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Счастливые города-3

Ленинский проспект

 煙突から絶えずもうもうと立ち上り、ひたすらに空を厚く覆う雲に還ろうとする蒸気。それを額縁のごとく着飾ろうと、手前にうっすらと立ちはだかる枯木たち。ビル群はモスクワ都心の周縁らしい、軽い荒涼さを匂わせながらも、十分すぎるくらいに発展しきった街並みを見せている。
 寮の1駅手前にある地下鉄駅から地上に出て買い出しに向かう道すがら、ふっと右手に広がるその姿を私はこの街で1番愛していた。特にこれといった絶景でも何でもない、どちらかといえばありふれた街並みではあるはずなのに、不思議と気が狂いそうになるほどに心が湧きたつ場所なのだ。
 それは一種の奇特な感情だと自分でも理解しているので、それほど深く考えようと思ったこともないし、半端な言語化もまた陳腐なものだとすら考えている。ただ、それをあえてぼんやりと解釈するとすれば、常に自分の中で生産され続けている寂寥感を心置きなく暴発させられる、この街では数少ない場所だからなのだろうと思う。

 「モスクワはロシアではない」ともう何度言ったか分からない。どれだけ東に向かったとて、ロシア人はロシア人であり、鬱屈とした森がさも限りがないかのように広がり続けている。モスクワ川が至る所で顔を覗かせる首都の美しさは言うまででもないが、私の故郷のハバロフスクもまた泰然としたアムール川に擁された美しい街だ。
 しかし、そんな故郷の魅力など大河の一滴にも満たないほどの些細なものにしてしまうくらいに、モスクワはあまりにも豊かすぎるのだ。中心部や大通りはもちろん、どれだけ細く暗い小道に入ったとて、昼夜問わず全ての退廃さを滅却して絢爛に燃え盛っているかのように感じられるまでに、規格外の熱量がこの街には秘められている。
 私の故郷とて間違いなく恵まれている街ではあるが、時にロシアじゅうの生気を全て搾取して輝き続けているのではないかとすら思えるほどのこの首都を、恨めしく思ったことも幾度となくあった。
 だが、この煙突たちは特別である。節操なく街が輝く合間も、誰かが愛の喜びと悲しみに暮れている合間も、そして金色の夕日に照らされて深紅に染まっている合間も、淡々と蒸気を吐き続けている。その姿は血が通っているように見えて一種の虚無を呈しているかのようであり、冬になればその気配はぐんと増して莫大な白色を描くようになる。
 肌を突き刺すような寒気、延々と降り続く雪——その全てと一体化して、煙突は私の中で生き続ける空虚な感情を包み込んでくれる。そして普段より少しばかり強く足を踏みしめながら、湿気と寒気で一層味が濃くなった煙草を吸い込み、紫煙を思い切り吐き出せば、あたかも天に昇っていく蒸気に対するささやかな捧げ物であるかのように思えた。

 「何でそんなに冬が好きなんだ、寂しいヤツだな」
 以前、大学の友人であるマクシムにそう言われたことがあった。繰り返し繰り返し、私が「これで最後の冬だ」と何度も言い続けていたことに対する返答である。彼に言わせてみれば「まだみずみずしい春と夏が残っているだろう」ということらしく、確かにその考え方もごもっともだ。
 冬は辛く厳しい。足場も悪く、着ぶくれすれば身動きも取りづらくあらゆる行動が煩雑になる。何より空がひらすらに暗く、陰鬱という言葉だけでは表現できないほどに気持ちが沈み込む日々が続く。冬よりも夏の方がよほど良いに決まっている、それはあまりにも正常な感性だろう。
 しかし、それでもなお私は冬のことも夏と同じくらいには強く愛していた。川が凍って純白に染まり、雪が街灯に照らされて宝石のように降り注ぎ、砂糖菓子のように教会の屋根が彩られ、幸運にもよく晴れた日の夕暮れには空がどっぷりと濃い紅色に染まる——そんな冬が愛くるしくてたまらないのだ。

 もっとも、私はマクシムの言う通り「寂しいヤツ」だった。ありとあらゆる木々が秋の黄金に染まる前にはこの街を離れて、生まれ育ったハバロフスクで家業を継ぐことが既に決まっているのだ。何も後悔はない、誰に強制をされたわけでもない、自分が納得をして決めた選択だった。
 そうはいっても、この景色を気兼ねない日常のひとコマとして訪ねることができる日々と別れなければならないのは、どうにも寂しいのである。「納得して決めた」と思い込むようにはしていても、私が常にこの広場で発散させんとしている狂気が更に暴発しそうになることを堪えることが、日に日に苦しくなっていた。酒を飲んだ夜には、いっそモスクワ川に身投げしてやろうかと思う事すらあった。
 つまるところ、私はこの街で生きた明確な痕跡を残したいのだろう。身を投げれば、私の肉体はモスクワに還る。そうしたとしても、きっと誰かが見つけ出してしまってハバロフスクに連れ戻されてしまうだろうが、精神的にはこれほどまでこの大地と一体化できることはないはずだ。まったく本末転倒で、優柔不断の極みのような考えかもしれないが、このような短絡的な思考と理性のせめぎあいによって私という存在は常に成り立っていた。
 きっといつかは忘れてしまう——そんな恐ろしさを伴って、この街に対する依存的な感情は私の首を締め続けているのだ。

 「ならばどうしようか」
 私は小声で、真っ白な煙を口からこぼしながら呟いた。死ぬわけにはいかない、かと言って私が生きてきた爪痕はまだまだこの街には刻み込まれていない。この狭間に今日もまた私はいた。
 せめてこの肉体の一部をどうにか、と思いながら残り短くなった煙草の先端をそっと指先で揉み、火種を落とす。フィルターの手前に少しだけ残った煙草の葉がぱらぱらと続いて散らばっていく。そうして残った部分を路肩の雪のなかに放り投げた。
 この普段と何も変わらない日常的な動作の刹那、ショッピングモールへと歩み始めようとした私の頭に突如として電撃のようにふとした気づきが降り落ちてきた。
 「そうか!」
 そう声に出して私は投げ捨てた煙草のフィルターの方を眺めた。あの小さなスポンジ状の筒には私が紫煙と共に吸い込んだ瞬間のこの街の空気と、私の唾液が染みついている。雑に扱っているように見えて、私を包み込んでくれる煙突たちへの大切な供物という意味合いも仄かにこもった物質だ。
 何度この場所にそれを投げ捨てたかは分からないし、きっとそのたびにどこかへ回収されて改めて燃やされてしまったかもしれない。それでも、自分という存在とこの場所の空気が混じり合った、案外神聖なものと考えればどうだろうか。うまくいけば冬が終わるまでは硬く深い雪の下に眠り続け、この街の土にほとんど還るようなものだ。願ってもない僥倖かもしれない。

 ふとした多幸感に包まれながら、私は大通りの喧騒に向かって足を進めた。こう考えれば、しばらくは命を捨てなくとも、そして奇抜な奇行に走らずとも、私が生きた証をささやかに残すことができる。どうせこのアイデアにもそのうち飽きがきてしまうだろうし、どちらにせよいつかは泡のように消えてしまう夢のようなものかもしれないが、当面は大丈夫だろう。
 そう考えながら私は、これから少しずつ冬が明けていくことと、心地の良い春と夏が訪れることが俄然嬉しくなっていた。やはり純粋に、太陽と緑と花々に恵まれた季節もまた愛おしいものだ。
 きっとそう思い変わった理由をマクシムに話すと十中八九気持ち悪がられるだろうなと思い、にやけた笑みを顔に浮かべつつ、私はふと大通りの向こうにある煙突に目を向けた。その蒸気は何事もなかったかのように、天への通路を繋ぎ続けていた。

 


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