雲斎 「かたじけない」
那珂  「お百、そなたをわしの侍妾にしたのが間違いだった。それ故にお家騒動に巻き込んでしまった。一時とはいえ義明様のお側まで勤めたが、そなたは武家の出ではない、これ以上つまらぬ苦労をいたすな。すぐに白雲斎殿と女化ノ里にまいれ。今より縁切りいたす。里の男と息災で暮らしてくれ」
お百  「お待ちください、わたくしはどこにも参りません」
那珂  「ならぬッ」
お百  「でも……」
那珂  「行ってくれ、頼みだ」
白雲斎 「お百殿、まいりましょう」
お百  「那珂様……」
那珂  「……」

  お百は白雲斎に連れられ座敷を出て行く。

那珂  「まさか菊ノ助が生きていたとは驚いた。まるで狐に抓まれたようだ」

  ※  ※  ※  ※  ※


女化ノ里

ここは鬱蒼とした木々に囲まれた女化ノ里。
狐の鳴き声が一声木霊すると、森がざわめき木の葉が舞い上がり、葉々の間から、木の陰から白狐が飛び出して生を謳歌する踊りが始まる。
狐の踊りが終わると、狐たちは森の侵入者を見つけてひとつところに固まり様子を伺う。
狐は舞い散る木の葉と共にいなくなった。
白雲斎とお百がやってくる。

お百  「ここが女化ノ里でございましょうか。わたくしがこの様なところに」
白雲斎 「佐竹の家中がここまで追ってくることはあるまい。それにこの地は人外でござる」
お百  「人里はなれたところですから目に付きにくいのは分かりますが……」
白雲斎 「お気に召さんかな」
お百  「わたくしは江戸に戻ります。那珂様の一大事に独り身を隠くすなど出来ません」
白雲斎 「那珂様のご意思でござろう」
お百  「里の男と息災に暮らせなど、本心とは思えません」
白雲斎 「那珂様は、その男なれば命を賭してそなたを守ると思われた。わしも同じ考えでござる」
お百  「男の人とは誰ですか。この里に知る辺などおりませんが」
白雲斎 「これから会うのは常陸の国、牛久女化ノ里生まれで、狐から生まれた男と呼ばれた武将栗林義長の子孫、栗林義長の母八重は女化ノ里の白狐」

木々の間から狐が覗いている。

お百  「狐の子孫……」
白雲斎 「信じられぬか。お百殿の母君は京は九条坊門稲荷の巫女でござろう。なれば狐筋の家系だ」
お百  「わたくしの母をご存知なのですか」
白雲斎 「知っておる。昔の話だが……」

白雲斎は意を決して息を吸った。

白雲斎 「以前その男は江戸の役者でござった」
お百  「え……」
白雲斎 「そなたの元亭主、津打菊ノ助だ」

森がざわめき木の葉が散る。

お百  「あの人は三年前に亡くなりました。それは白雲斎様もご承知でしょう」
白雲斎 「すまぬ。生きていることを今まで伝えることが出来なかったのだ許してくれ」
お百  「どう云うことです」
白雲斎 「そなたは菊ノ助の病を何と心得た」
お百  「卒中だと聞かされました」
白雲斎 「否、毒を盛られたのだ」
お百  「まさか……冗談でございましょう」
白雲斎 「三年前、菊ノ助が森田座出演のおり佐竹義明公がご観劇あそばされた」
お百  「覚えております。金襴豪華な御仁がお供を従えお越しになり、芝居がはねますと、菊ノ助はお殿様の座敷に呼ばれました」
白雲斎 「そのときお百殿も顔を出されたな。義明公は一目でそなたを気に入り側女にくれよと仰ったのだ。むろん菊ノ助は断った」
お百  「それで毒をもって殺したと」
白雲斎 「証拠はないが他に誰が毒を。その後、そなたは強引に義明公に召抱えられたではないか。わしは瀕死の菊ノ助の手当てしたが毒の回りが速く手の施しようはなかった。それで久しく使っておらなんだ天弧の力で菊ノ助をここに運び秘術をもって命を繋いだ。わしはその昔、栗林義長の師匠だった。ならその子孫をなんとしても助けたい。……わしは齢百五十、羽柴秀吉や竹中半兵衛に戦を教えた古狐よ」

見え隠れしつつ様子を伺っていた狐たちが騒ぎ出す。

白雲斎 「きたか」

疾風吹き上がり木の葉が渦巻いた。狐の鳴き声が森を駆け抜けていく。やがて風が収まると、色白で目元の涼しげな優男が紋付袴で立っていた。
津打菊ノ助だ。

菊ノ助 「お百……」
お百  「あなた……、これは幻ですか」
菊ノ助 「そうじゃねぇよ」
お百  「信じられません」
菊ノ助 「俺は生きてるぜ」

(辺りが暗くなり二人の回想シーンに)

  座敷でもがき苦しむ菊之助に駆け寄るお百。

「あなた、あなたッ。誰かお医者様を呼んでください。あなた、しっかりしてッ」

  場面代わり、菊之助の葬儀。
  悲しみの果てに表情を亡くしたお百。喪服を着ている。

「あたしも死にたい、あの人がいなくなっては生きていられない。あなた、あたな……」

(回想終わり)


菊ノ助 「悲しい思いをさせた、すまない」
お百  「子供の頃より辛い思いを重ねたわたくしは、夫婦仲むつまじく暮らした七年が、初めて幸せを感じられた時でした。あなたは大阪で役者の腕を磨き、わたくしと所帯を持ち江戸にくだったると盛名を極めた。そのあなたが空しい人になり、わたくしは嘆き悲しんで後を追おうと……止めてくださったのが那珂様でした。傷心しきったわたくしに奥向きの仕事を与えて励ましていただいた。与えられた仕事に没頭しました。もう忘れよう、夫は死んだのだと……。それが生きていた」
菊ノ助 「白雲斎殿のおかげでこの地で生き永らえた。しかしわけがあってこの里から出られなくなった。もう役者は出来ないが、他は何も変わらない。会いたかった」
お百  「わたくしも、あわせてくださいと何度神や仏に祈ったことか」
菊ノ助 「天弧のおかげだ」
お百  「天弧?」
菊ノ助 「まぁ、お稲荷様といえば分かりやすいかな」

  菊ノ助、抱き寄せる。

お百  「生きていた、生きていたのですね」
菊ノ助 「そうだ」
お百  「あなた」

  夫が生きていたとお百は実感できて泣いた。

お百  「それにしても、どうして生きていると知らせてくれなかったのですか」
菊ノ助 「半年ほど意識がなく、それからもまともに動けず里を出られなかった、すまない。もう一度俺と夫婦になり、女化ノ里で共に暮らしてくれ。ここは江戸と比べれば不便だが、天高く青い空に白い雲を見上げれば、江戸にいる頃より遥かに自由だ。ここで同じ空を見てくれないか」
お百  「二度とどこにもいかない、離さないと約束してくだされば、共に空を眺めましょう」
菊ノ助 「約束するぜ」

  お百は申し出を快諾した。
  すると突然、狐の面を被った人が方々から集まって二人を祝福すると、お百に花嫁衣裳を着せて狐の面を与えた。菊ノ助も面を被っている。
  提灯が灯ると二人を取り巻き嫁入りの行列が出来上がった。
  どこからともなく音がながれてくる。
  狐の嫁入り、それが始まった。

  狐の嫁入りが続き幻想的な空間が続く。

  それを引き裂く音と共に、館林藩家臣小野篤宗と黒脛巾組の佐々木右近、左近が現れる

左近  「なんだこれは、狐の嫁入りか兄者」
右近  「妖面なやつらだ、蹴散らせ、我等が目的はあの花嫁だ」
左近  「よしきたッ」

  右近左近は刀を抜いて嫁入りの列に斬りこんだ。花嫁行列はバラバラに逃げ惑い遅れたものは斬られた。右近左近が菊ノ助とお百に迫ったとき、白雲斎は己の二刀を抜くと右近左近の攻撃を二刀で巧みにいなしていく。

左近  「この爺やりよるッ」
白雲斎 「野盗の類ではあるまい、お主ら何者だ」
右近  「雇われし者、と申しておこう」
白雲斎 「なにゆえ婚礼の列に狼藉を働く」
右近  「我らはその女に用がある、こちらに渡してもらうぞ」
白雲斎 「そちらのお武家は佐竹様御家中か」
篤宗  「拙者は館林藩家中小野篤宗。事情がありここにまいったゆえに」
白雲斎 「小野殿はさておき、そこな傾城者を雇うとはうつけものじゃ」
左近  「傾城者だと、我らは黒脛巾組だ」
右近  「やめろ左近」
白雲斎 「伊達の忍びか。なるほどのぉ久保田藩に雇われたか。しかし館林藩のご家中がなぜお百を狙うのだ」
篤宗  「現在久保田藩に世話になり共に行動している。だが佐竹のお家騒動に興味ござらん。拙者は拙者の御奉公筋のことで参った」

  篤宗が刀を抜く。その刃は得もいわれぬ妖気をはらんで輝いた。

篤宗  「左兵衛尉藤原国吉、号鳴狐。こいつがお百に用があると申している」

白雲斎 「なんだとッ」
篤宗  「手練れの老人は任せた」

  篤宗は鳴狐を構えず菊ノ助とお百に近づく。
  右近左近は白雲斎を襲う。
  菊ノ助はお百を庇って立ち塞がった。

篤宗  「どけ」
菊ノ助 「女房をかどわかそうとする野郎に、素直に従う野暮天に見えるか」
篤宗  「女は斬れんが男は斬る」

  篤宗は容赦なく菊ノ助に斬りかかった。菊ノ助は体で斬下をかわし、下段から跳ね上がる切っ先を見切ると相手との間合いを場役詰め、ふり下ろされた刀の柄を手で掴んだ。それでもみ合いになる。しかし菊ノ助は弾き飛ばされて袈裟に斬られた。

お百  「あなたッ」

  菊ノ助は崩れ落ち、駆け寄るお百は右近に捕われる。

右近  「引き上げだ、さあこい女ッ」
お百  「あなたッ」

  突然森がざわめき、狐の叫び声があちらこちらから聞こえ出した。

左近  「なんだ」
右近  「狐か」
篤宗  「おい、早く連れて行け」

  右近左近は警戒しながらお百を強引に連れ去る。
  お百が去ると狐が鳴きやんだ。

篤宗  「狐の嫁入りなどしてお主は狐か。この刀は妖刀鳴狐、命を取るつもりはないが、お主が狐なら死ぬかもな」

   篤宗は一瞥をくれると立ち去った。
   斬られた菊ノ助は気力を振り絞るが、立つことさえ出来なかった。

白雲斎 「いかん、とんでもないもので斬られてしまった。……わしの考えが甘かった、まさかここまで追ってこようとは」
菊ノ助 「白雲斎殿、俺に力をくれ、一緒にいると約束した。二度も失ってたまるかッ」

  菊ノ助は見る間に弱っていく。

菊ノ助 「たのむッ」
白雲斎 「くれてやろう力を、だがそなたは二度も死にかけた。それ故に里を出れば力は徐々に弱りやがては人に戻る。そして力を使い果たせば死ぬ。それでもよいか」
菊ノ助 「心得た」
白雲斎 「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)様、我いただきたもうた天弧の力、この者に授けたもうや」

  白雲斎は自分の力を与える決意をし、女化ノ里に伝わる秘術を施すため眼を閉じ手を菊ノ助にかざした。そして祝詞を唱えだす。
  狐たちが現れ菊ノ助を取り囲む。
  祝詞が盛りに響き渡った。すると白雲斎から光りが溢れて渦巻き白い天弧の形を取ると、それが菊ノ助の身体に入り込んだ。

白雲斎 「菊ノ助、立ちませぇ」

  菊ノ助は静かに立ち上がった。しかしその姿は人ではない、白い妖狐になっていた。

菊ノ助 「お百ッ」

  菊ノ助狐が鳴いた。
  そして空を飛ぶように里から飛び出した。

  ※  ※  ※  ※  ※


街中(夜)

  役者市川仲蔵と弟弟子の佑太が歩いてくる。

佑太  「兄弟子、このまま放っておくんですか。那珂様には随分世話になったじゃねぇですか」
仲蔵  「なったねぇ」
佑太  「火事で焼けた森田座普請のために、大坂の豪商鴻池善右衛門に口利きしたのは那珂様。菊ノ助さん亡き後にご贔屓くださったのも那珂様でしょう」
仲蔵  「そうだねぇ」
佑太  「ちょっと、聞いてます」
仲蔵  「新作の衣装代が」
佑太  「那珂様の話をしてます」
仲蔵  「那珂様か……」
佑太  「その那珂様がお家騒動に巻き込まれて命が危ないっていうんだから、兄弟子はこのまま知らん顔してられないでしょう。そんなことをしたら市川仲蔵は江戸の物笑いですぜ」
仲蔵  「あのなぁ、役者のわたしにどうしろというんだ」
佑太  「だから助けてあげれば」
仲蔵  「お家騒動に首を突っ込んでどうなるものか。下手したら死んじゃうだろう」
佑太  「兄弟子は舞台の上じゃ天下無敵、殺陣の名人でござんす。悪人をバッタバッタと斬り捨て那珂様を救えば人気はうなぎ上り」
仲蔵  「本気で云ってる?」
佑太  「真面目でぇす」
仲蔵  「行くか馬鹿。見て見ぬふりしても誰も薄情とはいわねぇだろう」
佑太  「でも金になるかもしれませんぜ」
仲蔵  「え、えええ?……」
佑太  「次の芝居は衣装を新調するんでしよう。お金要りますよねぇ」
仲蔵  「いややややや……」
佑太  「乗る気になった?」
仲蔵  「なるわけねぇだろう」
佑太  「……ねぇ兄弟子、お百殿は妲己のお百と世間から呼ばれてますよね。妲己とは、贅沢と暴虐を尽くして、中国の王朝を滅ぼした悪女でしょう。日本じゃ九尾の狐の玉藻だ」
仲蔵  「それがどうした」
佑太  「菊ノ助さんや那珂様は、そんな女をどうして女房や妾にしたんでしょう」
仲蔵  「お百殿が妲己と呼ばれるのは、妲己は残酷だが美しい才女で、お百は百年に一度しかあらわれない才女と三嘆されたからだ。悪女だからではないぞ」
佑太  「でも世間様はお百は男をたらしこむ悪女だと」
仲蔵  「馬鹿、噂を真に受けるな、もう帰れ」
佑太  「へぇ」

  佑太、帰り際に、

佑太  「兄弟子、衣装代を何とかしないとね」
仲蔵  「やかましい」

 ※  ※  ※  ※  ※

仲蔵の住居。

  仲蔵、部屋に入ってくる。

仲蔵  「わたしだって助けたいよ、でも無理だろう。まぁ金をくれたら……そうだなぁ、狂言作者に久保田藩お家騒動の話を書かせて、やんわりと非難するくらいは出来るかなぁ。あッ、佐竹様御家中から誘いを受けたとき、お断り申す、身どもは那珂様に恩があるとかって、……誘いなどない。嗚呼……」

  仲蔵、煙草盆を引き寄せる。

仲蔵  「それはさておき佑太に云われずとも、衣装代を何とかしなければならねぇ、次は新作だ。さて、どうしたものか……。金かぁ、金ね。ちくしょーッ、誰か金くれ、何でもするからよぉ」
佑太  「本当ですか」
仲蔵  「えッ」

  見れば佑太が座っている。

仲蔵  「おまえいつの間に」
佑太  「煙草盆の中に百両あります。それで那珂様をお助けください」

  仲蔵は煙草盆から切り餅四つを見つけて驚く。

仲蔵  「どうやて金をッ?」

  前を見ると、座っていたのは佑太ではなく、なぜか艶かしい遊女が仲蔵を見ていた。

仲蔵  「え、あれれ。だれ」
遊女  「ええ男はんや、さすが役者やわ。思わず惚れてしまうわ」
仲蔵  「ど、どうも……じゃねぇ。こら佑太、遊んでないで出て来い」
遊女  「ねぇ助けてあげてください」
仲蔵  「出来ないよ、勘弁しろ」
遊女  「なんやて。よう見たら不細工やなぁこの男、たった今なんでもするって云いはったやないか。うちは聞いたで」
仲蔵  「おい佑太ぁ、頼むからさぁ」

  突然、お百が現れる。

お百  「仲蔵様」
仲蔵  「え、お百殿」
お百  「御願いでございます、力をお貸しくださいませ。もう頼る術がありません」
仲蔵  「いや、あれ……」
お百  「ご尽力のほとよしなに」
仲蔵  「そうか酒がいけなかったんだ、ここんところ疲れていたから悪酔いだ。まいったなぁ、幻覚みちゃったアハハハハ……」
お百  「仲蔵様、いかがなさいました」
女郎  「もっと金をよこせと云うてはるんや」
お百  「なんと下衆な」
女郎  「ほんま下衆や」
仲蔵  「きつい幻覚だなぁ」
お百  「でしたらこちらは脅しをかけましょうや」
女郎  「賛成やで」
仲蔵  「なんだよ脅しって」

  別のところにお岩さんが現れる。それだけでなく死人や幽霊、ゾンビらキョンシーまで出現して仲蔵を追い掛け回した。仲蔵は慌てて逃げ回り追い詰められ、隣に化け狐が現れて悲鳴を上げた。

仲蔵  「これは悪酔いではない、狐に化かされているのだ。落ち着け、おれ落ち着けッ。そうだ、狐に化かされたら煙草をすえと聞いたことがあるぞ」

  仲蔵、震えながら煙草盆を手繰り寄せて煙草を吸う。
  それで少し落ち着き、改めてスパスパと煙草を吸い煙を吐きかけた。
  すると化け物たちは咽だした。

女郎  「きついなぁ、あかんわ」
お百  「外で吸え、馬鹿」

  化け物一同が闇に消え、代わりに菊ノ助が現れた。

菊ノ助 「(咽ながら)いい加減にしろよ煙いだろう」
仲蔵  「菊ノ助?」
菊ノ助 「よッ、久しぶり」
仲蔵  「……」
菊ノ助 「どうした」
仲蔵  「うぎゃ一ッ」

仲蔵、飛び跳ねて逃げる。

仲蔵  「化けて出た、でたぞぉ」
菊ノ助 「死んでねぇよ」
仲蔵  「うそだ、わたしはお前の葬儀にでた。お前はすでに死んでいる」
菊ノ助 「色々あって助かった」
仲蔵  「信じられるか」
菊ノ助 「だから斯く斯く云々……」
仲蔵  「なるほどって、わかるか」
菊ノ助 「面倒くさい男だな、だから」

※  ここで「長くなりますので割愛させていただきます」の音声かテロップを流す。

仲蔵  「成程なぁ、しかしそれで狐になったと云われてもなぁ」
菊ノ助 「なんだよ信じねぇのか。いま俺に化かされたばかりじゃねぇかよ」
仲蔵  「生きていたのは分かったが、後半は半信半疑だ。……それでこれからどうするつもりだ」
菊ノ助 「お百を捜して取り戻す」
仲蔵  「それを手助けしろと」
菊ノ助 「そうだ」
仲蔵  「悪いが断る」
菊ノ助 「どうしてだ。おまえも那珂様やお百に借りがあるだろう」
仲蔵  「ある。二人には興行の景気づけを何度もしていただき、わたしの株は随分あがった。だがお前とちがい唯の人だぞ。大小落とし差の武士ならいざ知らず、役者に何ができるというのだ」
菊ノ助 「天弧の力を使えば常人以上になれるが、そう長く使えない代物なんだ。だから限られた時でお百を助け出さなければならねぇ。それには誰かの助けが必要だ。この通りだ頼む仲蔵、手を貸してくれ」
仲蔵  「お百は菊ノ助の女房だ、もちろん助けてやりたい。しかし……」
菊ノ助 「金は払う」
仲蔵  「え、えええ」
菊ノ助 「衣装代がいるんだろう」
仲蔵  「弟弟子と同じ事を云うかなぁ。それをおぬしが払うともうすのか」
菊ノ助 「すでに百両払ったぞ」
仲蔵  「……」

  仲蔵、煙草盆をみる。

仲蔵  「葉っぱじゃねぇか」
菊ノ助 「かならず那珂様に頼むから」
仲蔵  「なんだ、だったらヤメだ」
菊ノ助 「誰が出しても同じだろう。今から那珂様のところにいくぞ」
仲蔵  「だから駄目だ」
菊ノ助 「頼む」
仲蔵  「嫌だ怖い」
菊ノ助 「仕方ねぇなぁ、那珂様に説得してもらうか。一緒に来い仲蔵」
仲蔵  「ここから愛宕下の屋敷は遠いぞ、菊ノ助は明日出直して、え、何をする」
菊ノ助 「飛ぶのさ」
仲蔵  「とぶ?」

  菊ノ助が仲蔵を抱えると辺りが暗くなった。すると眩い光りが二人を包み込んで彼らごと消えた。


  *  *  *  *


  明るくなりここは愛宕下屋敷。

  その頃那珂は愛宕下屋敷にて久保田藩家臣と対面していた。家臣から書状を渡された那珂は憤慨してその書状を投げ捨てた。

那珂  「お百の命惜しくば投伏いたせだと。女子をたてに取るとは武士の所業ではござらんぞ」
家臣  「お手前はそのお百を殿の侍妾にして殿を惑わし藩の財政を破綻させ、挙句野尻忠三郎らと共謀せしめてお家転覆を計った謀反人でござろう」
那珂  「今では他藩の奥家老で江戸詰めの身、謀反にかかわるはずがない」
家臣  「連判状が何よりの証、さあ返答は如何に」
那珂  「ことわる」
家臣  「なにッ」

  突然明かりが消えて眩い光りと共に菊ノ助と仲蔵がこの座敷に現れた。
  佐竹の家臣は悲鳴を上げ飛び上がらんばかりに驚いた。那珂も同様に驚き、瞬間移動してきた仲蔵は理解不能になり慌てふためいた。それで佐竹の家臣は大慌てで座敷を飛び出していった。

菊ノ助 「お久しぶりでございます那珂様」
那珂  「菊ノ助と仲蔵ではないか。いまどうやってここにまいった」
菊ノ助 「空間を飛び越えて。これは天弧の力」
那珂  「なに」
菊ノ助 「お百がさらわれたのはご承知で」
那珂  「今しがた佐竹からの書状で知った」
菊ノ助 「その時また死にかけましてね、助けるために白雲斎殿が自身に宿る天弧の力を手前に下さいました。今の業はその一部」
那珂  「白雲斎殿は齢百五十の妖術使いだと隠岐守様から聞いてはいたが信じておらなんだ。まことであったとはな。久しいの菊ノ助、それで何しに参った」
菊ノ助 「お百を取り戻す」
那珂  「うむ」
菊ノ助 「お百の居場所に心当たりがあれば教えていただきたい。今の力は明確に居場所を思い描けなければ使えねぇ。それから天弧の力は長く持ちません。ですから仲蔵に手助けするように那珂様からもお頼みください」
那珂  「あい分かった」

  那珂は呆然としている仲蔵に、

那珂  「わしからも頼みだ、菊ノ助の力になってくれ」
仲蔵  「*?/¥:***!&%#」
那珂  「ん?」
仲蔵  「~=)’(&%$$#*:u9}」
那珂  「何をもうしている」
菊ノ助 「ええと、仲蔵は手助けするかわりに衣装代が欲しいと云ってます」
那珂  「なに、まとこか」
仲蔵  「!#%」
那珂  「よく分からんが用立てよう」
菊ノ助 「ありがどうございます。と云うことだ仲蔵、お前もお礼を申さないか」
仲蔵  「あざーす」
菊ノ助 「おい」
那珂  「よい」

  那珂、菊ノ助に刀を渡す。

那珂  「これを持っていけ、役にたつ」

  そして仲蔵にも刀を渡す。

仲蔵  「ええ、ひ、人など斬れません」
那珂  「これで身を守るのじゃ」
仲蔵  「いやぁぁぁ……」
那珂  「お百を頼みおいたぞ」
仲蔵  「#&%$、はい……」
菊ノ助 「決まりだ。仲蔵、お百を助け出すぜッ」

  仲蔵、刀を抱いたまま動けず、泣き顔をさらしている。


  ※  ※  ※  ※  ※


久保田藩 深川下屋敷

  青白い月明かりに浮かぶ下屋敷の庭を、見回りの藩士が行き来している。
  どこかで狐の鳴き声がして藩士は辺りを警戒する。別の藩士が現れ、一同を引き連れ走り去る。
  風が吹いて石灯籠の灯りが瞬いて消える。と、光りの波紋と共に菊ノ助と仲蔵が現れる。

菊ノ助 「上屋敷中屋敷と忍び込んだが手掛りはなかった。この深川下屋敷にお百がいてくれりゃ助かるんだが」
仲蔵  「さすがに警戒されているぞ。やばくないか」
菊ノ助 「心配するな、見つかって騒ぎになればいつものように飛べばいい。だからばれる前にお百を捜すぞ」
仲蔵  「あの」
菊ノ助 「なんだ」
仲蔵  「これまで忍び込んだ上屋敷と中屋敷、どちらも自分がドジを踏んで見つかって騒ぎになったから、今回は屋敷の外で待ってるわけにはいかないかな」
菊ノ助 「駄目だ、手伝え」
仲蔵  「また迷惑を……」
菊ノ助 「頬っ被りをしろ、捜すぜ」

  と云うと菊ノ助は足元がふらつく。

仲蔵  「どうした」
菊ノ助 「いや……」

  足音がして二人は物陰に隠れる。
  藩士が戻ってきて、周りを見回し走り去る。

仲蔵  「今夜は止めよう。立て続けに狐の力を使ったからお前は疲れている、戻って休もう。力を使い果たすと死ぬんだろう」
菊ノ助 「大丈夫だ」
仲蔵  「しかし」
菊ノ助 「問題ない、捜すぞ」

  菊ノ助は襷をして駆けていく。
  仲蔵も襷をして、

仲蔵  「頬っ被りじゃかえって怪しまれるな」

  手拭を鉢巻代わりに締める。
  藩士が戻ってくる。

仲蔵  「(咄嗟に)ご苦労」
藩士  「おうッ」

  藩士は怪しまずにいなくなる。

仲蔵  「暗くてよかった、バレてないぞ。……しかし、庭をうろついていては駄目だな。ん、また誰かきた」

  仲蔵、隠れる。
  浪人体の男(坂田)がくる。

坂田  「誰だ」
仲蔵  「見回りご苦労」
坂田  「誰だ」
仲蔵  「見かけぬ顔だがお手前は」
坂田  「警護に雇われた身の上、坂田と申す」
仲蔵  「家中の市川だ、見知りかおかれよ」
坂田  「左様でござったか失礼」
仲蔵  「なにお気にめされるな。しかるに賊は」
坂田  「先ほど獣の鳴き声がして見回ったが、別段変わったことはござらんかった」
仲蔵  「そうか。もう今夜は襲ってこんだろう」
坂田  「だとよいが」

  仲蔵、竹の水筒を出す。

仲蔵  「喉が渇いたであろう」
坂田  「かたじけない」

  坂田、竹筒を受け取り飲む。

坂田  「やや、これは酒」
仲蔵  「気付け薬でござる、徹夜に持ってこいだ」
坂田  「気付け薬か、然ればいただこう」
仲蔵  「ところで、女はどこに捕らわれているのであろうな」
坂田  「おんな?」
仲蔵  「賊は女を狙っていると聞いている」
坂田  「知らん、初耳だ。拙者はただ賊を見つけたら斬れと云われただけだ」
仲蔵  「あ、そう。知らなかったんだ。余計なことを云っちゃったかな。(咳払い)……これだけ見張りが厳重では、賊は恐れをなして逃げ帰るに違いないのぉ」
坂田  「外より中がさらに厳重だ。よほどその女が大事なのであろう。来れば逃げられん、捕まるか斬られるほかあるまい」
仲蔵  「やっぱ中かぁ、まいったなぁ」
坂田  「うん?」
仲蔵  「いや、ではご免」

  仲蔵、酒をひったくりそそくさとはける。
  藩士Aが来る。

藩士A 「おい、向うに回れ」
坂田  「はッ」

  坂田はいなくなる。
  その様子を菊ノ助が見ている。
  菊ノ助、物陰に隠れ女中に化けて出る。

女中  「恐れ入ります、申し訳ございません」
藩士A 「どうした」
女中  「女中頭から捕らわれの女に食事を出せと仰せ使い握り飯を運ぶ途中でございます。なれど新参ゆえどちらに運ぶのか分からなくなりました。お教えくださいませ、どちらに運ベはよろしいですか」
藩士A 「女中頭に聞きなおして来い」
女中  「御願いします。二度聞きすればきつくお叱りをうけます」
藩士A 「わしには関係ない」
女中  「一目見て心優しき方だとお見受けいたしました。御慈悲でございます」
藩士A 「わしには見回りが……」
女中  「あとで如何様にもお礼いたします」
藩士A 「ふむ……」
女中  「お願い」
藩士A 「女中頭に叱られたくないか」
女中  「そうなの。ねぇ、助けてぇ」
藩士A 「屋敷奥の座敷牢だ、早く行け」
女中  「同伴してほしいなぁ」
藩士A 「な、なに」
女中  「うふふ」
藩士A 「おまえ、肝心の握り飯は」
女中  「あっ」

  女中、その場でくるりと廻ると手に持っている。

女中  「ございます、まいりましよう」

  女中は藩士Aの腕をとり歩いていく。
  入れ替わり、仲蔵が逃げてくる。

仲蔵  「やばい、ばれたばれた、どうしょう」

  呼子の音がする。
  「曲者だ、出会え出会えッ」
  藩士たちがなだれ込んできた。
  仲蔵は隠れてる。

藩士  「いたぞ」

  見つかった仲蔵は逃げ惑うが、とどの詰りは藩士に囲まれ逃げ場を失う。
  仲蔵、パニックになって刀を抜いて振り回す。
  藩士A、女中が出て来る。

 藩士A 「なにをしている捕らえろッ」

  斬りかかる藩士の中に女中が飛び込み仲蔵を助ける。

女中  「馬鹿しっかりしろッ」
仲蔵  「え、菊ノ助か」
女中  「そうだ。もう少しでお百の居所が分かったのになんて様だ」
仲蔵  「だから外で待つと云ったのに」

  藩士が襲ってくる。

女中  「この姿だと動き辛くていけねぇやッ」

女中は刃をくぐりながら物陰に滑り込むと、瞬時にもとの菊ノ助の姿に戻るやいなや、刀を抜き放ち藩士を斬り捨て仲蔵をかばった。

菊ノ助 「落ち着け、おまえは立ち廻りが得意だろう」
仲蔵  「また弟弟子と同じことを、実戦なんてした事ないわッ」
菊ノ助 「芝居だと思え」
仲蔵  「そんな……」
菊ノ助 「正眼の構えだッ」
仲蔵  「くそ、もう自棄だ」

仲蔵、正眼にかまえる。
二人に四方から斬下がくる。菊ノ助は体で交わしつつ八双で受け流して凌いだ。仲蔵は斬下を切っ先で払いすり抜けて、振り返り様、襲ってきた突きを払うと同時に相手の肩口を薙いだ。

仲蔵  「あれ、え」
菊ノ助 「さすが殺陣の名人、本気になれば出来るねぇ。よッ日本一」
仲蔵  「ありがとう、断然自信が出たぞ。だが菊ノ助、このままではどうにもならない、一旦引こう」 
菊ノ助 「仕方ねぇか」

  右近左近が現れる。

左近  「兄者、我らの出番だぜ」
右近  「(菊ノ助に)おまえはあの里に居た男か。まだ生きていたとは」
菊ノ助 「出やがったな」
仲蔵  「誰だ」
菊ノ助 「ちょいとわけありでな。右近左近とかいったな、地獄から舞い戻って来たぜ、相手をしてもらおうか」
仲蔵  「駄目だ戻ろう、今夜は幕引きだ」
菊ノ助 「水臭いことを云うな、もう一幕付き合え」

菊ノ助、仲蔵、右近左近、藩士たちが入り乱れての大立ち回りが始まる。
立ち回りの流れで菊ノ助は右近左近に追われて一度ハケる。
その後暫く仲蔵を中心に歌舞伎風な立ち回りがあり、よきところで菊ノ助が狐になって登場。

左近  「奴が化け狐になりよったぞ」
右近  「ぬかるな左近ッ」

仲蔵が追われてハケると菊ノ助狐のアクロバット的な立ち回りが繰り広げられる。これには右近左近も太刀打ちできない。
  しかし、また足が縺れだし……
仲蔵が出てくる。

仲蔵  「大丈夫か」
菊ノ助 「(息が上がり)なんとかな」
仲蔵  「戻ろう」
菊ノ助 「ああ……」

菊ノ助は仲蔵を抱えるように腕をまわした。

仲蔵  「どうした」
菊ノ助 「飛べねぇ」

  と云って菊ノ助はひざを突いた。

菊ノ助 「時を稼いでくれ」
仲蔵  「わ、わかった」

  仲蔵、見栄を切る。

仲蔵  「……絶景かな絶景かな。春の眺めは価千金とは小さい小さい。この五右衛門には価万金。もはや日も西に傾き、夕暮れの花もまたひとしお。ハテうららかな眺めだなあ。ハテ、ハテハテ、ハテ……」

  静まり返っている。

仲蔵  「汝千年国表において御殿がえりを待ちうけし、父上様を打った覚えがあろう。わしは一子仲蔵、これは下郎の菊ノ助。八千代の椿優曇華の花を咲かせてみるここち、いざ尋常に勝負、勝負」

  で、仲蔵は刀を構えた。
  その刀は左近に叩き落とされる。

仲蔵  「あ……。少こし時を稼いだぞ、菊ノ助回復したかぁ」
菊ノ助 「駄目だ」
左近  「もう終わりか」
仲蔵  「はい」
左近  「ならあらためて化けの物退治だ」
右近  「まて、こいつに聞きたいことがある。……忍びの術でおまえのような妖しい力を得ることは出来ん。おまえといいあの女といい、どうやってその力を手にした」
菊ノ助 「あの女、お百のことか」
右近  「そうだ」
菊ノ助 「お百にこんな力はないせ」
右近  「嘘だ、力を使わずとも俺は感じる、女から出る妖気をな。あの女は只者じゃない」
菊ノ助 「なに馬鹿な事を……ふん、教えたところで手に入るものじゃない。お前らには無理だ」
右近  「そうか、今度こそ死ねッ」

  右近左近が襲ってくる。

菊ノ助 「仲蔵何とかしろ、こんなときのためにお前を連れてきたんだぞ」
仲蔵  「無茶云うな、わしを連れて飛んでくれ」
菊ノ助 「もう立っているのが精一杯だ」
仲蔵  「そんなぁ……」

右近左近の斬撃を菊ノ助が止める。

菊ノ助 「くそーッ」

  突然爆発音が轟く。

左近  「なんだッ」

  「火事だ、火を消せッ」
  そしてまた爆発音がする。
  煙が辺りに立ち込めだした。
  藩士たちに動揺が走り消火に走る者が出る。

藩士A 「ここはそなた達に任せてよいか」
右近  「かまわぬ」
藩士A 「かたじけない、行くぞ」

  これで藩士たちは全て居なくなる。
  変わりに、煙の中から顔を隠した侍が現れた。

左近  「誰だ」
篤宗  「小野篤宗だ。その二人を貰い受ける」
左近  「何だと、貴様正気か」
篤宗  「佐竹のお留居役や家老は拙者との約束を違えた。お百をこちらに渡す気がないなら、後悔させてやろう」
左近  「そうはさせるか」

  篤宗、腕を振る素振りを見せながら、右近左近の前に立つ。

篤宗  「すでに拙者の勝ちだ」
左近  「馬鹿をもうせ」
篤宗  「今の爆発は火薬だ。この下屋敷は秋田の名産品の貯蔵庫を兼ねている。その中に火薬が置いてあった。大方銀山で使う火薬を横流ししているのだろう。それほど久保田藩は貧窮しているのだろうな」
左近  「それがどうした」
篤宗  「お主ら本当に忍びか。腕は立つが欲に眼がくらんで本道を忘れたか。拙者は風上だ」
左近  「云わせておけばッ」
右近  「やめろ左近」

  左近が斬りこんだ。その刀を篤宗が刀で薙いだ瞬間、火花が散った。その途端、轟音が鳴り響き辺りが真っ白に弾ける。そして暗くなり、闇の中に右近と左近だけが残った

左近  「兄者、眼が、奴らはどこだッ」

  左近、闇雲に刀を振り回す。

左近  「眼が見えないッ」
右近  「落ちつけ左近、知らぬ間に火薬を風に乗せて撒かれたのだ。それが引火して閃光で眼をやられた。暫くすれば元に戻る」
左近  「爆発と火事で気がつかなかった。くそッ、ぬかったわ」
右近  「おのれ、この仮は必ず返すぞッ」


  ※  ※  ※  ※  ※


森田座楽屋

  仲蔵と篤宗が菊ノ助を担ぎ込んでくる。
  仲蔵、座布団を枕に菊ノ助を寝かす。

仲蔵  「菊ノ助、しっかりしろ」
菊ノ助 「水をくれ」
仲蔵  「わかった」

  仲蔵、湯飲みに水を入れて渡す。

菊ノ助 「ここは楽屋か」
仲蔵  「森田座の楽屋だ。わしは今日もここで公演がある。こんな夜分遅くに人を頼むことも出来ない、かと云っておまえを一人にするわけにいかないだろう。だから芝居小屋に連れてきた。それにここだとひとまず安全だろう」
菊ノ助 「侍も一緒か」
仲蔵  「助けてくれたんだ礼を云え」
篤宗  「礼はいらん」
菊ノ助 「云わねぇよ。だが、これで貸し借りはなしだ」
仲蔵  「なんだ、貸し借りって」
菊ノ助 「俺はこいつに斬られて死にそうになり、それで仕方なく狐の力を手にしたのさ」
仲蔵  「え、えええ……」
篤宗  「下屋敷で見たお主のあの姿が、狐の力か」
菊ノ助 「そうだ、力をくれた白雲斎殿は天弧の力と呼んでいた」
篤宗  「白雲斎だと」
菊ノ助 「柳水軒白雲斎殿だ、知っているのか」
篤宗  「柳水軒白雲斎は豊臣秀吉や竹中半兵衛の軍師、百五十年前の人物だ。ありえない」
菊ノ助 「長生きなんだとさ」
篤宗  「馬鹿な、名乗っているだけだ」
菊ノ助 「俺を目の前にして信じないのか」
篤宗  「武士たるもの物の怪、妖怪の類を信じるなど言語道断だ」
菊ノ助 「自分の目を信じないのか」
篤宗  「それは……」
仲蔵  「わたしも始めは信じられなかったが、菊ノ助のあの姿、あれは人じゃない。妖狐いや天弧だと認めるほかない」
菊ノ助 「お侍、裏切られて俺たちを助けたと云ったな。なにがあったんだ」
篤宗  「侍の主従関係は時に馬鹿げたことを強いられるものだ。菊ノ助の天弧の話は途方もないが、拙者の話も似たり寄ったり。主が化け物を信じれば拙者は辱を捨てねばならぬ」
仲蔵  「どういうことです」
篤宗  「拙者は館林藩、松平武元家中。鎌倉時代に製作された刀『左兵衛尉藤原国吉』通称鳴狐をたずさえ、藩主の命でお百を斬りにきた」
仲蔵  「ええ……」
篤宗  「鳴狐は勅命を受け、刀工国吉が作った妖狐を斬る妖刀だ。このたび刀番が鳴狐の鳴き声を聞き、法力僧が妲己お百が妖弧なりと割り出した。この刀を所有するわが一族の宿命、妖弧を斬れと藩主より命が下った。しかしあまりにも突飛で馬鹿げた話だ。妲己と呼ばれるお百はただの悪女、女を斬るなど武士の辱だと心得ている」
菊ノ助 「なるほどね、それで」
篤宗  「それに久保田藩主のやり方が気に入らん。藩のためだ御政道ためだと申しているが、失策があれば取って代わろうとする権力争い収束のために、義明公は自らの失策を那珂忠左衛門に押し付けた。これくらいは外の者でも分かる。だが家中の者は主命藩命に疑いなく従い、いかに馬鹿げたことか考えもいたさん。……それゆえ嫌気が差し、お百を斬ったことにして一刻も早く国許に戻ろうと佐竹に申し出た」
菊ノ助 「斬ったこと?」
篤宗  「斬らねば国に戻れないが斬りたくない。だからお百に因果を含めてどこかへ逃がし、斬ったことにして戻る」
仲蔵  「わざわざ館林から出てそれでいいなら、菊ノ助を斬らなくてもよかったでしょう」
篤宗  「それは、女は斬れんが男は斬れる」
仲蔵  「いやぁぁ」
篤宗  「しかし鳴狐で軽く薙いだだけだ、死ぬことはない」
菊ノ助 「俺は三年前病で死にかけたとき、先祖の霊が祭られた女化ノ里の守護神、宇迦之御魂神の霊力で生かされた。と云っても命を取り留めただけで、まともに動けるようになったのはここ最近のとこだ」
篤宗  「宇迦之御魂神とは」
菊ノ助 「五穀豊穣の神、平たく云えばお稲荷様だ」
篤宗  「だから、鳴狐で斬られたゆえ死にかけたともうすのか」
菊ノ助 「そういうこと」
篤宗  「不思議な話で頭がついていかん」
仲蔵  「でも、現に目の前にその事例がいるからなぁ」
篤宗  「それではお百が妲己、つまり白面金毛九尾の狐なのも本当なのか」
菊ノ助 「違う、お百は普通の女だ」
篤宗  「ならば殊更斬れん。しかしお百の身柄が久保田藩にあれば生きていると館林に知られてしまう。だから遠くに逃がそう考えた。ところが、十日もあれば拙者に渡すと約束したのに、お百は佐竹の殿様が侍妾に御所望故渡せないと反古にされた」
菊ノ助 「人の女房を殿様の妾にだと」
篤宗  「そう聞いた」
菊ノ助 「ふざけやがって」
仲蔵  「だがこれでお百の命は保障されたようなものだ。とはいえ那珂様を愛宕下屋敷から誘き出す材料にはなるが」
菊ノ助 「だったらやっぱり早くお百を取り戻すしかないだろう」
仲蔵  「そうだな。篤宗殿はこれからどうされます」
篤宗  「さて、どうしたものか」
仲蔵  「お百を取り戻す目的は同じですから、わたしたちと手を組んではいかかでございます」

篤宗  「化け狐と役者とか」
菊ノ助 「気に入らないなら一人でやれ」
篤宗  「徒党を組むのは嫌いだ、しかし
ここは手を組むべきか」

  篤宗、座り込んで腕組み。
  菊ノ助は横になる、やはり辛そうだ。

菊ノ助 「仲蔵、俺は休ませてもらう。回復したらお百を捜すぜ」
仲蔵  「わかった、とにかく今夜はよく寝ろ。わしは奥の座敷で寝る。篤宗様はどうなさいなす、身を隠すあてはどこかにございますか」
篤宗  「ない。しばらく厄介になる。命の恩人だ、かまわんだろう」
仲蔵  「もちろんです。公演の邪魔にならないよう御願いしますよ。おやすみなさ刀を抱きしめ
  仲蔵が座敷に行くと、篤宗は刀を抱きしめ、壁に背を預けて目を閉じた。
  木窓から差し込む月光が、菊之助の背を淡く照らしている。
  呟く声が聞こえ、篤宗は目を開ける。

菊之助  「……お百」
篤宗   「……寝言?」

「あなた、あなた……」
「ここは江戸と比べれば不便だが、天高く青い空に白い雲を見上げれば、江戸にいる頃より遥かに自由だと思える。ここで同じ空を見てくれないか」
「もうどこにもいかない、離さないと約束してくだされば、共に空を眺めましょう」
「もちろんだ、約束するぜ」

  篤宗、暫く菊之助の背を見ていたが目を閉じる。

  ※  ※  ※  ※  ※

次の日。

  お囃子に観客の歓声、拍手が聞こえてくる。
  それで菊ノ助は眼が覚めて身体を起こした。
  舞台明かりが入る。
  仲蔵、舞台衣装に着替えている。
  篤宗は部屋の隅に座っている。

篤宗  「よく寝たな、今は公演の真っ最中だ」
仲蔵  「起きたか。用心のため向島にある知り合いの寮を借りた。しばらくそこを拠点にしよう」
菊ノ助 「すまない」
仲蔵  「なんの」

  仲蔵、舞台に出て行く。

篤宗  「こんなところでよく寝ていられたな、拙者はうるさくてかなわん」
菊ノ助 「俺は楽屋で育ったからな。鬢付け油に化粧の匂い、それにこの雰囲気、懐かしくていけねぇや。うずうずしやがる」

  仲蔵が戻ってきた。彼は化粧前で化粧とカツラを確かめると刀を手にした。

仲蔵  「どうだ、役者の虫が疼くだろう」
菊ノ助 「ああ。仲蔵、俺を舞台に出してくれ」
仲蔵  「駄目だろう、お前は一応死んだ人間だぞ」
菊ノ助 「変化けて出ればバレやしないさ」
仲蔵  「昨夜は消耗して倒れそうだったんだ。止めておけ」
菊ノ助 「少しなら問題ない」
仲蔵  「おい」
菊ノ助 「もう大丈夫だから、頼む」
仲蔵  「わかった、無理するなよ」

  仲蔵、刀を腰に差して舞台に行く。

菊ノ助 「よっしゃッ。そうだお侍」
篤宗  「篤宗で結構」
菊ノ助 「それじゃ篤宗、お前も舞台に出ろよ」
篤宗  「なに?、冗談をいうな」
菊ノ助 「いいじゃねえか」
篤宗  「まて、まてまてまて、拙者は」

  菊ノ助、笑いながら強引に篤宗を連れて舞台に。
  突然現れた侍に、観客は何事かと視線を注ぐ。
  篤宗は突然注目されて顔が真っ赤。


  ※  ※  ※  ※  ※



向島の寮

  菊ノ助と仲蔵の前にわりと豪華な膳が並んでいる。篤宗が二人に食事を作りふるまっているのだ。

菊ノ助 「すげえご馳走だ」
仲蔵  「まったくだ、これすべて篤宗様が」
篤宗  「拙者が作った。伊佐木の塩焼きに焼き蛤。蛤は肉厚にして歯ごたえよし、江ノ島から取り寄せた品だ。となりは揚げ出し大根。大根を揚げただけの素朴な料理だがこれが旨い。これは甘露煮でこちらは茄子の漬物」
仲蔵  「これは茶碗蒸しですね」
篤宗  「違う、卵豆腐だ。味醂が卵と豆腐の本来の甘さを引き立ててくれている。味噌汁はすり流し豆腐入りだ。これはすり潰した豆腐を味噌と一緒に加えてとろみを出してある。そして」

  篤宗、鍋を運んでくる。

篤宗  「山鯨の鍋だ、精がつくぞ。さあ食べてくれ」
菊ノ助 「こいつは豪華だ、いただくぜ」

  二人が食べる。

菊ノ助 「マジうめぇッ」
仲蔵  「料亭で出しても恥ずかしくない味だ」
菊ノ助 「こんなものが毎日食べられるなら仲間になってくれ。なぁ仲蔵」
仲蔵  「……だな」
篤宗  「ふむ、仕方ないのぉ。おおそうだ、明日はうなぎにしよう」
菊ノ助 「いいね、賛成」
仲蔵  「ところで、これだけの食材を揃えればそれなりにかかるだろう。明日からの食事はこれほどでなくてもいいのでは」
篤宗  「気にするな。代金はそなたのツケだ」
仲蔵  「ああ、予感が当たった」
篤宗  「買出しのついでに、拙者はお百の行方をさぐってきたぞ」
篤宗  「えッ」
菊ノ助 「何かわかったか」
篤宗  「久保田藩出入りの呉服屋から聞いた話だが、さきごろ総刺繍の着物と打掛を収めたという。呉服屋主が家中の者に聞いた話では、お側女中が国許に出向くため仕立てたとか」
菊ノ助 「その女中がお百か」
篤宗  「確証はないが」
菊ノ助 「だったら急いだほうがいいな。お百が秋田に立つ前に那珂様を狙ってくるぞ」
仲蔵  「それでお百の居場所は」
篤宗  「まだ分からん」
仲蔵  「ならどうする」
篤宗  「おい」
仲蔵  「どうしました」
篤宗  「誰か来たぞ」
白雲斎 「ごめん」

  旅支度の白雲斎が入ってくる。

菊ノ助 「白雲斎殿か」
白雲斎 「取り急ぎ話があり参上仕った。……おや、これは、いつかの御仁ではござらんか。なぜここに」
菊ノ助 「複雑なわけがあって今は俺たちについたんだ。悪い奴じゃないぜ」
篤宗  「まこと柳水軒白雲斎殿でございましょうや」
白雲斎 「左様」
篤宗  「改めて小野篤宗と申します。機会があればそこもとの兵法をご教授くだされ」
白雲斎 「そのうちに是非」
篤宗  「かたじけない」
仲蔵  「市川仲蔵です。よくここが分かりましたな」
白雲斎 「佑太という弟弟子から聞いた」
仲蔵  「なるほど」
菊ノ助 「急の話って」
白雲斎 「ふむ……」

  白雲斎は座った。

菊ノ助 「仲蔵、茶くらいだせよ」
仲蔵  「それは食事係りの仕事(篤宗に睨まれ)……おっと、出しますね」

  白雲斎、仲蔵からお茶を受け取り飲む。

白雲斎 「わしは今しがた京から戻ってまいった」
菊ノ助 「なぜ京に」
白雲斎 「愛宕下で那珂様をお守りするのが筋だか、屋敷から出ぬ限り那珂様は無事だ。だからわしはお百の過去を調べに京にまいった」
菊ノ助 「どうしてお百の過去を」
白雲斎 「お百が那珂様の侍妾になり、隠岐守様正室照姫様のお相手を務めるため愛宕下屋敷に上がるようになったある日、わしはお百の背中に黒い妖気を見た。それが日々大きくなり心配でならなかつた。影の正体を見極めるに、京に住んでいた頃のお百を知る大商人、鴻池善右衛門殿に会った。善右衛門殿はお百を見出し妾にしたお人だ。そのお方から、お百がまだ祇園の遊女だったころ、北白川の真正極楽寺、通称如真堂にある鎌倉地蔵に触れたところ、そこから人が変わったと聞き及んだ」
菊ノ助 「なんだ鎌倉地蔵って」
白雲斎 「この地蔵は殺生石でできている。殺生石といえば、九尾の狐が退治された成れの果てであり、那須の地にあって絶えず毒煙を吐き続けたという怪石である。室町の頃にその祟りを鎮めるために玄翁和尚によって叩き割られた。玄翁和尚はその一部で亡くなった者を供養する意味で一体の地蔵を造った。それが鎌倉地蔵であり、お百に祟っているのは白面金毛九尾の狐」
菊ノ助 「信じなられるか」
仲蔵  「お前自身が狐なのに、白雲斎殿の話が信じられないのか」
菊ノ助 「当たり前だ。お百は心優しい女だ。仲蔵も知ってるだろう」
仲蔵  「たしかにそうだが」
菊ノ助 「世間様から妲己と云われたが、それは諸事芸事に優れた才女だからだ。男を惑わす悪女でも化け物でもねぇ」
白雲斎 「お百は詩歌、管弦、俳諧だけでなく香道に舞踊、驚いたことに天文にまで通じておる。しかし幼き頃、祇園の白人(下位の女郎)だったお百はそれらどこでを学んだのか」
菊ノ助 「そんなこと俺にわかるか」
白雲斎 「善右衛門殿は地蔵に触れてから突如お百は才女になったと申した。しかし九尾は五百年前に退治され石に成り果た、その力は以前とは比べればごく弱きものだ。しかし、これまで九尾は宮廷に渦巻く人の腐敗を好んで現れた、だから久保田藩のお家騒動に触れて強くなったと考えられる」
菊ノ助 「いい加減にしてくれ」
白雲斎 「菊ノ助、気持ちは分かるが事実を認識しなければ救えるものも救えなくなる。こうなってはそなただけが頼りなのだ」」
菊ノ助 「この俺は、力を使い果たせば今度こそ死ぬんだろう」
白雲斎 「残念だがその通りだ」
菊ノ助 「里に居たとき、そして今の俺を支えているのはお百の存在だ。そのお百を本物の妲己、白面金毛九尾だと……。これ以上くだらない事を云うな」
白雲斎 「そのつもりで事にかからねばならぬのだ。理解してくれ」
菊ノ助 「じゃなんだ、助けたお百を封印するつもりか。俺は自分の女房を取り返したいだけだ。お百を石にするなら俺も同じ石にしろ」
白雲斎 「わしにそんな力はない、するつもりもない」
菊ノ助 「……」
仲蔵  「しかし、お百を救い出さなければ那珂様はあぶない。ところがお百は菊ノ助の女房だが九尾に憑かれた妲己。どうすればいいんだ」
菊ノ助 「仲蔵までお百を妲己だというのか」
仲蔵  「いや……」
篤宗  「白雲斎殿に仲蔵。二人は菊ノ助が化け狐になろうと人として扱っているではないか。なればお百も然りだ。お百は明らかに久保田藩のお家騒動に利用されている。まずはお百を救い出すとこが先決。祟られていると云うなら、それからお払いでもすればいいだろう」
菊ノ助 「その通りだ。俺を斬ったくせにいい事云うな」
白雲斎 「間に合えばいいが」
菊ノ助 「どういう事だ」
白雲斎 「菊ノ助と共に里にいれば封じることも出来ただろう。しかしこのままではお百が九尾に支配される。そうなれば篤宗殿の鳴狐がのみが頼りとなろう」
篤宗  「拙者に斬れと申されるか」
菊ノ助 「馬鹿云うなッ」
白雲斎 「済まぬ菊ノ助、こたびの事わしの罪は重い。軍師と云われたが歳を取りすぎたようだ。それにわしも、何としてもお百を助けたいのだ。お百はな……」
菊ノ助 「なんだ」
白雲斎 「いや、助けたいと申したのだ。頼む」

  白雲斎が菊ノ助に頭を下げた。

菊ノ助 「俺もそうだ」

  そこ佑太が飛び込んでくる。

佑太  「兄弟子、大変だ」
仲蔵  「佑太、どうした」
佑太  「愛宕下から言伝を頼まれて来ました。那珂様が浚われたそうですぜ」
仲蔵  「なんだとッ」

  ※  ※  ※  ※  ※


愛宕下隠岐守屋敷前の通り

  菊ノ助、白雲斎、仲蔵、篤宗が駆けてくる。

白雲斎 「皆はこで待て、わしが隠岐守様に事情を聞いてまいる」
菊ノ助 「俺も行く」
白雲斎 「わかった、二人はここで待て」

  白雲斎と菊ノ助は屋敷に向かう。

※  ※  ※  ※  ※

  屋敷の座敷。隠岐守が座っている。
  家臣が入ってくる。

家臣  「白雲斎様がお越しでございます。それから菊ノ助という男が一緒ですが」
隠岐守 「かまわん、通せ」
家臣  「はッ」

  家臣と入れ替わり二人が入って控える。

隠岐守 「よくまいった、こちらにまいれ」
白雲斎 「それでは」

  二人は一礼して座り直しかしこまった。

菊ノ助 「お久しぶりでございます」
隠岐守 「まことに久しいの、苦しゅうない」
白雲斎 「殿様、那珂様が浚われたと聞きましたが、なにがございましたか」
隠岐守 「それが、お百が戻ってきたのじゃ」
菊ノ助 「えッ」
白雲斎 「まことでございますか」
隠岐守 「このまま埒が開かぬなら、那珂が幕府に訴え出るしかない。そう那珂と思案をしていると、そこにお百が来たのだ。驚いた我らにお百は、幕府から久保田藩に横槍が入りお解き放ちになったと云う。それで幕府御目付け役が那珂に聞き取りがしたい、迎えの籠が来ているので至急西の丸に出向いて欲しいともうした。やめたほうがいいと云ったのだが……、那珂を乗せた籠は西の丸につく前に襲われた」
白雲斎 「久保田藩の仕業でしょうや」
隠岐守 「こちらの厳重なかけあいに佐竹のお留守役は知らぬ存ぜぬを通した。が、まず間違いない。このままでは那珂は、野尻親子と同じく断罪されるだろう」
白雲斎 「ご公儀に訴えますか」
隠岐守 「証拠がなければご公儀は動かん。然れば、あとはそなた達だけが頼りだが……白雲斎殿、那珂は捕まるのを覚悟で出て行ったのではなかろうか」
白雲斎 「なぜそのように」
隠岐守 「大館の佐竹大和守家中の者から聞いた話しだが、久保田藩に、那珂が久保田藩藩主の毒殺を企てていると書簡が届いたそうだ。その差出人がお百だと」
白雲斎 「なんですと、お百が」
菊ノ助 「そんなことをするはずがないッ」
隠岐守 「聞け菊ノ助、久保田藩に幕府から横槍が入った事実はなかった。なればお百が謀ったとしか思えない。さすれば書簡の話も真実味を帯びてくる。それを確かめようと、那珂はとめるのを聞かずにここを出たのではないか」
菊ノ助 「ありえねぇ」


※  ※  ※  ※  ※


  屋敷の外。仲蔵と篤宗が待っている。
  空には月が朧に浮かんでいる。
  遠くに時の鐘が聞こえた。

仲蔵  「暗くなったぞ、二人は何をしているんだ」
篤宗  「これからどうすればいいか、思案を重ねているんだろう」
仲蔵  「思案ねぇ。ねえ篤宗様、人知を超えた菊ノ助の力を持ってしても、お百どころか那珂様まで奪われてしまうなんて、どういうことだよ」
篤宗  「自然の神秘な力より、人の集団が持つ力のほうが強いのかもしれん。生きていくため人は国をつくる。国は国を守るためご政道をひき強大な力を持つが、ややもすれば自然を破壊する」
仲蔵  「はあ……」
篤宗  「しかし力集まれば澱み腐敗する、形を取れば崩れ去る始まりと知るべしだ。国は所詮、個の集まりだからだ」

  菊ノ助が出てくる。

仲蔵  「菊ノ助、どうだった」
菊ノ助 「あんな話、聞いていられるか」
仲蔵  「おい、どこにいくつもりだ」
菊ノ助 「川風にあたってくらぁ」

  菊ノ助、走っていく。

篤宗  「どうした」
仲蔵  「頭を冷やしに行ったみたいです。あんな話ってなんでございましょうね」
篤宗  「さあな」

  篤宗の鳴狐が鳴いた。

仲蔵  「今のはなんです」
篤宗  「鳴狐だ」
仲蔵  「刀が鳴いたのですかッ」
篤宗  「そうだ、気をつけろ」

  息を呑む篤宗と仲蔵の前に右近左近が現れる。

仲蔵  「出たぁ、この前の二人組みだ」
篤宗  「仲蔵、下がっていろ」

  右近、左近の影からお百が現れる。

仲蔵  「えええ、お百、お百殿ではないか」
篤宗  「仲蔵、菊ノ助に知らせろ」
仲蔵  「わかりました」

  仲蔵、慌てて駆だす。

右近  「この前の礼に来た」
左近  「油断したから仕手やられたが、今度はそうはいかぬぞ」

  右近左近は同時に抜刀して篤宗に斬りかかった。疾風の剣が前後左右から篤宗を襲う。篤宗は刀を抜くと流れるような動きでそれらをかわしていく。
  右近左近は縄を出した。二人は息のあった動きで篤宗の動きを縄で封じる。

左近  「他愛もない」

  右近、篤宗から鳴狐を奪う。

右近  「これは貰い受ける」
篤宗  「やめろ、それは拙者の殿から拝借した物。お前ら無頼の徒が持つものではない」
右近  「お百は我らの願いを聞き入れ那珂忠左衛門を誘い出した。今度は我らが願いを叶える番だ、鳴狐をいただく」
篤宗  「お百、どういうことだッ」
左近  「やかましいッ」

  左近、鞘で篤宗を殴り更に容赦なく蹴った。
  お百は口の端に笑みを湛えその様子を見ていたが、何かに気づくと眼で右近左近に合図を出した。
  それで三人は闇に消える。
  白雲斎が出てくる。

白雲斎 「篤宗殿しっかりせい」

  驚いた白雲斎は篤宗を抱き起こす。

篤宗  「白雲斎殿……」
白雲斎 「何があった」
篤宗  「駄目だ、逃げろ」

  白雲斎の背後にお百が現れる
  お百は奪った鳴狐で白雲斎を背後から刺した

白雲斎 「お、お百ッ」

  右近左近も現れる。

右近  「我ら黒脛巾組はついに主を得た」
左近  「今より我らは久保田の傭兵ではない、阿形と吽形の仁王になりお百様の守護を勤むる」
右近  「さすれば我らも力を得ようぞ」
白雲斎 「戯けた事を……」
お百  「菊ノ助に伝えよ。秋田八橋草生津刑場、影橋で那珂様の処刑が行われる。必ずきて呉りゃれと」

  お百は不敵に笑うと踵を返し、右近左近を従えて闇に消えた。
  菊ノ助と仲蔵が戻ってくる。

菊ノ助 「白雲斎殿ッ、誰がやった」
篤宗  「お百だ」
菊ノ助 「な、なんだと」

  その時、離れた高台の闇にお百の姿が浮かぶ。

仲蔵  「おい、あれは」
菊ノ助 「お百」

  月明かりに照らされたお百の影が、九尾の狐の影に変わっり一同が凍りつく。

仲蔵  「なんだあれは」
篤宗  「まさか九尾の狐」
菊ノ助 「そんな……」

  お百の笑い声が響き、その姿は闇に消える。

菊ノ助 「お百ッ」
白雲斎 「菊ノ助……」

  白雲斎は息が絶え絶えだ。

白雲斎 「お百を救えるのはお主だけだ、頼む、お百を助けてやってくれ。お百には伝えておらんが、昔京にいた頃、九条坊門稲荷近く住もうた折に出来た娘の児……お百は、あのこはわしの孫だ」
菊ノ助 「本当か」
白雲斎 「そうだ」

  白雲斎、腰の二刀を抜いて菊ノ助に渡す。

白雲斎 「これは特殊な業物だ、頼んだぞ」
菊ノ助 「心得た」

白雲斎は息絶える。

菊ノ助 「白雲斎殿ッ」



※  ※  ※  ※  ※



草生津刑場、面影橋

  囚人の那珂が獄門台に磔にされている。
  それをあざ笑い酒を飲む久保田藩藩主佐竹義明の傍にお百がいる。
  そして今から血祭りにあげられる那珂を見て喜ぶ領民が踊り狂っている。
  お百は義明に媚びる様に絡みつき酌をする。帝に寵愛され男を思い通りに操る妲己お百の姿が其処にあった。
  菊ノ助たちは踊り狂う領民の只中に現れる。

菊ノ助 「お百ッ」

  お百は菊ノ助に眼もくれず笑っている。
  菊ノ助たちは領民に阻まれて刑場の那珂やお百に近づけず、三人は領民を蹴散らすために刀を抜いた。すると忽ち領民は踊りをやめて三人を取り囲んだ。

義明  「此の者佞姦(ねいかん)邪悪を持って密かに徒党を組み国家騒動の端を起し反逆を企て、あまっさえ関所を破り、重罪に依って庶民に下し、かくの如くおこなう者なり。藩の財政を窮地に落とし領民を苦しめたのも此の者。その三人は仲間なり。生死は問わん、捕らえたものには褒美をとらせる」


  それで領民の目の色が変わり手に手に鍬や鎌を握り締め菊ノ助たちに襲い掛かってきた。
  領民を斬ることができない三人は苦戦を強いられる。

仲蔵  「やめろ。わたしたちは謀反とは関係ない」
菊ノ助 「聞いちゃいねぇ、こいつら」
篤宗  「これではどうにもならん」

  篤宗、小柄を義明に投げる。
  それが義明の手に刺さると領民は動きを止めた。
  お百が義明に何か囁く。

義明  「よくもやりよったな.那珂を処刑しろ」
菊ノ助 「やめろッ」

  菊ノ助の声が刑場に轟いた。
  それを合図に、三人と領民、そして佐竹の家臣が現れて大立ち回りになる。

篤宗  「菊ノ助、仲蔵、領民を殺すな」
菊ノ助 「ああ」
仲蔵  「そんな余裕はありませんッ」

  仲蔵、腕を斬られて刀を落とす。
  篤宗は仲蔵を助けに入り襲ってきた領民の鎌を払いうと、姿勢を低くして家臣や領民の足を薙いだ。
  菊ノ助は狐に姿を変えると領民を素手でなぎ倒すと、白雲斎に渡された二刀を抜いて家臣を斬った。
  領民は恐れて逃げていく。

仲蔵  「那珂様を」
篤宗  「よしッ」

篤宗が那珂に駆け寄る。と右近左近が現れ斬りかかった。それで篤宗は太股を斬られてしまう。
右近左近と家臣たちに菊ノ助は一人で立ち向かうが、やがて追い詰められて動きが止まる。
菊ノ助は疲れきっている。

義明  「やれッ」

磔の那珂の身体に槍が突き刺さった。

菊ノ助 「那珂様ッ」

  菊ノ助が膝をつく。
  お百が高笑いする。
  義明は笑いながら姿を消す。
  家臣は那珂を運び右近左近を残して去っていく。
  あとには勝利を確信したお百の笑みが残った。

お百  「我が憎いか、憎むがよい。それが我の糧となろうぞ」
菊ノ助 「おまえは白面金毛九尾か」

お百の背後から金色の光り立ち上がる。
それが幾重にも分かれて広がり、うねるような九つの尾になった。九尾がついに正体を現した。

九尾  「人の世の混沌に生まれ人の欲を喰らい永らえる千年妖弧、我は白面金毛九尾なり。人の所業は愚かなり。個が集まり衆をなす人の世は個の我欲が衆を喰らい潰す、その繰り返しが人なり。我はその我欲に囁きかけて人を滅ぼす天の摂理と知るがよい」

  それは地の底から轟く声だった。

仲蔵  「やばいぞ菊ノ助」
篤宗  「どうするッ」
菊ノ助 「……なにが天の摂理だ馬鹿狐ッ。人も自然の一部だろうがッ」
九尾  「人は自然の理に反する生き物よ」
菊ノ助 「衆個の間を行き来し苦しみ、それでも天を仰いで空を見上げるのが人だ。そこには喜怒哀楽があり愛しむ心が生まれる。俺はそれを表現する役者だ」
九尾  「その心も我欲あれば、我の言葉で毒に染まる。そなたに毒を盛り殺そうとしたのは、お百」
菊ノ助 「うそだ」

 九尾は声高々に笑った。

九尾  「お百は我欲に負けたのだ……違うッ」

  お百の声がする。

九尾  「(お百)お前がわたしにやらせた……(九尾)黙れ卑しき女よ、那珂が欲しかったのだろう。だから我が手を貸したのだ」
お百  「わたしは夫を愛している」
九尾  「偽りを申せ」
菊ノ助 「黙れ、その狭間で揺れ動くのが人だ」
お百  「助けて、あなた」
菊ノ助  「心得たッ」

  菊ノ助が力を振り絞り立つ。

右近  「白狐、この刀で成仏しろ」
菊ノ助 「鳴狐か」

  右近は鳴狐で菊ノ助に斬りかかる。
  菊ノ助は右近の斬下を掻い潜り、左近の太刀を受け止めた。しかし力が抜けていく。
  篤宗と仲蔵はまともに動けない。
  そして……、
  菊ノ助は力が尽きて元の姿に戻ってしまう。

菊ノ助 「駄目だ、力が」
右近  「終わりだ」
仲蔵  「篤宗様、菊ノ助がッ」

  篤宗は刀を杖に立ち上がる。だが左近の刀に弾かれ倒れる。

左近  「そこで見ていろ」
右近  「死ねッ」

  菊ノ助、白雲斎の二刀を柄で繋ぎ合わせて長い両刃の刀にすると、それを風車のように振り回して右近左近を斬り倒した。
  しかしそれで菊ノ助は倒れる。
  それを見て九尾がほくそ笑んだ。

九尾  「天弧よ、そなたを見習い我も使役を用意したぞ。こ奴は我に願いたもうた、死にたくないとな」

  現れたのは九尾の手先となった那珂である。

仲蔵  「そんな……」
菊ノ助 「那珂様」

  那珂が菊ノ助たちを襲う。
  菊ノ助は風車の剣で那珂の攻撃を防ぐがそれが精一杯だった。那珂の剛剣が風車の剣を弾き飛ばすと上段から菊ノ助の頭に振り下ろされた。
  それを篤宗が白羽取りで受け刀をもぎ取った。
  那珂は、落ちていた右近の刀を手にした。それは奪われた鳴狐である。
それを手にした那珂は苦しみだす。

菊ノ助 「那珂様ッ」

那珂は振り返りお百を見た。

那珂  「お百」

那珂、お百を斬ろうとする。
  しかし、九尾の力で生かされた那珂はお百を斬ることができない。
  那珂は鳴狐を菊ノ助に差し出す。

那珂  「菊ノ助、私とお百を斬れ」

  菊ノ助は鳴狐を受け取り最後の力を振り絞り那珂を斬り捨てた。
  そしてお百を抱きすくめると、自らの身体ごとお百を貫いた。
  一際大きく鳴狐が鳴いた。
  鳴き声は辺りに反響し刑場の邪気を祓い正常な空気と降り注ぐ光りを取り戻した。
  青い空が天空に広がった……。

  菊ノ助の腕の中でお百が正気を取り戻した

菊ノ助 「お百、すまない」

  お百は頭を振る。

お百  「綺麗な空だとこ……」
菊ノ助 「ああ……」

  菊ノ助とお百空を見上げた。そして二人は抱き合いながら眩い光りの中に消えていく。


※  ※  ※  ※  ※


エピローグ

  光りの後に闇がきて、そしてまた光りがさす。

  辺りが明るくなるとそこは草生津川原、面影橋。
しかし刑場のあとはなく、何事もなかったような穏やかな風景が広がっている。
  その中に仲蔵と篤宗が倒れている。
領民が出てくる。

領民  「おい、おまえさんがた大丈夫か……しっかりしなせぇ」

  篤宗、領民にゆすられ目を覚ます。

篤宗  「ここは……」
領民  「草生津川原で」
篤宗  「えッ、仲蔵起きろ」

  仲蔵、目を覚ます。

領民  「こんなところでなにしてんだ。狐にでも化かされて迷うたかの」
篤宗  「いや、そうではない。大丈夫でござる、行ってくれ」
領民  「へい」

  領民、歩いていく。

仲蔵  「ここは」
篤宗  「草生津川原だ」
仲蔵  「菊ノ助とお百はどこです」
篤宗  「わからん」
仲蔵  「さがしましょう」

  二人は辺りを見回す。

仲蔵  「菊ノ助ッ」
篤宗  「菊ノ助、お百ッ」

  菊ノ助とお百を捜す。

篤宗  「いないぞ」
仲蔵  「こちらもです」
篤宗  「おかしいと思わぬか。刑場もなくなっているし、戦いの痕もない、どういうことだ」
仲蔵  「そういえば二人とも斬られたのに、どこも何ともない」
篤宗  「まるで時が流れ去ったみたいだ」
仲蔵  「そんなはずは……」
篤宗  「それとも、本当は何もなかったのではあるまいか」
仲蔵  「どういうことです」
篤宗  「化かされたのでは」
仲蔵  「そんな馬鹿な」

  領民B.Cが通りかかる。

領民B 「んだどもよォ、あの那珂様が謀反ごと企てたとはなァ、いまでも信じられねぇ」
領民C 「佞姦邪悪って云うから、ひねくれた極悪人なんだべ。だから死罪になったのさ」
領民B 「そうなんだべか」
領民C 「んだ。だども今年は天候に恵まれてよかったな、今年は豊作だべ。これでおらたちもご領内も安泰だ」
領民B 「だな」

  領民、去っていく。
  篤宗、落ちていた刀を拾う。

篤宗  「鳴狐だ」
仲蔵  「それじゃ……」
篤宗  「たしかにあった」
仲蔵  「では菊ノ助とお百はどこにいるんです。二人は死んでしまったのですか」
篤宗  「鳴狐が二人を貫いたのだ、生きてはいないだろう」

  仲蔵、肩を通す。

仲蔵  「ちくしょう、助けてやれなかったか」
篤宗  「あの状況だ仕方あるまい」
仲蔵  「二人とも変な力に翻弄されてばかりで、わたしは可愛そうでなりません」
篤宗  「お主は精一杯やった」
仲蔵  「菊ノ助の気持ちに引きずられてきただけです。怖かったが、あんな一途な姿を見せられたら堪らなくなった」

  仲蔵は空を見上げる。

仲蔵  「篤宗様、あれを御覧ください。二人が揃って空を見上げている。わたしには見えます」
篤宗  「拙者にも見えるぞ……」

  通りすがった領民も空を見上げた。
  そこには確かに、仲むつまじく空を見上げる菊ノ助とお百の姿があった。

仲蔵  「菊ノ助一ッ」



                    終演。

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